2001年(平成13年)7月〜9月


日  付
(H13年)
自分勝手な思い込み日記
6月29日 ペイントハウス面接
9月オープンの平塚店に配属が決まり、8月から臨時営業開始なので一日も早く来て研修経験を積んでもらいたいと言われ、いきなり採用となってしまった。
帰ってから考えると、大丈夫か心配になった。
6月28日 住宅リフォームコンクールの応募は、やはり一人でまとめる様子
所長が、僕の作った下準備は全て無視して、自分で全てをまとめてしまった。
話合う余裕もなく、視点と方向が違うので自分でやり直すと言われては、一緒に物作りは出来ないと改めて思った。
6月26日 午前、厚生病院で診察。午後、ハローワーク
レントゲン検査に異常は無く、恐らく尿管結石だろうとのこと。来週ほかの方法でレントゲン検査を行い再検査となった。

一週間前に履歴書を送った『ペイントハウス」から電話があり面接を29日にすることに決まった。 まず、動いて見なければ何も始まらないので、受けてみることにした。
幸い午後時間が出来たので、厚木のハローワックに行くと、全ての求人情報がパソコンで検索出来るようになっていた。そこで、いくつかの求人表を持ち帰り、面接依頼に動こうと思った。
6月25日 下腹部の痛みで、救急病院へ
午後から急に下腹部が重たい感じになり夕方には、左の脇腹が痛くなった。
明日にでも病院に行こうと思っていたら、帰りの電車で我慢出来なくなり家の近くの救急病院に駆け込んだ。
その結果、結石とのこと。初めてのことで驚いたが、翌日再検査となった。
6月23日 ADHDの本を買い、一気に読んでしまった。
題名は、”オロオロしなくていいんだね”白井由佳薯。注意欠陥多動性障害の本人が書いた本で、自分と照らし合わせ、一気に読んでしまった。
6月18日 何がしたいのかではなく、何が出来るか考えたい
就職情報誌を買い込み、仕事を探す毎日が続く。
結局、リホーム営業しか自分に残された道がないと感じた。
自分に残された可能性は、その世界との思いが強い。
6月15日 クリニックは病院ではない
クリニックの先生に、はっきり言って15分の限られた時間で君の話に付き合っては居られない。君の悩みの相手をして、直す方向を示すためには、この医院では出来ないと言われてしまった。
精神医療について問うたところ、僕が期待する治療を提供する時間も余裕も無いとのことだった。
ここでも僕の期待と現実のズレからコミュニケイト出来なかった。
ただ僕が抱える悩みや不安を聞いてくれるのが、精神医療の現場だと思っていたが、現実のクリニックは、気持ちの落ち着く薬を提供し、日々の様子の確認するだけの所だったのかもしれない。
6月14日 会社に辞表を提出した
一身上の都合により、9月15日付けで退職する希望を書いて提出した。
この2週間、仕事から離れ引き継ぎの準備をしていると、事務所での疎外感も感じ、一日も早く離れたい気持ちが強くなる。
6月13日 同僚に辞職することを話した

6月2日 安定剤を飲んで、退職願い
今日、所長に退職の意志を伝えた。
以外に冷静な気持ちで話が出来たことに、自分なりに驚いた。 基本的には、通知書に従い3ヶ月後に退職することで合意した。
多少、薬の効果があったのかもしれない。
しかし、現実問題これからどうするつもりなのか、自分でもわからない。
しかし、相変わらずまだノンキな気持ちでいる。さてどうする。
6月1日 初めての精神科
初めて精神科のクリニックなる医院に行った。
先生が言うには、自分が出来ることは話を聞くことであり、直す治療法があるわけではない。 ただ、気持ちが落ち込んでいるなら、元気の出る薬を分け与えましょう。と言う。
そんな会話のなかで、僕にとっては有意義に感じた言葉があった。
僕は、今置かれている現状に怒りを持っていること、それを素直に出せないでいること、 いやその感情を出すすべを知らないこと。
そのために、そのストレスが自分の気力の落ち込みや四面楚歌の気持ちを作っていること。
先生が言ったその言葉は、すごく素直に聞く事ができた。
少しの間、自分の方向が定まるまで、通院して見ようと思う。
5月27日 やはり駄目だ!
人間、一時で気持ちを入れ替えて、変わるなんてやはり出来ない。
いつもと同じ時間が過ぎていくだけで、自分の心の持ち方を替えようと思っても、廻りは変わりもしなければ、やはり自分もいきなり、素直に対応できるものでもない。
そこは、緊張が解けるわけでもなく、自分の対応が変わるわけでもない。昨日の納得が、今日はまた 逆戻り。今また次ぎの仕事を考えている。
5月26日 仕事帰りに初めての一献
今日チーフと軽く一献、そして自分は会社にリストラ勧告され辞める気持ちでいることを伝えた。
生活が出来ない給料となり、人間的にどうしても合わないのであれば止めない。
その前に、仕事上の問題に関して、自分なりに努力したと言えるなら止めないとのこと。
果たして、自分なりに努力したと言えるだろうか!
5月25日 一日中、”どうする、どうする”の悪循環
会社を辞めるまでは、気持ちはまとまるが、その後”どうする”になったらお手上げ状態。
他の会社に潜り込んでも、また同じように人間関係でつまずくことが見えており、つい先日その精神のメカニズムを僕なりに理解したところだし。かといってストレスの溜まらない職場などあるわけがないし。
しかし、考えてみれば働き始めてまだ25年と考えると、あと15年も働く時間がある。もう一度出直すには充分な時間とも思える。
しかし、出直す限りは給与収入を25才程度を覚悟しておかないとまたプライドが許さなくなる。 しかしその金額では家族を養うには無理な金額であり、到底了解できるものではないだろう。
今の給料を考えると、丁度25才程度の金額となり自分の能力がそのレベルと判断されたものだろう。
そうすると、辞める理由がなくなる。
それに辞める理由が、給料の問題・上司との人間関係・仕事上の問題となれば、世の面接官が一番嫌う内容で辞めることになる。
しかし今回は、僕自信に対して何の理由づけも出来ない弱音による退社でしかないと感じてる。考えてみれば今までは、なんだかんだと自分なりの理由をこじつけて会社を変わってきたが、今回だけは本当に精神的に耐えられない状況として辞めることになる。
家族を持つ身で考えることではないが、この精神状態では家族に申し訳ないと思う。
「それがわかっているなら、なぜ辞める。」と自問自答の泥沼の中へ。
5月24日 僕が辞めると言う前に、もっと厳しい現実があった。
「給与制度の改定と能力評価について」という書面が、給料袋に入っていた。
中身は衝撃的なもので、業務態度・技術能力・問題解決能力の貢献度の低さから、待遇は準社員とし来年からは自由契約にするとのこと。年俸は300万円、退職の希望があれば3ヶ月以内に申し出る事。時間外は支給されず事前の承認による残業の時給は、1,429円とのこと。これではもうリストラ勧告としか受け取れない。
今日の朝まで、この会社での経験は、精神修養(出直し)の場と考えようと思っていたばかりなのに、人生はやはり僕の思いもよらない方向へと進んでしまった。
やはり、人生50年。僕の人生もどん底に落ちてしまったようだ。
いま、どこに逃げ出そうかと考えている。
家族のことを思うと正直つらい。
5月23日 神経科クリニックに電話をいれるまでの不思議?
昨日の追い詰められた精神状態からは抜けられたが、今後も今の会社にいるためには、やはり神経科に行ってみようと思う。
そこで、昼休みに携帯を持って外に出て掛けようとしたら電池切れ。
次に公衆電話から掛けようとしたら、カードが入ったまま繋がらず電話局に問い合わせ、カードの返却を求める始末。
昼食を食べてもう一度掛けようとして電話ボックスに近寄ったら、人が急に横から入り電話を掛け始めた。
さすがにもうやめようかと考えたが、何もしないで過ごすより、何か現状の気持ちを変える方法が生まれるかもしれないと思い、その人の話が終るのを待って掛けることにした。
なかなか受付けの人も出なかったが、やっと通じ予約を入れることが出来た。これからまた新しい経験が始まるのかなというおもいと、ここまで縁を繋ぐ邪魔をするおおいなる力の存在も気になりながら、一歩自分探しに踏み出した感じ。
5月22日 長い一日
朝からずっと、仕事上のミスや対応の悪さを指摘され、ずっと落ち込みっぱなしの一日。 しかし、自分の言葉一つで、仕事がスムーズにも流れるし、通じないこともあることを知った。 言葉の遊びかもしれないが、今日の出来事はコラムに残したいと思う。
5月21日 夜の10時過ぎに所長から電話があった。

5月20日 新刊本の日木流奈(ひきるな)の本を読んだ。

5月19日 久しぶりにカミさんと相談
カミさんに辞めたいことを伝えた。
5月18日 会社を辞めたいことを、紹介者に相談
もうガマン出来ません。人格的に全く合わない人とは、仕事を続けることは出来ません。
そういって理解を求めたところ、再就職先を見つけて動くのが家庭を持つ身の責任、ただ目先の怒りで辞めるのなら止した方が良い。精神的に追い詰められているなら止めないが、今の年令で働き場があるとは思えない。と言われた。
自由に生きたいのに、自由になれない。また、辛いから辞めるの繰り返しとなるのか!
5月17日 今日所長から言われたことは、リストラ勧告!
言われたことは、
1.仕事に日数を掛け過ぎているので、自分の工数を考えて仕事をするように。
2.残業は必要ない、する場合は上司の許可を受けてするように。
3.今後は年俸制に切り替えるので、働きの悪い人は収入が減ると思うように。
4.中高年者の就職先がない現在の社会で、働く場がある事に感謝しなさい。
5.社会保険は、会社が半分負担していることを忘れないように。
現在、収入が以前の半分に落ち、その上お荷物呼ばわりされて、自分の自信はどっかへ 飛んでいってしまった。
所長の言うとうり、仕事に時間を掛け過ぎるは、初歩的ミスが多いは、その上うまくコミュニケーションは取れないのでは、もうウンザリなのは所長の方かもしれない。
5月16日 何処の会社もつとまらない自分
ここ何日か自分を見つめる日々が続いていた。そしてやっとたどり着いた結論が、 何処へいっても何の仕事をしてもきっと長くはつとまらない自分の性格。
いままで、自分の理屈でそれらしく転職を繰り返し生きてきたが、無惨にもすべてが自分の持っている対人恐怖に根ざした行動だとわかった。
さて、これからどうするか・どうなるの!
5月15日 我執性と没我性の目覚め
自分の中には、自分勝手なわがままな性格と人と一体になりたい程の甘えた性格があり、相手によってその対応に精神が不安定になる。身近な存在や知合い程度の人とは平気で話せるのに、その中間的な間柄の関係の人とはうまく対応出来ない。つまり僕を叱る人や批判する人、あるいは会社の上司とはまったく対応の仕方がわからなくなる。
そこに、僕の長年の悩みの原因があるように思う。
5月12日 仕事帰りに寄り道をしなかった理由
今日一日、緊張の連続で無事仕事も終り、終ってみれば僕は果たして何に怯えていたのか分からない一日だった。
しかし、帰りは一人寄り道して帰ろうと思ったら、不思議と財布に金がなく家に帰ることにした。気が付いてみれば今日は母の日で、早く帰るベき日だったのかもしれない。
5月9日 土曜日にアルバイトを考えている
こずかいが少なく生活がひもじい。そこで、ホームページの手伝いをした会社が、広告や出版関係の会社だったので、長年の夢だった広告関係の仕事に関われるチャンスだとおもい、土曜だけでもアルバイトが出来ないかと、甘い夢を持ってしまった。
5月8日 今の事務所は、自分に合わないと思う
人間的に合わない。考えに付いていけない。お互いの距離感がつかめず言葉がかわせない。仕事の責任に潰されそう。僕に対しきびしすぎる。頭の回転が付いていけない。 緊張感から抜け出せず失敗ばかりする。
つまりは、辞めたいのかな!
5月4日 我が家に空き巣が入った
頭にくる日だ、みんなが居たのにどうどうと入られた。ましてや今日は休みの日。
信じられないこともある。
4月29日 脳障害児の日木流奈(ひきるな)を観た。
テレビで観て驚いた。早速本を買い、一気に読んでしまった。10才でここまで言えることが羨ましい。生きることに価値があり、廻りの人も巻き込んで苦労が苦労で無くなる境地は、すごいの一言。
自分ももっと自由でいいんだ、とはまだまだ凡夫の僕には、たどり着けない境地である。
4月28日 息子の卓球大会を観に行った。
中学3年の息子の試合を観た。わが子ながらすごい精神力だと感心した。いつものことだが、息子達には僕にはない精神力と社会的バランス感覚があるように思えて眩しい。
4月27日 今年も独りで、大山に登った。
最初の10分で辞めようと思ったが、今年も登れた気持ちと健康に感謝いたします。途中女子校生の団体に会ったり、何人かの記念の写真を撮ってあげたり、帰りは初めて日向薬師の方へ下山して、それなりにたのしいハイキングだった。
4月26日 ”仕事は楽しいかね。”を読んだ。
デイル・ドーテン著の”仕事は楽しいかね。”を一気に読んでしまった。
4月20日 横浜大道芸を見に行った帰りに、前の会社の同僚と飲んだ。

4月12日 前の事務所時代の知り合いと飲んだ。

4月6日 知合いの会社のホームページ作成を手伝って思う事。