Tの道のり
Tの子供は平成7年生まれの女の子。
小さな頃から体を動かすのが大好きな明るい元気な子です。
一人っ子ならではのわがままっぷりも見せるけど、心の優しい子です。
妊娠中(H7年)
妊娠3ヶ月から出産するまでの約6ヶ月間、切迫流産と早産のためずっと入院をしていました。
シロッカー手術を受け、約2ヶ月半入院後一時退院、切迫流産で再度入院。 出産可能日まで約2ヶ月間入院、退院後久々の我が家は信じられないくらい汚く、カビ臭かったです。退院早々家の大掃除。そのせいか、その夜ちょっとおなかの痛みあり。
深夜2時頃おしるし。 3時には病院へ到着、出産に向けてのもろもろの処置後、陣痛室のベッドで横に。
妊娠してからずっとお腹が「はった」状態だった為か、陣痛が起きてるのかどうか、自分ではわかりませんでした。
何んかちょっとお腹が痛い。「あいたたた!」ってちょっと顔をしかめる程度の痛みから、体が熱くなってきて、あまりの暑さに靴下を脱いで、小さなベッドの上でゴロゴロしてたら、子宮口は全開でした。
ちょうど様子を見に来てくれた助産師さんが確認すると、赤ちゃんの頭部が少し見えていた状態でした。
「まだまって〜!」と言われながら、股に手を当ててガニ股で歩いて分娩台へ。 力んだつもりもないままギリギリセーフで受け取ってもらいました。 出産後ドクター到着。「早すぎだよ〜」と言われながら、裂けまくった箇所を14針縫われました。
おしるしから約5時間のスピード出産でした。
出産(H7年)
朝7時15分 2890gの女の子と出会いました。
あまりに速く生まれたせいか、泣いていませんでした。 ちょっと顔を見ただけで隣の部屋へ連れて行かれ、少したって助産師さんから、泣いたからね。と教えてもらいました。
出産後4時間位して、今まで経験したことのない激痛に襲われ、脂汗と失神しそうな痛みにウンウン唸っていました。
通常は膣の中を回転して生まれてくる赤ちゃんが、回転せずに生まれた様で、膣から肝臓付近まで内出血をしていました。 肝臓まで達したら、手術をします。と言われ、ガックリ。
しかし、運よく肝臓手前で内出血は止まり、自然治癒で様子を見る事となりました。治癒まで約6ヶ月間かかりました。
出産後(H7年〜)
生後2日目、黄疸に。殆ど出ない母乳もあげる事が出来なくなりました。
24時間のブルーライト治療を受け、復活。しかし、その後も母乳は殆ど出ず、人工ミルクで育てました。
出産後1ヶ月で職場に復帰しましたが、一般的な職場ではなかった為、子供を隣で寝かしながら仕事をしていました。
その為、遠出をする時以外は布オムツで育てました。
オムツが汚れても、おなかが空いてもあまり泣かない子でしたが、育てやすい子だと気楽に考えていました。
生後6ヶ月近くになって初めて、母親の姿が見えなくなると「ふえ〜ん」と泣き声を発っする様になりましたが、おお泣きする事はありませんでした。入院中に仲良くなったママ達と子供を連れて遊ぶ事がたまにありましたが、他の子との大きな違いはなく、今思い出しても発達障害を思わせるものは何一つありませんでした。
生後6ヶ月(H8年)
他県に引越し。Tは退職し、引越し先で新に仕事を探しましたが、核家族の為なかなか仕事は見つかりませんでした。
方言は分からず、閉鎖的な田舎にもなじめず、友人を作るのにも時間がかかりました。
1日中家の中にいて、話をするのは主人だけの期間が続き、引越して3ヶ月後にはたまに主人以外の人と会話をする機会に恵まれても、言葉が上手く発せられず、どもってしまっていました。
育児書も読まずに子育てと言うよりただ淡々と娘の世話をしていました。 娘より1週間早く生まれた主人の従兄弟の子供が近所にいて、たまに会いにいきましたが、オムツを替えるときに「気持ちいいね〜」「キレイキレイしましょ」と声を掛けながらやっているのを見た時ちょっと衝撃を受けました。Tには母性本能が無いのでは?と思う位でした。
Tは小さい時から子供より大人といるのが楽な子でした。また、小さい子や子供が大嫌いで、子供はうるさくて、汚くて、面倒な物と感じていました。そんなTも何故か子供に恵まれ、出産。自分の子だけは自分でもびっくりするほど可愛いと思っていたし、育てているつもりでしたが、私は母親になってはいけないのでは?と思わせる物がありました。
Tは黙々とミルクをあげ、黙々とオムツを替えていました。「美味しいね〜。」「もっと飲んでごらん」なんて声を掛けたことすらなかったのです。 この件があってから、Tは常に声を掛ける練習をしたものです。
このオムツ事件はTの心に今でも重く圧し掛かっています。
生後9ヶ月(H8年)
人見知りを一切しない、後追いもしない子で、なんて育て易い子なのかと思っていました。
ハイハイもしないままつかまり立ちをし始め、あっと言う間にヨタヨタと歩ける様になりました。
あまりに早く歩き始めたので、足の骨がまがるのでは?と思った程でした。
歩行器が大好きで家中を猛スピードで移動し、力が強く動かせないと思っていた物や考えられない行動も良くありましたが、気になっていた事は言葉が遅い事だけでした。
タンスの引き出しの隙間に指を入れ、よじ登りタンスの上に立って満面の笑みで声を上げていたり、網戸を叩いて網戸ごと外へ転落したり、テーブルの上の真ん中に置いておいたカップ麺をテーブルによじ登り指で引っ掛け、太ももに焼けどをしたり、ベッドの上で飛び跳ね、サイドテーブルの角でこめかみをざっくり切って4針縫ったりしました。
良く動く子で力が強い為、親戚からは将来プロレスラーになるかも!と言われていました。
生後10ヶ月(H8年)
トイレトレーニングらいしい事もしないまま、ほぼ9割り方おまるでのトイレが出来ていました。
自分からおまるに行ってトイレを済ませていた為、Tに声をかける事がありませんでした。 Tも「トイレは?」と聞く位でした。
残念な事に、1回だけなのに、おまるからおしっこがはみ出してしまい、汚れた事に「ああ〜汚れちゃったじゃない!」とTが声を出してしまってから、一切おまるでトイレをしなくなってしまいました。
それから通常のトイレトレーニングをし始めましたが、完全に本人のやる気はなくなっていました。
完璧に近かったおまるでのトイレは全く出来なくなり、私もトイレトレーニングを一時やめることにしました。
1歳(H8年)
やっと仕事を見つけ、未満時保育へ。完全に元にもどってしまったトイレトレーニングは1ヶ月後には完璧にトイレが出来るようになっていました。保育園はすごい場所だと思ったものです。
Tは仕事先で方言を覚え、友人も作り、なんとか地域にもなじめ始めました。
保育園ではとても元気な子だと言われ、気がかりだった言葉の遅さも、保育園でよくなるだろうと簡単に思っていました。
同年齢の子に比べると行動範囲が広く、小走りで好きな所に行くため、いつも目が離せない子でありましたが、問題だとは思っていませんでした。
2歳(H9年)
保育園では相変わらず、元気な良い子で通っていました。
特定の仲良しの子はおらず、誰とでも仲良く遊べる子と思っていました。
3歳(H10年)
年長さんとトイレで大乱闘、顔に今でもうっすらと残る傷あとがあります。
保育園での対応は今考えるとびっくりですが、怪我をさせた親からの謝罪はなく、保育園側はやられっぱなしではありませんでしたよ!と互角に戦ったことをまるでほめるかの様な対応でした。
体を動かす事が大好きで、家でも外でも曲が流れると、曲に合わせて体を揺らせて踊ってる様な行動をしていました。
そのせいか、年少、年中、年長すべてのお遊戯を覚えたと、保育園では良く褒めてもらいました。ここでは全く問題のない、とても良い子でしたが、今思うと、本当に保育園でトラブルはなかったのか?と思ったりします。
もし、お友達と喧嘩したとしても、きっとこの保育園は保護者に話す事はなかったのでは?と思ったりします。
娘と大乱闘した子は今思えば、自閉症の子だったと思います。あの子は元気にしてるのかな?とたまに思ったりします。
その子は卒園後、施設へ入所し、長期休みの間だけ自宅に戻る様でしたが、その子の母が長期休みも施設にいてくれればいいと話していた事を思い出します。彼女もまたいっぱいいっぱいだったのかな?
3歳半(H11年)
現在の県に引越し。
新に方言を覚え、友人も早く作らなくてはと意気込み、育児サークルに参加。
初めて、他の子供と自分の子供の違いを感じ始めました。
いつもいつも目が離せられない、じっとしていない、うるさい、ベタベタ甘えてこない。この事が通常ではないのでは?と何となく感じ始めましたが、問題とまでは考えませんでした。
○○をしてはいけない、○○しなさい、どうして出来ないの。と良く怒っていましたが、私の子育てが厳しい位にしか思わず、注意をしなくてはいけない事が多い事にも問題を感じていませんでした。
育児サークルや児童館などで年の近い子たちと遊ばせている時も、お友達に手をあげる事はありませんでした。
力が強い為、おもちゃの取り合いではいつも勝ち、取り合いに負けた子から叩かれる事がとても多く、叩かれても泣きもしない娘を良く我慢したね!と褒めていました。
4歳半(H12年/年中)
近所の保育園に年中として入園。
同年齢の子に比べると体は小さ目ですが、風邪などの病気にも殆どならず、とても健康な子でした。
朝 保育園に送りに行って、他の子がママ〜!と大泣きしている横で、娘は振り返りもせず、走って園内に消えて行く毎日でした。 保育園になじめていると勘違いした私は、職探しをはじめ、入園1ヵ月後には職場を見つけ、延長保育に変更しました。
保育園はママ達のグループが完全に出来ていて、他県から来た私には打ち解ける雰囲気が掴めず、諦めてしまいました。
また、職場で友人が出来ればとも思っていました。
4歳半(H12年/年中)
延長保育を始めてすぐ、保育園より呼び出しがありました。
初めての呼び出しは不思議に思いましたが、お迎えのついでに先生と話すのだと、軽い気持ちで保育園に行きました。
担任の先生と園長先生が座って待って居り、お話しは30分位だっと思いますが、何故呼ばれたのか理由も分からないまま、娘の家での様子を聞かれ、家で何か問題はありますか?と聞かれただけでした。
一人っ子なので目が届き易いのか、問題と言う程の問題を感じないまま子育てをしていました。
もっと出来て欲しいことや、上手にやって欲しいことはたくさんありますが、保育園の先生に「問題」として話すような内容ではありませんでした。 もちろん、このときのTの回答は「問題はありませんが、何かありましたか?」でした。
数日後、保育園よりまた呼び出しがありました。
お迎えの後30分から1時間位 話すだけでしたが、この呼び出しは1年以上続きました。
「何か問題はないか?」と毎回の様に聞かれましたが、何を言えばこの先生の期待に応えられるのか?とこちらが悩むばかりでした。 何故保育園に呼ばれるのか?何を知りたいのか?何が問題なのか?私の疑問はやがて、他県から来たよそ者のTをいじめているだけ、他の保護者に言いたいけど言えないうっぷんを私で晴らしているのだ。と思う様になっていきました。
「お友達に怪我をさせたんですか?」の答えはいつも「いいえ、そうではないです。」
「保育園で何かトラブルがあったのですか?」の答えはいつも「いいえ、そういう訳ではなくて。」
「何か壊したのでしょうか?」の答えはいつも「何も壊してないですよ。」でした。
では何故、ほぼ毎日の様にお迎えに行くと「ちょっといいですか?」と呼び出されるのか?
「家ではどんな子育てをしていますか?」「家では問題はありませんか?」「本当ですか?」の繰り返しに3ヶ月もすると、保育園にお迎えに行けなくなっていました。 「また呼び出されるかも」と、その不安でいっぱいでした。
主人が迎えに行くときは保育園もちょっといいですか?と主人に声を掛ける事はありませんでした。
「一人っ子だから甘やかしてしまうんですよ、早く兄弟を作ってあげなきゃ」と良く言われましたが、今ならキレていますね。
5歳(H13年/年中)
年中もいよいよ終わりの時期、保育園のママ達と飲み会がありました。
お酒大好きのTは、仲良しのママはいなかったけど気にせず飲み会に参加。
この飲み会がTにとってはちょっとした転機になりました。
この席で初めて数人のママ達とお話をする事が出来たのです。
遠巻きに保育園から毎回呼び出しを受けている件を話したのですが、うちの子とトラブルがある子がいるか知っているか?知っていることがあれば、何でも教えて欲しいとお願いしたのです。
この時、ママ達はTの娘は元気で明るくて面白い子だと言ってくれました。そして、どの子も保育園での話しの中でTの娘の話をいつもしていたのです。 初めて保育園での娘の生活が分かった気がしました。
娘は保育園での出来事を家で話さなかったからなのですが、保育園での話しを家でしない事が問題であるとはこの時は感じていませんでした。
他のママ達談では担任の先生、園長先生は独身だから子供の事は分からないのよ!一人っ子をバカにして!と以外にイメージが悪かったのがびっくりでした。また、ママ達がすごく仲が良くてグループ化している件に関しては同級生、先輩後輩、職場の同僚、先輩後輩と繋がりが深かったからでした。また、この繋がりは良い時と悪い時があるようで、クラスのドンと呼ばれるママがいて、顔色を伺う事もあると聞き、これまたびっくりでした。
5歳半(H13年/年長)
クラスは持ち上がりで転校転入で数名の変化があるだけでした。
飲み会以来話しが出来るママ達が出来て、ちょっと気持ちに余裕が出来たのもつかの間。
保育園から、昔保育園で講演会を開いたときに来た事がある先生に娘を見てもらってどうかと思う。と言われました。
何が問題なのかの説明もないまま、漠然と子育てを否定されてきたTは専門家だと言う第三者に娘を見てもらう事はかえって好都合でした。これで何かわかるかも!と言う期待もあったからです。
担任の先生、主人、T、娘の4名でその専門家の所へ行きました。
その専門家は娘の様子を1時間程見て、2,3娘と言葉を交わし、その後1時間程私と主人とこれまでの子育てや保育園から言われた事など、他のママ達からは問題がなさそうな事等を話し、担任の先生と二人で話しをしました。
たったこれだけですが、その専門家は娘は自閉症ではないですよ。と言われました。
その時初めて、保育園は娘の事を自閉症だと思っていたのだと、知りました。
発達障害と言う言葉も知らず、知識も全くありませんでしたが、自閉症はちょっとだけ知っていました。
Tの小・中学校の同級生に自閉症の子がいたからなのですが、ありえない!と思いました。
私が知っている同級生とは全く違っていたからです。
こだわりもない、パニックもない、目もそらさない、突然の音、突然触れられる事にも驚かない、突然話し始めない、
突然抱きつく事もない、突然怒りだす事もなかったからです。
その専門家は、問題ないと思うけど、もう一度今度は家族だけで来てくださいと言われました。
1ヶ月後その専門家の所へ行き、30分程娘の様子を見て、Tと主人と話しをして全く問題はない。と言われました。
病院で発達障害児を療育する勤務経験があり、アスペルガーに詳しいとうたっているその専門家は2回の簡単な行動分析で娘を全く問題ない子と判断してしまった訳ですが、その時のTは本当にうれしかったです。お墨付きを頂いたと思い、保育園は信用のならない場所だと、完全に思ってしまいました。
保育園側は、その結果が気に入らなかったのか、約1ヵ月後、小学校でスクールカウンセラーをしていると言う人に娘をみてもらった様で、娘がお友達を叩いたと言い、そのスクールカウンセラーから娘の件で話がしたいと自宅に電話がありましたが、タイミングが最悪で、その時ちょうど自宅で大問題が起きていたため、会う時間は当分作れないと伝えました。
そのまま、翌月には急遽転園する事となりました。
5歳半(H13年/年長)
保育園での長期間にわたるストレスと自宅での大問題のストレスを相当受けていましたが、転園と言うまたとないチャンスを得たとも思っていました。これで、保育園でのストレスは無くなると信じていました。
新しい保育園からは前の保育園で問題等はありませんでしたか?と質問されましたが、色眼鏡で見られることがないようにと思い、前の保育園での事はなにも話しませんでした。
新しい保育園に通うようになって約1ヶ月後、保育園から呼び出しがありました。
前の保育園で問題がないと言っていたけど、こちらはすべて知っているんだ!と言われました。
衝撃でした。なんて姑息な人たちなんだろうとも思いました。
この頃の私は精神的に落ちるトコまで落ちた様な感覚があり、これ以上落ちる事はないといった、変な開き直り方をしていました。 失うものは何もないと言ったような、周りに気を使う事よりも自分のストレスを無くす法が重要だったし、相手が気を悪くするかもと言った気遣いも絶対するものかと思っていました。保育園はTにとって敵でしかありませんでした。今度こそ絶対やられない、やり返してやると言った感情が強かった様にに思います。
「前の保育園は信用していない。専門家は全く問題ないと言った。色眼鏡で見られるのが嫌だったから、わざと何もいわなかった。」と、保育園には説明しました。
新しい保育園は取り合えず様子を見てみましょうと言い、毎日の呼び出しと言った事はありませんでした。
6歳(H14年/年長)
新しい保育園から連絡があり、様子をみてきたが集団行動が取れない為、行動分析をしてみたいと思うが、しても大丈夫かと言われました。初めて問題とは何かが分かった瞬間でした。「集団行動がとれない。」今までの問題とはこの事だったのかと思いました。行動分析を是非してくださいとお願いしました。
それから、約1ヶ月後保育園から行動分析の結果が出たから来てくださいと連絡がありました。
これでもっと色々な事が分かると思い、早速保育園へ行って見ると、児童相談所の職員の方が二人見えていました。
通された部屋にはその職員の方が待っていました。 行動分析の結果を教えてもらえると思っていましたが、その職員方はTの育った環境や子育てについて質問してきました。 行動分析の結果ではなく、Tが娘を虐待をしているかどうかの確認でした。 TはK県出身。その職員の方は県によって集団行動を重視する人、個人の行動を重視する人がいると言われました。そして、K県出身の人は集団より個人を優先するんですよね。と言われました。
長野県は個人より集団を重視する県だとか、その為ちょっとでも個人行動が目立つと注意の対象になると言われました。
それが、良いのか悪いのかは県の特性で大きく分かれるのだとか、行動分析をしても、長野県の人は問題あると判断し、K県の人は問題ないと判断すると言った事なのでしょう。
Tは「保育園には失望している、前の保育園、今の保育園、どちらからも娘の悪い事しか聞かされたことがない。人は褒められて伸びるのではないのか?子供を育てる保育園が子供を褒められないとは何たることなのか?子育ての注意をするなら保育園の職員を注意するべきでは?」と言いました。 児童相談所の職員の方は笑っていましたが、Tは本当に保育園に失望し、二度と信用しないと強く思いました。
6歳(H14年/年長)
保育園からは「行動分析をしてもらった時はいつも調子が良くて判断出来なかったんですよ、酷い時を見てくれれば良かったのに」と言われましたが、専門家には「全く問題ない」と言われ、児童相談所の職員の方にも問題があるとは言われず、Tは安心してしまいました。
卒園が近づくと、保育園からは捨て台詞の様に「小学校では普通学級なんか行けませんよ。」「普通じゃないんだから。」と言われました。
「普通学級に行けない。」この言葉はすごく胸に残りました。
問題ないと言われ安心している反面、小学校から普通学級には入れませんってもし言われたら養護学校って事?どこからいつ連絡がくるのだろう?と思っていました。
思うだけで、何かを調べたりどこかに聞いたりすることもなく、漠然とこれからどうなるんだろうと思っていました。
6歳半(H14年/小学1年)
役場から小学校入学許可の葉書が送られてきた時には「ああ、ちゃんと小学校に入学できるんじゃん」と思いました。漠然と持っていた不安もいつの間にかなくなり、信用ならない保育園ともこれで本当にお別れだと思いました。
学童保育にも登録し、無事入学を済ませたと思っていました。
桜が咲く中、無事入学式を終え、初めてのクラスでの担任の先生の挨拶の長さにびっくりしながらもこれから始まる小学校生活が普通に楽しいものだと思っていました。
素人が教えても良くないだろうと思い、Tは娘にひらがなを教えていませんでした。
ひらがなで書かれた自分の名前は分かっていましたが、読めていたわけではありませんでした。
初めての事だらけなのに、家に帰ってから興奮した様子もなく、今までと変わらずにいる娘に安心し、手を掛ける時間も減っていきました。
毎朝バタバタと慌しくしていましたが、自分で着替え、歯磨きは仕上げだけ見る様になっていました。
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少しずつ書き足し中です。
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