京都観梅散策ハイキング 2012年2月25日(土)雨後曇り
梅花祭で賑わう北野天満宮を参拝し、世界遺産に登録された金閣寺を拝観
その後、今宮神社、大徳寺を巡るコース
午前中は雨が降っていましたが、昼食に権太呂の手打ちソバを頂いた後からはお天気も回復して
15名で楽しい1日を過ごす事が出来ました。
北野天満宮は、菅原道真公(菅公)をおまつりした神社の宗祀(最も中心になるものとして尊びまつる)で、
親しみを込めて「北野の天神さま」と呼ばれています。
平安時代中頃の天暦元年(947)に、京都に住んでいた多治比文子や近江国(滋賀県)比良宮の神主神良種、
北野朝日寺の僧最珍らが、当所に神殿を建て、菅公をおまつりしたのが始まりとされます。その後、藤原氏により大規模な社殿の造営があり、永延元年(987)に一條天皇の勅使が派遣され、
国家の平安が祈念されました。この時から「北野天満宮天神」の神号が認められ、
寛弘元年(1004)の一條天皇の行幸をはじめ、代々皇室のご崇敬をうけ、
国家国民を守護する霊験あらたかな神として崇められてきました。
江戸時代には教育施設として各地に読み書き算盤を教える寺子屋が普及し、
その教室には必ず天神さまがおまつりされ、あるいは神影(菅公のお姿を描いたもの)が掲げられ、
学業成就や武芸上達が祈られてきました。現在、全国各地には菅公をおまつりした神社が、およそ一万二千社とも言われ、
その多くは当宮から御霊分けをした神社であります。
菅公は世々に「文道の大祖・風月の本主」と仰ぎ慕われ、
学問の神様としての信仰は昔も今も変わることなく人々の生活のなかで受け継がれています。
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| 喫茶店で、美味しいコーヒーを頂いてホッと一息 楽しかったですね | |||||
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| 臨済宗大徳寺派の大本山で龍寶山と号する。 鎌倉時代末期の正和4年(1315)に大燈国師宗峰妙超禅師が開創。室町時代には応仁の乱で荒廃したが、 一休和尚が復興。桃山時代には豊臣秀吉が織田信長の葬儀を営み、信長の菩提を弔うために総見院を建立、 併せて寺領を寄進、それを契機に戦国武将の塔頭建立が相次ぎ隆盛を極めた。 勅使門から山門、仏殿、法堂(いずれも重文)、方丈(国宝)と南北に並び、その他いわゆる七堂伽藍が完備する。 山門は、二階部分が、千利休居士によって増築され、金毛閣と称し、利休居士の像を安置したことから秀吉の怒りをかい 利休居士自決の原因となった話は有名。 本坊の方丈庭園(特別名勝・史跡)は江戸時代初期を代表する枯山水。 方丈の正面に聚楽第から移築した唐門(国宝)がある。方丈内の襖絵八十余面(重文)はすべて狩野探幽筆である。 什宝には牧谿筆観音猿鶴図(国宝)、絹本着色大燈国師頂相(国宝)他墨跡多数が残されている。 (10月第二日曜日公開)現在境内には、別院2ヶ寺、塔頭22ヶ寺が甍を連ね、それぞれに貴重な、 建築、庭園、美術工芸品が多数残されている。 |
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