〜 保育日記 〜

エプロンをつかむ手  (2001/12/06)



 子どもを叱ることがある。叱られて泣いたり、つーんと向こうをむいたままだったり、いじけたり、反応は様々である。
 それでもひとつだけ胸を張って言えるのは、叱られてどんなに泣いた子どもでも、決して私を嫌ったり苦手になったりしないということだ。
 大抵の保育者はそうだと思う。
 けれども、何故か、叱ったことで子どもに敬遠されてしまう保育者がいる。
 悲しいことだけれども。

 厳しい保育士は、特に食事や午睡の場面で叱ることが多い。
 食事を全部食べなさい、早く寝なさい、と叱る(怒る)わけである。それがわかっているから、子どもたちもその保育士が来るのをいやがる。きちんと反抗できる年齢ではないから、そばに来られたら終わりだ。だから探すのである。他の保育士を。

 テーブルの側について、「給食のうた」を歌い、いただきますの挨拶をする。少し用事をしようと立ち上がろうとする私のエプロンを、ぎゅっとつかんで放さない子がいた。アスカちゃんだった。
「来てくださいっ」
 小さな声で言う。何よりも眼が必死だ。指先の力も、ちょっとやそっとでは離れないくらい強い。今私がここで立ち上がって行ったら、人間不信に陥り、私を二度と信用してくれなくなるのではないかと思うほど、アスカちゃんの黒い瞳は必死だった。

 その少し前まで、私の中でも葛藤があった。私が甘く(と”厳しい保育士”には見えるであろう)すれば「でめ先生が甘やかしてる!」と思われやしないか。決して好ましい保育者ではないのに、私も自分が悪く思われるのはいやなのだ。人間、弱いものである。
 それに”厳しい保育士”の言うことがすべて間違いというわけでもない。
 そして何より、私が”甘く”した結果、私のいないときに反動でさらに厳しくされるかもしれないと思うと、立ち振る舞いが難しいのだ。

 しかし、ある時から私は開き直ることにした。
 私は完璧な保育士ではないけれど、その”厳しい保育士”よりも正しい自信はある。だから、”厳しい保育士”にどう思われようと、私がいいと思うやり方を通せばいい。それで何か言われたら、仕方ない、言い返すまでだ。
 子どもたちの脅えた眼を見るのはもういやだった。守れるだけ守ってやろうと思った。

 私はアスカちゃんの隣に座り、食事の介助をはじめた。アスカちゃんの顔は緊張していて、自分でフォークを取ろうとしない。別のテーブルの方へ私が体を動かすと、潤んだ目で引き留める。。。

 ”厳しい保育士”は子どもが好きじゃないのだろうか。どうしてあんなに嫌われるのだろうか。だいたい、どうして保育士になったんだ?
 考えても詮無いことだが、いろいろな疑問はある。
 本当はこんな気遣いをして仕事をするなんておかしいのだ。
 それに、こういう出来事があった日は 気疲れで非常にくたびれる。
 そして子どもたちの気持ちを思うとやるせないし、可哀想になる。



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