〜 保育室から 〜

親子関係 − 「月の砂漠をさばさばと」をもとに (2003/2/13)

「月の砂漠をさばさばと」 という北村薫さん(文)とおーなり由子さん(絵)の本があります。
お話を作る仕事をしているお母さんと小学三年生のさきちゃんの何気ない日常を綴った作品です。
さきちゃんとお母さんのお互いを思う気持ち、あたたかい親子の関係を感じます。
そこで この本をもとに 親子関係について思うことを書いてみました。



いつも笑顔でいられたらいいねえ。


◆子どもへ − あなたをわかりたい

 小学校に上がる前のある台風の日、洗面所の水を出しっぱなしにしていたさきちゃんをお母さんは叱りました。小学校三年生の今になってさきちゃんは 水を出しっぱなしにしていた理由をお母さんに話します。さきちゃんの発想はとてもユニークで、さきちゃんなりの理屈が通っていました。そんなこととはつゆ知らず、お母さんはさきちゃんを叱った−。

 子どもの行動を子どもの視点で捉えて理解するのは大切なことです。 しかし、子どもの行動を常に正しく理解するのは難しいことです。難しいと言うよりも不可能に近い。 だいたい、常に正しく理解するなんて できなくてもよいことだと思います。
 育児書や教育法の本を読み、常に適切な対応をして理想的に子どもを育てようというお母さんの心がけは立派です。
 しかし、たとえ自分の子どもといえど、自分から生まれた分身のような子どもといえど、自分ではないひとりの人間です。 あるひとりの人間の行動とその理由をすべて把握し、適切な対応ができる人間などいないでしょう。
 それが「できている」と思っていたら 怖いことです。 生まれたばかりで 自力では何も出来ない赤ちゃんに対して、親は万能の神になれます(なります、ではなく)が、その勘違いを引きずっているか ただの過信です。つまり、理想的な人間を創りあげている 自分の能力の賞賛と子どもへの支配力に満足しているのではないでしょうか。素敵な手芸品を作ったように、出来のいい作品とそれを作った自分が好きなのです。
 その時、子どもはひとりの個性ある人間として 見てもらっているのでしょうか。

 さて、お母さんはさきちゃんをいわば「間違って」叱ってしまったことを知り、こう思います。
 ”−子供のやることにも、理屈があるのね。(中略)でも、あなたの理屈が見えないことは、これからだって、きっとある。そちらから、こちらが見えないことも。−いい悪いではなくて、そういうものよね。” (「月の砂漠をさばさばと」新潮文庫より)
と。私は さきちゃんのお母さんは 理想的なお母さんだと思います。何故なら 「理屈が見えないことがある」と知っているからです。それは一種のあきらめかもしれません。しかし、あきらめを知っていること、つまり子どもに対して完璧でない自分を認め、赦すことが大切だと思います。
 
 あなたのやることのすべてが見えないこともあるだろう。それでもあなたはとっても可愛い私の娘−。
 さきちゃんのお母さんから感じる 愛情に溢れながら穏やかで冷静に自分たちを見つめる気持ちは とてもあたたかいものです。



◆胸にしまい込んだことば − お母さんにだからこそ言えない

 お母さんとさきちゃんはふたり暮らしです。12のエピソードのうち、お父さんという文字が出てくる話はひとつしかありません。しかも「お父さん」と口に出されたわけではなく、さきちゃんの思い出の中にだけ出てきます。
 さきちゃんは、 なんとなく お父さんのことを話題にできない雰囲気を感じ取っています。お父さんを連想させるくまさんの話も とても慎重に何気なく切り出します。

 子どもは子どもなりに、親に気を遣って生きています。 大人同士のやりとりから 察することも多いでしょう。 人と接する生活の中で身につくことはたくさんあると思います。
 お父さんのことはいつかお母さんの口から語られるのでしょう。 さきちゃんはそのときまで待っているようです。 今 お母さんが何も言わないことで 聞いてはいけない何か重要なことだと感じているのではないでしょうか。 さきちゃんは まだ小学三年生ですが、お母さんへの気遣いを知っています。そしてきっと思いやりのある女の子に育っていると思えるのです。



◆何気ない日常 − いつか思い出すこと

 タイトルにもなっている「月の砂漠をさばさばと」は、「月の砂漠」の替え歌です。さばのみそ煮を作りながら、「月の砂漠をさばさばと 鯖のみそ煮がゆきました」とお母さんは歌いました。いつかさきちゃんが大人になってさばのみそ煮を作るとき、思い出されるであろう、歌。
 こんな、家庭だけの歌やルール、用語ってありませんか?親子だけの、きょうだいだけの、友達のXXちゃんとだけの、昔の恋人同士だけの… 他人が聞いても面白くもない会話や誰かの表情や その時の自分感情が 鮮明に刻まれて、ふとした瞬間に思い出されることはありませんか。

 今はビデオで子どもの成長を撮り、子ども自身も自分の記憶にない赤ちゃんの自分を見ることができます。しかし、子ども自身の「記憶」にある出来事は何なのでしょう?子どもの心が「感じた」 楽しかった、いやだった、と記憶に残ることはビデオの中の出来事のうち、どれくらいあるでしょう?
 過去の重大ニュースを聞いた時の状況−どこで、何をしていたときかをはっきりと覚えている場合がありますが、それは強い情動の変化があったからです。自分の裡の記憶と共に、外の記憶が刻まれるのです。他の誰のものでもない、その人だけの記憶。それが大切だと思います。私とだけ、あなたとだけしか作れない思い出をたくさん作り、大事にして欲しいと思います。

 この本に書かれている ”何気ない日常”は 何気ないけれども 多分大人になっても覚えている出来事ばかりだと思います。 淡々とした毎日の一部なのに、さきちゃんにとって お母さんにとって いつまでも残るもの。そんなエピソードを集めて描いた北村薫さんを私はすばらしいと思います。



◆最後に
 
 この本には他にも素敵なエピソードがたくさんあります。良質の童話のような、さきちゃんとお母さんのお話であり、教育論でも子育て論でもありませんが、だからこそ お母さん方にお薦めしたいと思います。 私は北村薫さんのファンですが、それを抜きにしても良い本だと言うと思います。(と言いつつ、これを読んで感嘆し ますますファンになったのでありますが)
 付け足しのようですが、おーなり由子さんの淡い色合いの絵も 何ともいえない味付けをしています。
 なお、引用以外で ここに書いたお母さんと さきちゃんの思いは 私の解釈が入っていることをお断りしておきます。

 蛇足ですが、北村薫さんは男性です。 知らないで読むと、絶対妙齢の子持ち女性が書いたと思うでしょう。


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