〜 保育室から 〜

◆子どもの心、大人の目  (2003/11/26)




◆子どもと保育士の関係

 世の中にはたくさんの保育所があり、運営形態も方針も様々です。
 中には (保育士=支配者) > (子ども=服従者) になっている保育所もあります。 それを嫌い、保育士=おともだち=子ども の図式に走ってしまう方がいます。どうもやることが極端です。対立するのも、まったく同レベルであるのもおかしな話だと思います。
  大人であることに重点を置きすぎて 安全のため監視員のように立ちん坊になっている保育士と、子どもに戻ってただ遊んでいるだけの保育士。どっちもどっちです。私はどちらも保育者とは言えないと思います。
 子どもと保育士は、敵対する上下関係や服従関係にあるべきですか?
 それともまったく平等に子どもの一員となって遊ぶべきなのですか?
 上下じゃなければ同じ。そんな二者択一をするしかないのでしょうか?



◆子どもと遊ぶときも

 子どもと遊ぶのも保育士の仕事のひとつだと思います。仕事のうち、と言うと 義務で遊んでいるのか?と思われそうですが そうではありません。遊ぶときは子どもと一緒になって 子どものように無邪気に遊んで心から遊びを楽しむのです。
 しかし子どものように遊んでいるときも、保育士は子どもと全く同じ存在であってはいけないと思います。 子どもと一緒に心から楽しみ、感動しているときでさえ、頭の隅に冷静な大人がいなければ 子どもたちの安全は確保できないし、子どもたちを理解することもできません。
 子どもに戻って楽しいだけの時間を過ごしているのは一種の退行であり自己満足で、保育士としては職務放棄だと思います。
 子どもと遊んではいけない、事故がないように見ていなければならない、という保育所は行き過ぎですが、責任は果たしています。

 最初に勤めた保育所で 避難訓練をした際、訳あって保育所を快く思っていない近所の方から「うるさい」と苦情が入ったことがありました。その時保育士のひとりがこう言いました。
「こっちは100人の命を預かっているのよ。それを守るための訓練をうるさいって言われてやめるなんてできないわよ」
 大げさに聞こえるかもしれませんが、私はこの言葉を聞いてはっとしました。怪我がないように、事故がないようにと思っていたものの、命を預かるというほどの自覚がなかったのだと思います。
 命を預かる責任は、子どもには負えません。



◆大人として存在すること - friendly or friend?
 
 これは又聞きの言葉なのですが「アメリカの先生はfriendlyであるがfriendではない」と言うそうです。 なんでも欧米のやり方がいい!!と思わないけれども、こんな言葉を聞くと参りました、と思います。 
 アメリカの先生は先生然として威張って子どもを見下しているわけではなく 親しみやすいけれど、ともだちではない。私はそんな風に解釈しています。

 一時期「ともだちのような親子になりたい」という女性が増えました。ともだちのように何でも話せる、仲の良い親子。それだけなら微笑ましいですが、「子どもに嫌われたくない」親の幼さの現れのように感じられました。つまり叱り役、憎まれ役になりたくない、大人の役割を放棄しているのです。
 それに 本当ならともだちというのもお互いを思えば相手に厳しいことを言うはずですが、「ともだち親子」は相手にとって不快なことは避けてただただ楽しく一緒にいる、という意味のように思えました。それでは困ります。

 大人、しつけ、叱る … これらの言葉に対して否定的で <大人>を毛嫌いしてみたり 「うちはしつけという言葉を使わずに育てました」などとおっしゃってみたりする方もいます。が、大人とは悪い意味ばかりの存在ではないし、しつけや叱るも要するに違う言葉を使っているだけで、行動の意味するところは同じだと思います。
 食事や行動の作法を教えること、いけないことはいけないと伝えること、わからせること。それらは社会の中で常識を得て(多分上記のような方は常識という言葉も嫌うでしょうが、これもなくては困るものです) 大人として生きているからこそできることではないでしょうか。
 この時の大人と子ども、あるいは教師と生徒のように 教える者と教わる者の関係 −上下関係は存在します。大切なのは その時 教わる者を ひとりの人間として尊重し、「教える者は尊く、教わる者は格下の存在」と勘違いしないことだと思います。
 そして きちんと親として、保育士としての役割を果たすことは大人としての義務だと思います。



◆子どもの中に見ているもの

 大人に支配されている子どもたちを見て、そうではない保育をしたいと思うのは当然です。中には残念ながら、ひどい保育をしているところもあるでしょう。私もベテラン保育士たちを見ていて どうしてそういう言い方をするんだろう、どうしてそんなやり方をするんだろう、と疑問を感じて 試行錯誤してきた方です。ベテランたちが目指すところを否定するのではなく (目指しているところはおそらく同じだった)、もっといい方法がないのだろうか?という点で否定していました。
 しかし、現在の状況をすべて否定している 「おともだち」保育者の方は、子どもたちの中に何を見ているのだろう?と思うことがあります。
 例えば、これまで出会ってきた「先生」たちを反面教師として保育に生かしていくならよいのです。 そこには問題分析と解決法を冷静に行った跡が感じられます。
 そうではなく、立場に立って他の保育士に反抗するというよりは、子どもに自分を投影して 大人である保育士に反抗しているように思うのです。
 目の前の子どもたちの問題ではなく、自分が抱えてきた心理的問題を解決しようとして必死になっているだけで、肝心の子どもたちを見ていないのではないか −。
 現状の保育を改善したいと思うのであれば、子どもたちそのものをきちんと見つめて欲しい、その上でどんな風に何をしたらいいか考えて欲しい、と私は思います。自分自身が大人になって。

 子どもの心をわかりながら、大人の目を持って保育する。私はそんな保育士でありたいし、そういう保育士が増えて欲しいと思います。子どもたちのために。
 …今回はまとまりのない話になってしまいました。

 


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