Murmuring
2003.5〜2003.8
2003.9〜2003.10
2003.11〜2003.12
2004.1〜2004.3
2004.4〜2004.5
双子の赤ちゃん
まだ、首の据わっていない赤ちゃんだった。
赤ちゃんは、前後に乗せられるベビーカーで横になっていた。
ベビーカーの運転手はサングラスを掛けたお父さん。足にはサンダル。
きっと双子のパパになってまだ、間がないんだ、そう思った。
ベビーカーは新品だし、赤ちゃんは小さい。
奥さんはもしかしたら、疲れ果てて家で眠っているのかもしれない。
幸せに育てばいい、そう思いながらすれ違った。
ママの里帰り出産でない限り、あと1年もしたら、双子ちゃんを
近所のスーパーで見かけるようになるだろう。
(2004.7)
あなたに話していないこと
実はたくさんあるの。あなたには話していないことが。
夜中に泣きたくなることとか、
突然、襲ってくるわたしなんか要らないということとか、
今度、「お友達」に会うこととか、
「お友達」との間にあったこととか、
いろんなことを無視して、ずーっと、あなたのそばにいられたらいいのにとか。
話してないことがたくさんあるんだけれど、何か訊きたいことある?
意地悪なわたしはそう思ってしまう。
訊きたいなら、訊けばいい。
わたしには隠すことは何もないんだから。
(2004.7)
手をつないでいる時には
理解できればいいのに。
何もかも伝わってくればいいのに。
手をつないでいると、そんなことを思う。
映画館で手をつないでいたら、その手を通して、感想が伝えられるといいのに。
「びっくりした〜」とか「ひょえ〜」とか、
後になったら、共有できない『その場の気持ち』があるんだもの。
お散歩をしていて、ちょっとだけ不安になった時、
手にちょっとだけ力が入る。そんな時の気持ちが伝わると良いのに。
「どうした?」という言葉じゃなく「大丈夫だよ」と返して欲しい。
それだけで、わたしは落ち着くのだから。
途方もない大雨や途方もなく綺麗なものを眺めた時に、
何も言わずに、その気持ちをそっくりそのまま、共有できればいいのに。
きっと一緒のことを考えていることがわかったら、
目を見合わせて、お互い笑っちゃうのだから。
(2004.7)
子どもに話しかける時
子どもに話しかける時は、わたしは自信たっぷりに話しかける。
美味しいものを食べている時には、
「美味しい?」じゃなく「おーいし♪」と断定する。
(たとえ、私は差し出す側で食べていないとしても)
トランポリンを跳んでご機嫌にしていたら、
「あら、ご機嫌ねぇ」ではなく「たーのしいっ」と断定する。
(たとえ、私は跳んでいなくても)
おねむになって、ぐずぐず言い始めたら、
「もうちょっと頑張って」なんていわず、「ねむいねむいねぇ」と断定する。
(たとえ、私はお目々パッチリでも)
たまに、自分の気持ちと子どもの気持ちがあまりに掛け離れていて、
断言できないことがある。
何もかも満ち足りているはずなのに、子どもが不機嫌な時や、
何もかも手つかずでこっちは必死なのに、子どもがご機嫌な時には、
つい無言になってしまう。だって、わからないから。
有意味な言葉を持つ前の子どもには、気持ちや状態に応じた
「ぴったりな言葉」を掛けてあげたいと思う。
わたしの中では定番なたとえなのだけれど、
わたしの冷たい手を子どもの温かいほっぺにくっつける時、
「あったかーい」じゃなくて「つめたーい」と私が言うのだ。
自分の感覚と言葉がずれるので、面白い。
(2004.7)
見なくていいもの
世の中には、見ても見なくてもいいものが大半を占める。
ちょっとだけ残った部分の半分が「見なくてはならないもの」で、
半分が「見てはならないもの」なのだ。
困るのは、「見なくちゃいけないもの」と「見てはいけないもの」が対立する時。
その持ち主と私で対立する時や、
わたしの中の私と私で対立する時や、
世の中と私で対立する時・・・なのだけれど。
見もせず怖がるなら、見た方が良い。
見て、怒ったり不満に思うのならば、見てはいけない。
それがわたしの判断基準。
(2004.7)
赤ワインでサングリア
はまっている。
果物の皮をむいて、刻んで、瓶に入れる。
トポトポと赤ワインを注ぐ。冷蔵庫で冷たく冷やす。
炭酸水で割る。
たったそれだけの手抜きサングリア。でも、美味しいのだ。
果物を摂ると身体がみずみずしく、潤っていくのがわかる。
入れるのは、グレープフルーツとオレンジ。
今の季節なら桃がおすすめです。
(2004.7)
布を切って縫って
お裁縫は大好きなことの1つ。
決して上手ではないのだけれど、1つのものが完成する喜びがある。
まっさらな物を形にしていくことも好きだけれど、
使っていたものをほどいて、布きれにして、縫うことが好き。
布は糸で織りあげられる。
布は平面である以上、どんなに小さくなっても平面なのだ。
線が組み合わされて面になる。
面が組み合わされて立体になる。
そんな風に小学校で習ったのだけれど、本当にそうなのだ、と思う。
今、ようやく、小学校の家庭科や算数の復習をしている気持ちになる。
(2004.7)
柔らかな心
風を感じていたいと思う。
道ばたのお花を眺めていたいと思う。
空を見上げていたいと思う。
「茉莉花ちゃんは、おっとりしている」
そう言われる。このわたしが。
これまでは、忙しさの代名詞みたいだったのに。
きっと、五島で携帯の電波の入らない場所で1週間を過ごしたことで、
わたしの中の何かが変わったのだと思う。
風を感じ、花を育て、野菜を育てていた強くて柔らかだった祖母を思う。
もし叶うことなら、祖母のように、あの土地で生きてみたいと思う。
(2004.7)
一国一城の主
この春から世間で言う「一国一城の主」になった。
そのことについて、意見は様々なのだ。
『そんな娘に育てた覚えはない』と父は言う。
『気楽になったでしょ?』と別の人が言う。
『大変だね』とある人が言う。
『これからが人生の本舞台だよ』と同じ立場の人が言う。
どれもが本当で、どれ1つとしてわたしにはあてはまらないように思う。
望むべくしてなったのではなく、身辺整理をした結果なのだ。
正解は『すっきりしたな』である。
(2004.7)
強い人に会った
途方もなく強い人に会った。
強い人は優しい。
自分の強さを知っているから、わたしを応援してくれる。
いつも7割の力で生きればいいと言う。
10割だそうとするからしんどいのだと。
7割で良いのだ、7割のまま、キャパを広げていけばいいのだ、と。
まったくその通りだと頷くことしかできない自分が歯がゆい。
(2004.7)
おかしな日々 その6
ふわふわと宙に浮いているような気がします。
それは、薬をたくさん飲んだ後のことのよう。
現実味が乏しくて、感覚がぼんやりしているようで冴えていて、
言葉を喋ってみてもまとまりなく、何をして良いのかわからず所在ない。
自分をどこかに片付けてしまったようです。
(2004.6)
おかしな日々 その5
話を訊いて欲しいな、と思う人がいます。
でも、その人と連絡を絶ってしまったのはわたし。
だから、連絡を取ることはできません。
わたしの都合で、絶ったり取ったり、そんなことできない。
・・・そんなことを考えてると、不意に怖くなるのです・・・
きっと、永久に失った時に後悔するのだ、と。
連絡を取るべきなのでしょう。
自分の非を謝って。
でも、来るはずのない連絡を今日も待ってしまうのです。
もしかしたら、覚えてくれているかも知れない、そう思って。
(2004.6)
おかしな日々 その4
随分、長く、この薄曇りの中にいるような気がします。
今もサラサラと流れている時間が、
愛おしくて仕方がありません。
この時間の流れを見失いたくなくて、
その中に足を踏み入れず、黙って眺めているのです。
(2004.6)
おかしな日々 その3
メールを書きたいな、電話を掛けたいな、と思います。
でも、できないのです。
人の記憶の中に足を踏みれる事が怖いのです。
空気のようにふわふわと浮かんでいたいと思うのです。
(2004.6)
おかしな日々 その2
いろんな事の「境目」がわからなくなります。
夢なのか、現実なのか。
気がつくと、すごく困ったまま立ち止まっていることがあります。
困った状況になって、初めて、我に返るのです。
起きていても、眠っていても、今の私にはさして変わりありません。
自分の影が、薄くなっているような気がします。
(2004.6)
おかしな日々 その1
まだ、聞こえるのです。
海の音が。
まだ、覚えているのです。
祖母の声を。
でも、海はないし、祖母もいないのです。
いい加減、幻想の世界から、現実世界に
戻ってこなくてはいけないのです。
(2004.6)
お片づけ
先月下旬、五島列島へ行きました。
今日に至るまで、そのお片づけの日々です。
父と母と弟の航空券のマイルの事後登録を済ませました。
写真もできあがったので、明日、送付します。
気持ちの整理にも、そろそろ片を付けなくてはなりません。
いつまでも引きずるには重たすぎるから。
(2004.6)
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