| 転職戦線異常あり! |
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第2章 好きなことやって今がある。 この就職したくても出来ない状況を社会の不況と思えば簡単。しかし、生活基盤を持たない不安は、容赦なく精神を不安定にさせている。 思い出して見よう、この状態が決して悲観したものではないことを。 自分の好きな事やりたいことをやりながら今があると思えば、きっといつか新しい道が開けることを信じたい。 1年前の平成12年12月の年末に7年間勤めた会社を辞めることを決心した。 一つには、今の会社の方針と人間関係に付いていけないと感じていたこと。二つには、以前勤めた設計事務所の社長から、もう一度戻って仕事を一緒にしないかと誘われたこと。 この社長には恩も恨みもあったが、病気で不自由になった体を見ると、もう一度やり残していた仕事を続けたいと思う気持ちが強くなり戻る決心をした。そこには、自分の力で事務所を盛り立ててやると意気込んでいる強気な自分がいた。 当時、他にも考えていることがあった。 それは1年程前に買ったパソコンで作った作品を、いつか自分だけのアルバムにしまっておくのではなく、不特定の人に見てもらいたい気持ちが高まっていたことである。 とても、公に出せるものではないにしても、自分だけの美術館をつくり、もしかしたら見てくれる人がいるかもしれない、そんなホームページの世界に興味を持っていた。 そこで、自分勝手な発想だが、仕事中に覚えられる内容ではないと思い、会社を変わる間の時間を利用してホームページ作成の基本を勉強したいと思った。 年が明けて会社に対して辞める意志を伝えたところ、この御時世で引き止めてくれたことは本当にありがたかった。 しかし、内なる自分の意志は堅く仕事の片付く3月末で退社することに決まった。 そこで、少しでも早く来てくれと言われていた次ぎの事務所には4月からにしてもらい、その1ヶ月前に有休を使いパソコンの学校で、ホームページの集中講座を受けることにした。 当時の総務部長からは、いままでそんな長期の休暇を取って辞めた人はいないと釘をさされたが、考えてみれば自分勝手な行動だと思うし、1ヶ月の有休を与えてくれた上司には感謝しなければならないのかもしれない。 おかげで、学校は基礎勉強の足りない自分には別の世界に思えたが、無事終了することが出来た。 そして新しい会社には、平成13年4月1日から出社することになった。 その後、4ヶ月間位は仕事もあり順調だったが、いきなりその後の見通しがたたなくなり11月には、すでに支払いも滞り生活も立ち行かなくなり、辞めざるおえなくなってしまった。 いまさら社長の見通しの甘さや、自分の軽薄さを責めても何にもならないし、信じた事を後悔するより自分が至らなかったことを恥ずべきだと思う。 我慢が足りないと言われればそうかもしれない。このリスクを承知で移ったのだろうと言われればそうかもしれない。 夢のような見通しの話だけでは、自分の生活基盤の確保が難しいと判断するしかなかった。 家族を考えれば、これ以上自分のわがままに付き合わせることが出来無かった。かといって次ぎにあてがあるわけげもなし、無惨な現実がこの先待っていると思うと、強気の自分は何処へ隠れてしまったようだ。 しかし、せめて自分にとってはその間の仕事の合い間にずっと自分でホームページを作ったり、パソコンに親しめた時間は無駄ではないと思いたい。 しかしそんな経験も、現実には今後パソコン関連に就職できるものでもなく、オペレーターになる程の技術が出来たわけでもない。 結局この年末、こうやって過去の経験と資格をもって職安を廻ることしか出来ないのである。 今回も年末に思うことだけで終わってしまった。 |
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