Memento-Mori
2001.7.24 5回目の月に
あの日、
あたしも死んだ。
それまでの、幸せなあたしはもう、死んだんだ。
なのに身体は生きている。
じゃあ、「死」って何なんだろう。
慣れるんじゃなくて、麻痺していくだけだ。
少しづつ、少しづつ薄れていくなにか。
あたしは必死でそれに抵抗する。
・・・「必死」?
「必ず死ぬ」んだ。
ヒトハカナラズシヌ。
あたしにそのときはいつ訪れる?
「愛するものがが死んだときには、自殺しなけあなりません。
愛するものが死んだときには、それより他に方法がない。」
私の大好きな、中原中也の詩。続きがある。
「なほも永らうこととなったら、奉仕の気持ちになることなんです。」
・・・・・・
そんなところに行き着けないあたしはどうしたらいい?
ずっと前から考えていた。どうして愛する人と同じときに死ねないんだろう、と。
たとえ心中したとしても、同じ「瞬間」に息を止めることはほとんど不可能。
だとしたら、何が最良の方法なんだろう?
ダンナの体はあたしのもんだよ。ふたりでひとつの身体なんだよ。誰にも渡さない。
なのに、どうして燃やされなきゃいけないの?
どうして納骨しなきゃいけないの?
どうして、カラダに触れることができないの?
和服の記憶?告別式のあいだ、なぜか思い出していたのは、結婚式のときのことだった。
きつい和服を着て、斜め下50センチの視界で歩く。夫の声だけが聴こえない。
「似合うじゃん」なんて、喪服で言われても困るけどね。
みんなが言う。「まだ3歳だから、わかってないでしょう?」
とんでもない。
誰よりも【そのこと】を感じているのは娘だよ。
・存在感
家が、がらんと広い。狭い狭いとぶーぶー文句言っていた家なのに。
「人ひとり」の存在感。
この感じ・・・これは何なんだろう?
これが「タマシイ」ってやつの重さなのか?
ダンナへ。
あたしが死んだとき迎えにこなかったら、コロス。
死別に直面すると、人格変わる。あたしは鬼になった。
それともただのキチガイか?(笑)
その人が死んだとき、本当の人間関係が露になる。
向こうがどう思っていたか、如実に顕われるね。
だから。
夫が逢いたがっていたのに、弔問も弔辞もなかった人は一生覚えててやる。
あんたにはその程度だったんだな、って。
「忘れるんじゃなくて、心の中に生きてる」
そんなのキレイゴトだ。
じゃあアナタのココロの中で、あの人はどのぐらいの頻度で思い出されるの?
毎日思ってくれる人がどのぐらいいるの?
いつまでも悲しいのは日常を共にしていたあたしたちだけで、
日常に戻れば、あなたたちの日常に埋もれてしまうんじゃないの?
冥福とか追悼なんて、一生言うもんか。
線香だってあげてない。式の時でもやらない。
成仏とかくだらないこと言う奴にはあたしの気持ちはわかんない。
どんな姿でも、
ずーっと、ずーっとそばにいてほしいんだよ!
あたしが死んだら、迎えに来てくれたダンナと、「行こうね」って言ってたところをぜーんぶ行くんだ。
もうひとつの新婚旅行だね。
「身体がない」ってどういうことだ?
今でも、あたしには全然わかんないよ。
「空に昇る」とか「天にいる」とか「星になった」ってよく言うよね。
ほんとに空とか天とか星にいるのなら、、、
どんな方法使ってでもそこに行くよ!
「絶対」なんて、ないってことがわかった。
もし「絶対」があるのなら、
それなら、
夫が、ここにいるはずだもの。
あなたがいない。
あんたがいない。
どこにでもいるようで、どこにもいない。
しいて言うなら、それだけが実感だ。