2001年5月の日記 (Pa:iva:kirja)

そして一大イベント

 1 Va:ppu

メーデーの日には、何時の頃からかこの高校卒業のシンボルである帽子を皆が被る。ヘルシンキならハヴィス・アマンダ像に帽子がかぶせられる午後6時に帽子を持ってきて(コートの中などに隠しもって)いる人は皆被る。ポリの場合は熊の銅像にかぶせる瞬間がそれである。政治的なことも絡んでいるようで、被らない人もいるし、戦時中にその年代で高校を終了できなかった人たちは帽子を持っておられない。メーデーらしく別の場所で政治的パレードをやっている団体もいる。(俗に言う赤っぽい人達) 更に、白い帽子は年経て黄ばんでいるのが一番「いけて」いるいるらしく、TV番組でも太陽に当てたり等の方法を紹介している。洗っちゃいけないんである。。。外国人としては何で汚いのをそのままにしてるのかねぇ、と思ったのだったが謂れを聞いてなるほどね、失礼致しました。 またこの日は大学生達が色々活躍する。各大学オリジナルの(でもって学部ごとに色の違う)ツナギを着て、更に知合いからかき集めた色んな会社などのワッペンを元のツナギの色が見えなくなるくらいにべたべたに張るのがこれまた良いらしい。ポリには大学は無いが、タンペレ大とトゥルク大のジョイントベンチャー組織の学部が有り、彼らがイベントをリードしていた。

あと帽子には他にも色々ポイントがある。帽子の前に付いている記章?は普通は銀色なのだが、後で金のボタンに取り替える人も多いらしい。後帽子の裏は青と白、つまりフィンランドの国旗(Suomen Lippu)の色にする人もいるし、サタクンタ地方ではスェーデンの影響からか青と黄色が多い。スェーデン人が多く居住する地域では彼等専用の帽子生地をつけて売っているとか?4月末、ヘルシンキのスェ人向けの帽子やオーナーがTVに出ておりました。ちなみに前年度の学生達の騒ぎぶりも放映されていて、うわぁ、はじけてんなぁ、と驚きました。飲むは歌うはジャグジーに帽子被ったまま男女入り乱れてすっぽんぽんだわ、、、これは一部の都会の高校生だけだと思いますが。さすがに顔にはモザイクがかかっておりました。あけっぴろげではあった。

 7 ブライダルエステ?Body care for bride.

フィンランドにはパッケージプランのようなブライダルエステは無いが、ブライダル雑誌を読むと矢張りそれなりのお手入れはするらしい。そこで背中の少し出るドレスでもあり、スキンケアなどなどをお願いする事にした。二回通って750MK、結構高いと思ったけどどうなのでしょうか。(フットバスでペディキュア、マッサージ、腕、足などの無駄毛処理、背中の産毛処理、顔も同じ、眉毛トリミング、パック等)

 9 家族到着、10 翌日市内観光  Family arrived, city tour

日本からうちの家族がフィンランドに着いた。家族揃って海外にいるのははじめてである。最初ヘルシンキで一泊して観光をしてきたらしい。翌日ローカルフライトでポリ空港へ到着。4ヶ月ぶりだったけど久しぶりという感じはしなかった。早速ホテルへチェックイン、少ししてから旦那の両親の家へ。実は両親達は会うのがこれが初めてなんである。普通は結婚前に色々あったりなんなりするもんだと思うが、なにせ遠い。結婚するのは本人達なんだし、という理屈でここまで引き伸ばした。私は小さい頃母達から英語を習ったが今ではすっかり駄目らしい。祖父は高校の英語教師で、戦時中プレッシャーを受けながらも英語教育を推進したと聞いている。祖父母の家にはいつも小難しそうな本がたくさんあって祖父はタバコと本の匂いの印象がある。広島県ではゴルフやらバイト先やらで祖父の教え子の人たちに何らかの機会で会う事が多かったが、いつも「あの先生のお孫さんか」、と私にちょっかい出そうとしていた親父も途端に態度が改まるのであった。祖父に感謝。英語が好きになったのも彼のおかげかもしれない。ただ孫としてはまだまだ恥かしいレベルである。.

   11 身内客を招いて自宅でパーティ Home party for foreign guests

昼は、当日パーティに使うレストランへうちの家族をランチに連れて行った。ここはSuomalainen Kulbi (Finnish Club)といい、昔は地域の名士達が集う会員制の所だったが、まあそれもご時勢で今では誰でも食事にいける。古めの木造の建物で、内装は白を基調としたシンプルだが懐かしい雰囲気が漂う場所である。夏のポリジャズの頃は屋外席も客であふれるが普段は土曜に結婚式などのパーティを二回の広間で行い、階下はレストラン営業をする。ランチはビジネスなどの改まったランチで個室を使うので無ければ予約不要。そして名前どおり、伝統的フィンランド料理を頼む限りこちらでは心配要らない。各種魚、肉料理、野菜料理、スープ、これまたシンプルだが満足の行く食事ができる。

前日から来る海外客も多いので、式当日はみんなと話す時間は無いだろうという事で家族と旦那の大事な友達らを家に招いた。料理などしている暇が無いのでケータリングを頼む。そうじはしてもらったが、それでも気ぜわしい。式前日にこんな事でバタバタしていて良いんだろうかとか、花嫁は前日ってリラックスするもんなんじゃないかとか色々不満は有ったが、今思う限りではやってよかった。旦那と共通の知合いともロンドン以来2年ぶりで会えたし、知っている人たちばかりなので。しかし何回も書くが私の中の良い友達は全員こられなかった。私も日本国内の結婚式でさえ断った事があるから、(東京から広島でご祝儀もろもろ雑費でやっぱり10万弱はかかるし、、、)ましてフィンランドなんて行けないのは良くわかる。あと希望としては日本でも簡単なパーティをやるという夢も有るが、多分今の経済状態ではまたレストラン等借りてぱっとやるのは無理な相談だと思う。こればっかりはしょうがない。一人最初の会社の同僚の子がロンドンに留学していて、無理やり誘ったけど来てくれた。欧州内とはいえ、ほんとに感謝している。ちなみに彼女は私と違いITのプロ(ITといっても実に幅広いのですが)であり、そしてベリーダンスでもプロとして活動している。(彼女のサイト:Nena Amarはこちら).男性のみならず、女性もその鍛えられた体と写真では有るが美しい体の動きにため息をつくと思う。本当は彼女にパーティでダンスを踊って欲しかったが諸事情で実現しなかった。申し訳ないと思っている。後はこちらでできた初めてのチェコ人の友達が旦那さんときてくれた。それもとても嬉しかった。

  12 当日 午前中戦争 午後されるがまま、でも手持ち無沙汰

8:00 美容院 Hair and make-up (カーラーぐるぐる、引っ張りひっつめ、出来上がる)花屋のおっさん私をたばかる。 (私は胡蝶蘭は嫌だから薔薇を使ってくれといったにも関わらず当日彼は、得意そうに胡蝶蘭を使ったヘッドドレスを作ってきてくれた。ブーケは希望どおりに作ってくれたが、奴め、自分の考えを入れやがったな、、、でももう間に合わないので仕方ない。

10:00 Wearing Dress ホテルの家族の部屋へ、着替えと化粧 妹に化粧を頼んだ。彼女はかなりそういう事がうまい。3歳からピンクレディーのケイがお気に入りでスカートが好きでズボンをはかせるのに手間取った事を思い出す。毎月色んな化粧品が増えているのも彼女の化粧台である。それだけにうまい。化けさせて〜!

11:45 Photos 旦那がベストマンと迎えに来て写真屋へ 出来上がりはかなり良かった。馬子にも衣装である。自分でいってりゃ世話無いか。旦那はドレスに仰天したらしい。でもとても気に入っていた。ペチコートが巨大で車に入るのに一苦労、この時点で既に夜にはどろどろになるのがわかった。後ろの裾(トレーン)が長い。旦那はドレスを見て「なんでこんなにおっきいの〜!」と強烈にびびっていた。画質の悪い小さい画像をネット上で見せただけだから想像できなかったのも無理も無い。ドレスだけならシンプルなのだが、レースの固まりが下着として入ると全然違う。後日気付いたが、針金を使うのを忘れていた。でもわかんなかったし、まあ良かろう。写真屋さんは前回会った普段の私と余りに違うのでポジティブに驚いてくれた。(まあ一生に一回ですから、一応今のところ)でも丸顔はどうしようもない。ぽっちゃりもどうしようもない。ドレスの所為でも、メイクでも髪の毛でもなく私の怠慢である。ああ〜、ちゃんとして置けばよかった. 余談だが、フィンランドの結婚写真アルバムは面白い。スタジオの中には、普通の白い幕を張った場所に加え、サウナ小屋の一部っぽいセッティングや、白い窓枠にクッションを置いた所やいろいろあった。ひとりずつのショット、私の場合はドレスがポイントなので後ろから全身一枚、あとは手袋を外して2人の指輪が見えるようにあごに手を当てて微笑む?ショット、などなど一時間で40枚ちょっとを撮影。カメラマンも私がフィン語(のポリ訛り)が全然駄目なので何とか英語で喋ってくれたが、その気にさせるのが大変だっただろう。私達も汗かきました。

13:30 Left for church  また巨大ドレスを抱えて車におさまり、教会へ、緊張も最高潮である。まずお客さんたちが席におさまるまで花嫁とヴァージン・ロードをあるく父とブライズメイドの妹は正面入り口横の小部屋で待機。無性におなかがすく。チョコレートくらい持って来れば良かった、、、これが式開始10分前の私の考えた事である。しずしずと歩く時におなかが鳴ってはそれこそ洒落にならない。ちなみにドレスが大きいのでトイレも一苦労。

14:00 教会式 in the church    時間が来て教会の人がドアを開けて合図してくれる。土壇場になり父はどっち側に立つんだったか忘れ、(私は覚えていたが)慌てて旦那の両親を呼ぶ。父は私の左、そして旦那が迎えに来た所で、お互い礼をし、私は今度は旦那の左側へ立ち祭壇へ。歩く時はこんなもの着たことが無い為、やはりふらついたり、父に裾を踏まれたり、歩くペースがあわなかったり、早すぎたり色々小さいハプニングは有った。しかしなんとか途中までたどり着き、(ヴァージンロードは50M位有った)旦那に手渡される。花を左手に持ち替え、2人でまたしずしずと祭壇へ。牧師さんが待機している。直前に妹にブーケを手渡す。式開始。我々は、既に婚姻届を出した後の為、既婚である。即ちベール着用は出来ず、通常の「誓います(Tahdon)」は言えない。従って牧師さんが旦那がフィン語で、私が日本語でそれぞれの誓いの言葉を言うようにしてくれた。私のは、私○○はあなた、□□を夫として、幸せな時にも不幸な時にも、富める時も貧しい時も、病めるときも健やかなる時も、貴方を愛し、尊び、死に至るまで神の定めに従って夫婦の約束を致しますこれを指輪交換の時にそれぞれが言うのである。ただし旦那のは私より短かった。(ずるい)それからフィンランドでは婚約指輪を双方に贈り合う。男性の場合はそれをそのまま結婚指輪にしてしまう事も多いらしい。(なので結婚なのか婚約なのか(更に同棲結婚の形式なのか)見分けがつかない)それに金が主流である。私達はプラチナにしたが。あと私は新たに結婚指輪をホワイトゴールドで買ってもらった。しかし安かった!日本の宝石屋はやっぱりぼったくりなんじゃなかろうか?と本当に疑っている。そして去年、東京都北区の区役所に婚姻届を出した日と旦那の名前を筆記体でいれてもらった。プラチナは柔らかいので私の場合また(婚約指輪をしていて地下鉄で急ブレーキの時につり革に全体重をかけたとき少し曲がった)傷つけそうなので、固めのゴールドにしたわけである。でもこちらで色んな人をみて、やっぱり金がかっこいいなぁ、とも思うようになったが日本で見ると暑苦しいのかもしれない。あと私の肌にも合わないかも。話し戻って、従って指輪は交換ではなくて、私にだけはめるシーンとなった。ここで共同作業として、半分ずつ薬指にはめる。牧師さんは打ち合わせの時に、もし緊張して指に入らなくても入った振りすればみんなに分からないから、と言ってくれた。さすが経験豊富である。ちなみに彼は、日本にミッションで20年ほどだったか、滞在された方なので、日本語がとてもお上手である。彼の息子さんは一度お電話でお話した事があるが、最初にフィンランド人の名前で応答されたのにも関わらず日本人ですか、と馬鹿な事を聞いてしまったくらいでもはや外国人のレベルではなく、上には上がいるものだと感じ入った。無事に指輪も入り、誓いの言葉もいえ、牧師さんがもたもたしている私達に「キスしていいぞ」と合図、無事終了、そして歌手の人が二階席から一曲歌ってくれた。お祈りを済ませ、退場である。私はもう足が注に浮いている。殆ど小走りにもとの小部屋へ戻り、(後で皆に早すぎて写真がとれなかったといわれた)おわったぁ、、、次はお客が外に出てからライスシャワー。い、いたい。ぶつけられたのは初めてだが、かなり米つぶては痛い。小さい子が力いっぱい投げている。髪の毛や服の中やそこらじゅう米つぶだらけである。元々豊穣のシンボルだからだと思うが、お百姓さんに申し訳が立たない。フィンランドならジャガイモでもいいかもしれないと思ったがもっと痛そうである。そして車にまた良いこらしょと乗り込み、街中をお披露目ドライブ。車の後ろには長靴やら色々ついていたらしい。教会を出るところで次のカップルが車で待機していて、お互い手を振り合う。

14:30 End of ceremony 式終了、カップルはお決まり車で街をぐるぐるしてお披露目、この間客はパーティ会場へ

15:00 Party starts シャンペンで乾杯、着席、立食スタート、(まず新婚カップルから)、食事、ジャズバンド演奏と歌手の人の歌

ちなみに、フィンランドでは立食形式が殆どだと思う。一つにはレストラン側の人手が全料理をサーブする程には足りないという事もある。今回我々の人数は約70名(主催側含め)なので大きくもなく中くらいだったと思う。それでも旦那が挨拶に飛び回っている間、私は手持ち無沙汰だった。殆どが知らない人ばかりであったので。後ドレスが大きくてうろうろするのに向いていなかったというのも有った。愚痴ばかり言って申し訳ないが、、、

17:00頃 Game

18:00 Cake cutting (勝負は負け)これまた伝統で、ケーキカットの時にナイフがケーキを切った瞬間足で床を踏み鳴らす習慣がある。早かった方がその後の夫婦の主導権を握る。通常は女性が勝つらしい?私は事前に教わってはいたが、タイミングが遅すぎて勿論負けた。

19:00 First Dance (笑いが止まらない)曲はGlenn Miller "Moonlight Serenade" 伝統では、ワルツを踊るのが決まり。ただ私達は習いにも行かなかったし、旦那は音感ゼロなので(本人が言っている)簡単にできるごまかしダンスになった。家で何回か練習しようとしたのだが、丁度私が旦那を見上げると彼の鼻の穴が目の前にある。これが笑わずに居られようか?我慢できず、いつもダンスの練習は3分で強制的に終わらざるを得なかった。そのたびに旦那は鼻息荒く怒っていた。「なんでできないの〜〜!」だが、本番は笑うわけに行かない。口をひくひくしながらなんとかしのいだ。ここでドレスの裾だが、長いので手で持つようにトレーンの裏に紐がついている。それを片手でもち、踊ると転ばない、、、筈。

20:00 剣道の型 (赤ちゃんが泣き出すほど真剣だった。あ〜刀は模造刀です。オヤジギャグ?) 10あるうち、7までの型を旦那の剣道仲間がやってくれた。防具はつけず、稽古着と袴に裸足である。正直圧倒された。刀の切っ先が一人の鼻一センチ以下にまで迫った時は息が止まった。やってもらえてよかった。

13 ホテルで残った客とブランチ

翌朝、目覚めすっきりで予定されていたようにカジュアルないでたちで招待客が泊まるホテルへ。10時〜12時までブランチとして和気藹々とすごす。昨日私はブーケを忘れて帰ったので姑が持ってきてくれていた。これを旦那の友達カップルの女性にさしあげる。彼らは今アジアに一緒に住んでいる。幸せそうで観ている私達も嬉しかった。旦那は友達は少ないが大事にするタイプで、海外の友達は大体N社時代か、ロンドンの時の人たち。留学生も多いため、一人以外皆当時の留学生で即ち現在住んでいる所もばらばらである。英国、スペインはマドリッド、シンガポール、日本、等。英語で口を挟むタイミングをつかむのがまた難しくなってきた、、、ああ練習不足だ。しかも、かなり簡単な事が聞き取れない。一度など、いつ頃名古屋にいたかを聞かれたのにどこにいたかと聞かれたかと勘違いした。なにやってるんだか。しかしフィン語もだめだし、虻蜂とらず状態だ。いや、でも始めたばかりだからしょうがない、などと考えながらでも楽しく食事を終える。この時はなしていた人は英国とドイツのダブルの女性。友達連中は、彼女が今どっちなのかをいつも聞いてからかっていた。"Now which side are you?"うちの子供達もこういう風になれたらいいと思うのだが。まあ子供らしく自由に育ってくれればいい。彼女の両親はいつも自国語で話し掛け、今でもそうしているらしく彼女は問題なくドイツ語、英語を操り、日本にも留学したので日本語もある程度OK,今彼とスペインに数年住んでスペイン語で仕事をしている。こういう人とばかり会うとたまに自分が情ないが、人はできる範囲でしか頑張れないのでこつこつやるさ。(私はこの辺のコンプレックスの状態がアップダウンする)この後、午後に私と家族はTurkuへ2泊旅行、旦那は翌日まで友人達の世話をしてから合流することになっていた。後で聞いた所によると、ホームパーティにこれなかった人たちにはサウナを焚いてもてなしたらしい。うちの家族にはしなかったくせに!

14,15 in Turku. 

TurkuのSokos Hotelに泊まる。初めてフィンランドでホテルに泊まった。部屋がかなり広い。値段もヘルシンキほど高くないしなかなか良い。特筆すべきは(いつも大袈裟ですみません)朝食の時に起こった。ビュッフェ形式なのだが、なんと炊飯器にご飯と、漬け物と、味噌汁が用意されているではないか!お茶碗と味噌汁椀は4つずつ、生卵と醤油もあってぎりぎり戦中派の父は狂喜していた。(彼にとってはフランス料理よりなにより味噌汁とご飯と漬け物で卵がついていると至福で心が落ち着くんだそうだ)なぜか味噌汁は具無しで、豆腐とワカメが小皿に載せて好きなだけ入れるようになっていた。日本人客は見た限りでは私達だけだった。味噌汁は濃かったけど、予想してない所で食べられるとおいしく感じる。 15日観光を終え、家族を近くの空港へ送る。送る時は大丈夫だったが車でサザンを聞きながら帰っていく途中つらくてしょうがなかった。音楽の選び方がいけなかったかな。

16 日本語会話

 実は4月後半から週一回、一時間日本語会話を剣道仲間3人に教え始めている。私は勿論教えた経験は無いので、報酬はなし。みんな熱心でフィン語に対する自分の態度と照らし合わせて頭が下がる。一人は既に自分で勉強していたらしい。場所は各家庭を順番に回るのだが、うちが一番多くなりそうだな。子供がいないし、片付けるものも少ないし。

17  新婚旅行準備開始 

新婚旅行の準備をはじめなくては。私は初のイタリアである。(旦那は前ベローナに行ったらしい) こういうとき必要なのは現地の友達。ただボローニャ出身の友達とは縁が切れていて残念。会いにいけたのに。

21-29 Firenze

We enjoyed the trip so much!!  I will update the diary later.

29 Suomeen!

帰国。両親が迎えにきてくれていて、そのまま開いているSASホテルのレストランで軽く夕食。まだアスパラのおいしい季節で、クリーム煮が最高。フィンランドのシンプルな料理もやはりすばらしい。帰ってきました。