6歳になるチヅルちゃんは、転居による保育所転園手続きの空白期間(*注)に無認可保育所に通うことになった。2歳になる妹のツカサちゃんも一緒だ。
無認可保育所には認可保育所とほぼ同じように 0-5歳の年齢別にクラス分けされて保育しているところと、認可保育所の入所待ちの0-2歳児(この年齢は認可園の受け入れ人数が少なく待機児童が多い)がほとんどで全員一斉に保育するところがあるが、この保育所は後者だったので チヅルちゃんの話し相手になる子どもはほとんどいなかった。
それでチヅルちゃんは保育士をつかまえて話をしたがるのだが、彼女は口が達者で時に小生意気な言い方をするので いつもいつも彼女の相手をするのは根気が要った。保育士たる者それくらいのことができなくてどうする、と思われるかもしれない。けれども何か言うたびに「違うよ」「そんなこと知ってるも〜ん」と語尾を上げて言われると、こちらの気分もあまりよくない。
悪いとわかっていてわざといたずらをすることもある。気を引きたいのだろうが 「またか…」と思われ 悪循環になってしまうこともちょくちょくあった。
しかしチヅルちゃんは生後半年から保育所生活をしているだけあって、保育士の動きをよく見ているし
仕事の手順もよくわかっている。布団の上げ下ろしをしているとすっとやって来て手伝ってくれたり、オムツ交換しようと赤ちゃんを寝かせると、ぱっとオムツを取ってきてくれたりする。その点は実習生や新人よりも気が利くと言っていいかもしれない。
ただ、妹のツカサちゃんの世話を焼きたがり、保育士に「ツカサちゃんが自分で出来ることはツカサちゃんがやるのよ」と言われても 手を出したがることもあった。妹の方は世話してもらいたいときと自分でやりたがるときがあり、自分でやりたがると姉に向かって泣き叫んで大変な騒ぎになった。
大人の手伝いをしたがるのは子どもによくあることで その動機は明らかではないが、私は 自分より少し大きい年齢の子どもや大人と同じようにできるんだぞ、とアピールしている場合と お手伝いをしてくれるいい子として自分の存在意義を確立したい場合があると思う。チヅルちゃんがお手伝いしてくれるのは両方の理由があるだろうが、妹の世話に関しては自分の存在意義をそこに見いだしていると感じることがあった。
何故ならば、彼女の母は妹のツカサちゃんの方を可愛いと言ってはばからなかったから。
ある時 お母さんがお迎えに来て、母親をずっと待ちわびていたチヅルちゃんは −何故なら姉妹のお迎えは最後だったから− 先に靴を履いてひとり玄関を出ていったことがあった。保育士が気づいて 「チヅルちゃん、ひとりで行っちゃダメよ。さらわれちゃうから」と呼びかけた。戻ってきたチヅルちゃんにお母さんは言った。
「チヅルは一回さらわれてみたらいいんだよ。だから(勝手にそういうことするから)、ツカサの方がかわいいんだよね、ツカサ」
そんなお母さんでもチヅルちゃんはお母さんが好きだ。かわいいドレスを着たお母さんの絵を描き「またあそんでね」とメッセージを添え、お迎えに来たお母さんに渡すこともある。いつもいつも最後のお迎えになってしまうことに気づいていて「お母さん遅い…」と寂しそうに呟いている。
食事の時歩き回っているのを注意すると「おうちではこんなことしないよ。だってお母さんすっごい怖いから」と言う。そしてお母さんに怒られた話を聞いていると「でも、悪いことしたのはチヅルだから」と母を庇う。
ところで、チヅルちゃんには何人か好きな保育士がいる。好きな保育士が遅番だと喜ぶ。自分ときちんと向き合って遊んで、話をしてくれる保育士には膝に座ったり背中に抱きついたりして甘える。大人の愛情を求めることは保育所の子どもとして当然なのだが、チヅルちゃんは自分に向けられない母親の愛情を補うために、愛してくれる誰かを捜しているような気がしてならない。
これが中学や高校で自分を理解してくれる先生に出会ったのなら、その後も交流を続けてその人を拠り所にすることもできるだろう。けれどもチヅルちゃんの年齢では自分を理解してくれる保育士と出会えたとしても 「この人なら私をわかってくれる」と自覚して その人とつきあい続けることは難しい。その人を精神的に頼って生きていくことはできない。
保育所を離れると 保育士と子どもたちの関係は ぷつんと切れてしまう。年賀状をやりとりするようなつきあいではなくて、保育所の中でそうであったような深くつながれた関係ではいられなくなってしまう。 そこに保育士の限界を感じる。
求めている人が自分の方をきちんと向いてくれたら。それだけでいいのに。でも、その行き違いが人の性格を作っていくのかもしれない。
そんなことを思うと どうしようもないような、これでいいような、複雑な気持ちになる。