Memento-Mori
2001.8.24 6回目の月に
できることならあたしだって逝きたい。行きたい。・・・生きたい。
だけど、どれもかなわない。
唯物論なんてクソくらえ。
夫はそこにいて、あたしは夫の魂に包まれてココロだけの世界にいると思っていたいんだ。
そう思っているのに、
なのにこんなにカラダを求めるあたしは、悲しいほど即物的だ。
「人に必要とされてしまったら、死ぬ自由すら手に入れることができない。」
「自分を差し置いてひとりの人間を愛せるのは、そのために他の人々を破棄できる奴だけだ。
あんたに、カーテンレールにぶら下がるような粋な真似ができるのか。」
(山田詠美「MENU」より)
あたしは「死」が怖い。
それを超えられれば、自信を持って夫を「愛している」と言えるのかもしれない。
いつでも死ねる覚悟。自分すら捨ててもいい覚悟。
だけどまだあたしにはそれがない。だから他の人々を破棄する資格もない。
「死」すら越えた愛ってどんなものだろう。
夫のぶんも生きろと人は言う。
子供の成長を見届けるのがあたしの役目だと人は言う。
それって本当のことなのか?
あたしの役目。それが何かはわからない。
だけど、それさえ終われば、もういいよと夫が言ってくれる気がする。
夫のぶんまで長生きなんて、何の意味があるんですか?
「死は生の対極に位置するのではなく、生の一部として包括される。」
(村上春樹「ノルウェイの森」より)
その逆じゃないのか?
「生は死の一部として包括される。」
死の先に新たな「生」が見えない以上、あたしにはそうとしか思えない。
人間には2種類いるみたいだ。
どんな死にそうな目に遭っても生還してくる人と、
あっけなく行ってしまう人。
その別れ目はどこなんだろう?
寝顔は死に顔。
この世に絶対なんてない。
もしあるなら、「向こうの世界」にだけだろう。
絶対の愛を誓う恋人たちよ、「死が二人を分かつまで」と誓うだろう?
「分かつまで」だろ?じゃあ分かたれたあとは絶対がなくなるってことだろう?
死ぬのは身勝手だ。
それは自然だろうが突然だろうが病気だろうが
、残されるほうにとっては死んだものの「身勝手」でしかない。
必ずどっかに何らかの迷惑がかかる。それが心理的なものか物質的なものかは別として、
何がしかの打撃を与えることは事実だ。
どんな死に様だってこっちにとっちゃ「突然」だろう?
まさかこんなことになるとは、って誰もが言うじゃないか。
だったら、自分から死ぬ身勝手も許してほしい。
それはすべての呪縛から解き放たれた瞬間、ほんとうに自分のためだけになれたということじゃないのか?
あの人の身体がない。
あたしはあの人のカラダが欲しい。
このジレンマを「死」と呼ぶのだろうか?
人は人の中から産まれてくるのに、どうして人のなかで死んでいけないんだろう。
ただ骨になるだけなら、誰かのなかに取り込んで欲しい。
ただ骨にするだけなら、あの人の身体をあたしのなかに取り込んでしまいたかった。
土に還す?そんな勿体ないことできない。
夫を形づくっていたものすべて、カルシウムのひとかけらまで。
地球の栄養にするぐらいならあたしの栄養にしてくれよ!
あたしは生きることをやめた女。
なのに死人と呼ばれないのはどうしてだろう。
マテリアルな世界でケミカルにまみれているだけなのに。
終わってしまえば一瞬だ。何だってそうだ。
「死」なんて、それまでの人生を一瞬にしてしまう最高のフレイバーでしかないのかもしれない。
それまでの人生がどんなに濃密なものであろうと、燃やされてしまえばすべてが夢。
記憶という曖昧なものに頼るしかなくなるんだ。
それでも愛せるのかどうか、試されているのだろうか?
もしも参列するのなら、小さな壷に入ってしまうそのときまで見届けたい。
それがその人に対する礼儀のような気がするから。
・・・考えてみれば、骨壷って臨月の子宮と同じぐらいの大きさじゃないか?
同じように丸くなって小さくなって、どんな夢を見ているのだろう。
ずっとあんたに縛られている。
きっとあたしが死ぬまで、あたしが他の誰かを好きになったとしても、ずっと。
最高の束縛。
だって、ほどけることがないんだもの。「死」という楔で昇華されてしまったから。
これは至上のよろこびでもあり、最上のかなしみでもあるけれど。