妊娠から出産まで・・・
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平成10年8月中旬、 微熱が続いていておかしいなと感じていた。すると、妊娠生理があり、
妊娠かなと思っていたら、何日かして、出血があり違ったんだと思っていたら、
出血が1回で終わってしまいおなかも少し痛くおかしいなとまた感じはじめ、
その日は月曜日で、仕事中だった。木曜日が休みだったので病院行ってみようと思っていたがやっぱり気になってしまい、
その日の夕方早退して家の近所の産婦人科へかけこんだ。
診察の結果、妊娠2ヶ月で、「切迫流産」といわれ、「2週間動いてはいけない、この2週間安静にしてないと、赤ちゃん死にますよ」といわれてしまった。
何がなんだかわからないまま、家に帰り、すぐ会社に電話して2週間休みをいただいて、実家で寝たきりになってしまった。
といってもトイレぐらいは動いてよかったのでまるっきり寝たきりではなかった。
一週間ごとに注射を打ってもらい薬を毎日飲んで、無事に妊娠3ヶ月を向かえて、9月には仕事に復帰できました。
それから仕事しながら順調におなかの中ですくすく育っていきました。
妊娠9ヶ月に仕事を辞めて、あとは出産まで自宅にいることにしました。
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平成11年3月下旬、福岡の飯塚の方へ旦那とドライブにいった。
その日の夜から少しずつおなかが痛くなってきたのでおかしいなとはおもっていた。
でも痛みはおさまり、普通に生活していた。
平成11年4月3日(土)その日はちょうど検診の日だった。
少しおなかが痛いと話したところもしかすると、今日か、明日だろうと言われた。
その日のお昼からかなりおなかが痛くなり母が来てくれて、腰などさすってくれていた。
夕方の17時30分頃「パチッ」っとおなかの中で音がしたとおもったら羊水が流れ出してきた。
破水だとおもってすぐ病院に電話して、歩いて病院へむかった。
内診の結果、破水ではなく、羊膜の一部が破れただけだったらしい。でもすぐに入院した。
看護婦さんに痛みの間隔を計ってくださいといわれ、計ったら5分間隔だった。
出産は4日のお昼頃だろうと言われていたがどんどん早まっていき、4日の朝(夜中)1時に分娩室に入り、
まだあとひとまわり開いてないので、あと30分頑張りましょうといわれ陣痛とたたかっていた。
予定通り1時30分に分娩台にあがり、立会い出産の為、私が何度かいきんだあと旦那が入ってきた。
それから旦那にお茶を飲ませてもらいながら頑張っていきんでいた。
何回かいきんだあと赤ちゃんの呼吸が一時停止した。
私の酸素がたりなかったらしく、私に酸素マスクを用意されそうになったが
なんとかもちなおしてくれて、
平成11年4月4日(日)午前2時6分光輝を無事出産しました。 (うまれてすぐ)

出産よりそのあと縫う方が痛かった。先生は丁寧に縫う人で麻酔がきれても縫っていた。
今考えるとまたぞくぞくしてしまう。
聞いた話によると、この病院で同じくらいに産んだ人全員、痛いと叫んだらしい。
生々しい話ばかりですみません。最後まで読んでくださってありがとうございました。
