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1.子どもに助けられながら
私たち夫婦が里親として歩みだしたきっかけは、結婚して15年目のことです。子どもは4人与えられ、生活もなんとかできている。このことに感謝しなくては、なんとかこの感謝を忘れないように、私たちにできることは何があるのか、お金を儲けることは苦手だし、またそんなに豊かでもない。また子ども達に残しても、いさかいの元になる。お金など残さないで、子ども達が一生持ち続けることのできるものは、何なのか。そんなことを夫婦で考えている時、奥田花枝さん(当時里親会中央地区の副会長)のことを耳にしました。実の子どもではないけれど、それ以上に大変いい関係を保っておられるとのこと。私たちにもそのようなことができないだろうか。さっそくこの気持ちを相談に伺いましたところ、里親会への入会を勧められました。気持ちのさめないうちに市役所の福祉課に申込みに行きました。
それから、早く早くという気持ちで、こどもセンター、家庭養護促進協会、新聞の記事へと、夫婦で走り回りました。でも、そう簡単には運んでくれません。約1年近くたった12月18日のこと、今日で期限の切れる幼児がいるのですが、どうですか?と電話がありました。夫婦で話し合いました。親の方から子どもを選ぶことも、子どもの方から親を選ぶこともできないし、またしてはならない。これが私たちの得た答えでした。私たちに与えられる試練なのか、また楽しみなのか、知る術はありません。ただひとつ胸にした言葉で出発しました。聖書の中の「わたしがあなたがたに対していだいている計画はわたしがしっている。それは災いを与えようとしているのではなく、平安を与えようとするものであり、あなたがたに将来を与え、希望を与えようとするものである。」
まる14年の道のりは、けっして楽なものではありません。涙あり、喧嘩あり、無言ありの道でした。始めたものを途中で投げ出すことはとてもできない。その度に何故ですかと神に問いかける日々も、「神の栄光が顕われるためである。神をほめたたえるためである。」とのことばに今日の日を迎えました。
よく小さい子どもを育ててえらいなぁと言われますが、その度に「私の道楽よ」と答えています。この道を楽しむ、これが道楽だと。人は成長すると明るさをどこかに忘れてくるのか、大人ばかりの家庭になると、いつのまにか言葉が少なくなり、明るさが消えていくように思われる。大人はもっと幼児の持っている周りを明るくするパワーに感謝しなければいけない。幼児にどんなに大人が明るさをもらい、元気をもらっているかを認識する必要があると思います。疲れて一日を終えようとする時、お帰りの明るい声に、心が回復され、走りよって抱き着いてくる時、その体いっぱいの元気をもらうように思います。
個人のプライバシーが叫ばれて随分になりますが、いつのまにか核家族になってしまい、それぞれの家庭に明るさが足りなくなってきたように思います。2世帯、3世帯の大家族の良さを再確認する時が来たように思います。
今、わが家は7人家族。お正月や夏休みは10人を超すこともあります。人数が多すぎて寝るところがなくなりますが、6才から年寄りまで、多く集まってくれることが、とっても幸せに思います。
最近思うこと、それは命に感動しなくなってきているように思います。
草花の命、小さい虫たちの命、すべての命を守られ、継続するようにと創られた方がおられることを忘れて、その中で人は生きようとしている。
一番大切なことを忘れ、その中で喜びや幸せというものを手に入れたいと、人はもがいている。
これでいいのだろうかと、一人ひとりに気づいてもらえたら、きっと幸せはすぐそこにあるように思います。
私達の感謝や喜びは幸せへの道の道しるべではないでしょうか?
川 端
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