NANKAI Hawks


南海ホークス時代の思い出。

2004年12月アップロード

今季のパ・リーグは、オリックス・近鉄両球団の合併合意を
皮切りに、新球団参入そして、ホークスはダイエーの
産業再生機構活用が決定によって、ソフトバンク社への
球団譲渡という運びになりました。
その現在…16年前の南海→ダイエーの球団譲渡の頃の
事を思い出しました。
で、個人的に南海時代の思い出を振り返ってみることに
しました。(^^)
その2
南海ファン、思いは再燃編。

昭和53年以来、パ・リーグは近鉄、阪急、ロッテ、日ハム、
西武が「プレイオフ」に進出して、激戦を繰り広げました。
南海はその間、一度もプレイオフに進出することなく、
昭和57年シーズン限りでプレイオフは廃止されました。
翌、58年は南海は健闘しましたが、4位近鉄に一歩及ばず
5位という成績に終わりました。
昭和60年には定岡選手が開幕からホームランを連発したが、
アキレス腱の負傷で戦線離脱。そして、阪神優勝で関西の
野球ファンが盛り上がったその年の秋も深まった10月の
甲子園球場。優勝が決まった阪神が「王・ジャイアンツ」を
甲子園に迎えた最終戦で、阪神・山内新一、巨人・金城基泰が
登板したのです。テレビには勝利を収めた後で場内一周する
ナインに大声援を送るタイガースファンの様子が映し出されて
いましたが、山内、金城両投手の最後の登板を見届けたので、
「時代が終わった」という感じがしました。
昭和61年には杉浦監督の登場となりましたが、最下位脱出
はならず。昭和62年シーズンを迎えました。


この年、2000本安打にこだわって、巨人から加藤英司が
移籍してきました。キャンプの練習中に強風で倒れてきた
バッティングゲージがカラダに当るというアクシデントに
見舞われたりしましたが、開幕から快打を連発、加藤の
ホームランが決勝点になって、1−0で勝利した試合など、
その活躍は凄まじく、4月29日には2000本に期待する観客を
集めた大阪球場は満員を記録。チームも上位進出しました。


試合終了後の球場前駐車場ではファンたちが興奮状態で
声援を続けていました。
この頃から「メガホン」「応援バット」が発売されて、「観戦する
野球」から「応援に参加して、エキサイトする野球」に
スタンドの気質が変わってきたような気がします。
特に外野席の熱狂ぶりは凄まじく、トランペットマーチが
鳴り響き、小学生〜20代の幅広いファン層が大声で応援を
続けました。


加藤の入団で、「同世代」の門田博光選手が刺激を受けて
大活躍した一年でした。打率.317で9月には2000本安打も
達成して、翌年の「40歳二冠王」へのステップとしました。
外国人がデビッド(前年から残留)とハモンド(3Aから入団)の
ふたりで、デビッドは低打率、ハモンドはパンチ不足と
期待された活躍でなかったためシーズンオフには解雇
されました。もし、日ハムのパットナム程度に「働く」選手が
来日していたら、優勝もありえたかも知れません。
何しろ、投手陣は
山内孝徳(シュートが冴えました)
山内和宏(スライダーの制球は抜群)
藤本修二(両サイドを突く変化球で活躍)
加藤伸一(後半戦の活躍は見事)
西川佳明(左腕からのスローカーブで打者を翻弄)
矢野実(セットアッパーでフル回転)
井上裕二(フォークが冴える抑えの切り札)
と充実しきっていて、投手出身の杉浦監督の下で大活躍して
いたのですから、後は打線次第でした。
打線のポイントとしては、2番打者を河埜、小川、湯上谷を
併用していましたが、固定できなかったことと、キャッチャーも
打の香川、守りの吉田の使い分けで、ラインナップが一定
しなかったことだと思います。
記憶は不確かですけど、「4番山村」という奇抜な作戦が
あったりした気がします。
←山村選手の勇姿!
色々とポイントはありましたが、シーズン前半は好調で阪急と
優勝争いを繰り広げました。
夏休みの大阪球場のナイターでは、延長でホームのクロスプレイ
で引き分けなどという試合もありました。
しかし、夏休み明け頃から首位に立った西武とのゲーム差が
広がりだしました。
大阪球場でのロッテ2連戦。前回の3連戦で3連勝している
だけに否が応にも期待は高まりました。
ところが、連敗して自力優勝が消えてしまい。すべてを賭けて
臨んだ続く西武4連戦も全敗となって、シーズンは終わって
しまいました。
収穫としては、佐々木、湯上谷ら若手野手が成長して来季
以降に期待を抱かせたことです。西川、藤本の若手投手陣
から来季は15勝くらいする「エース」の登場も期待されました。
そして、西宮球場のシーズン最終戦で三遊間ヒットを放った
加藤英司が静かにバットを置きました。

忘れてはならないのがKBS京都放送の
「近鉄エキサイトアワー」です。藤井寺球場の試合中継
ですが、南海戦の放映もたまにあって、3連戦全部放映
という「太っ腹」な時もありました。阪急戦の「サンテレビ
ボックス席」と合わせて、南海戦のテレビ中継の主要部分を
占めていました。

次回「その3」に続く。