| 父への鎮魂詩 |
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第1章 まえがき この文章を書いている窓の外は、小春日和の春分に日。 家族は墓参りや買い物に出かけて留守。今、僕は一人13年前に死んだ親父のことを考えている。 僕の若い頃は、反発ばかりして親の愛なんて考えたこともなかった。 しかし、最近2人の子供の成長を見るにつけ、僕がいかに親の気持ちを考えずに生きてきたか反省することが多い。 親父が死んでもう13年になると言うのにその思いが消えることはない。 考えて見れば、親父の青春時代は4年間に及ぶ戦争体験で占められ、敗戦後の喪失感を乗り越え家族を持ち子供が出来ても、愛情の表現の仕方など知る由もない事だろう。 それでも子供からすれば、無口で恐い親父でも見える愛情を求めていた記憶がある。 親父の愛情表現の不器用さは持って生まれたものではなく、今思えば悲惨な戦争体験は、人の精神構造までも変えてしまうものだとわかる。 親が子供を思う絶対的な愛情は、子供には分からないくらい深く強いものだと知ったから。 今ここで書こうとしていることは、ひさしぶりに以前百か日法要の時に書いた日記を読み返してみると、まるで父の死んだ日が昨日の様に甦った。 時代は変わり、ホームページと言う媒体に接している今。 これが家族や子供達・世間の人々がこれから読む機会が出来るものなら、残しておきたい文章だと思った。 見ず知らずの人にとって、他人の死をどう感じるかはここでは考えない。 ただ事実と僕の感じたままを残しておきたいと思うだけである。 今日平成13年3月20日を迎え、父が死んで丸13年が過ぎ、このお彼岸の日に思い付くまま書こうとすることは、亡くなって百か日法要の時に書いた文章をそのまま載せたいと思う。 それでは、13年前の法事の頃に戻って思いのままに書き綴ってみようと思う。 今、父の百か日法要も無事に終わり、葬式以来それぞれの生活に戻り過ごしてきた家族が、今また集まり、父との思い出にみんな浸っている。 葬式後、僕達夫婦もアパートに戻り、子供と共に新しい喧噪の中で生活に追われていたが、子供の成長を見ていると、父と過ごした最後の一日がどんどん遠くに感じる。 父は64才になるまで、病気には縁のなかった人だったが、昭和58年の定期検診で胃に悪性の腫瘍が見つかり、早速12月に横浜市大病院で手術を受けた。 経過は良好ですぐ退院し、その後は昭和62年12月まで元気だった。 しかし、翌年1月の定期検診で再発の危険ありの診断により、再度入院。そして、昭和63年2月26日午前12時30分(享年68才)に帰らぬ人となった。 父の死後、母は一人実家で生活を続け、当時の僕は近くのアパートに妻と1才になる息子と暮していた。 妹夫婦も同じ1才の娘と近くのアパートで生活している状況で、僕はまだ実家に戻る意志は持っていなかった。 母は一人での生活にもなれた様子だが、百か日を父の霊前で過ごしたことを考えると、そろそろ妻に理解を求めて僕達家族も家に入り、新しい環境を作ることで母の気持ちも切り替えてあげたいとも想うこの頃。 それぞれの生活に追われる毎日が続く中、今病院の父と過ごした長い夜の出来事を頭の中で想い出している。 |
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