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■2004/03/03 (水) 朝のお祈り |
「ぷりしんがね、いま、あーちゃんって、よんでくれたの」
プリシンが発する「あー、あー」という奇声を
あーちゃんは、自分の名前を呼んでいるんだよと、私に教えてくれる。
賢いあーちゃんのことだ。それがただの奇声だと分かっているはず。
前は「あー、あー」だったのに、今は「あー、ちゃん、あー、ちゃん」と
言えるようになったんだよと、笑顔で言う。もちろん否定はしない。
そっか、よかったな、あーちゃん。そう答えるだけだ。
保育園のバスポイントのすぐ近くにお寺があり、早く着いた時などは一緒にお参りをする。
賽銭箱の後ろの閉ざされた扉の向こうに、神様がいると信じて疑わないあーちゃん。
そこでも彼女はプリシンのことばかり。
自分のことを祈りなよと言っても、いつも同じことを呟く。
「ぷりしんが、しゃべれますように」
おもちゃは投げ壊され、買ったばかりの絵本も折られてしまう。
プリシンの狼藉のその度に、怒って泣き喚くあーちゃんだが
それでも、心から兄を慕っている妹。
ごめんなぁと、プリシンに代わりに謝り、抱き締めるだけの父だ。
今朝も、お寺で手を合わせてきた。
ここ数日は、あーちゃんの祈る内容が変わっている。
頼んだわけでもないのに、私と同じことを祈っている。
「かーかが、はやくなおって、おうちにかえってきますように」
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■2004/03/04 (木) 感謝を込めて |
かみさんが入院してちょうど10日。炊事、洗濯、掃除は全く苦にならないのだが
(主夫業に向いてる?)「時間」に追われることがちょっとヘビーだった。
夕方の慌しさはまさに分刻みで、事前に順番を考えておかなければならないほど。
放課後の2〜3時間を、プリシンと過ごしてくれるヘルパーさんは夕方4時まで。
引き取ったプリシンとともに、今度は保育園へあーちゃんのお迎えに行く。
週に3回習い事のある、めじ君の送り迎えが重なるともうバタバタ。
湧き上がる焦りをどうにか鎮めつつ、西に東に車を走らせながら思うことは一つ。
これ全部かみさん一人がやっていたんだな・・・脱帽するばかり。
あるお母さんから手紙をいただいた。
「あーちゃんのお迎えをやってもいいですよ」と。
渡りに船、感謝感激雨あられ、なんて素敵なラブレター♪
一人だけではない。かみさんの入院は、園内で徐々に知れ渡りつつあり
「何か手伝えることがあれば」と、いろんな人が口々に申し出てくれる。
昨日のひな祭りには「男手ひとつじゃ大変でしょう、うふふ」と
ちらし寿司とケーキを持って、自宅まで訊ねてくれたお母さんがいた。
「次の日曜日、1日あーちゃんを預かりますよ」と電話をくれたお母さんもいる。
何とかなる。仕事を少々犠牲にすれば。私一人でやっていける。
そう思っていた。実際にできるだろう。
ただ、あるお母さんからいただいたメールを読み、
「助けていただこう、無理せずに」という気持ちに変わっていった。
メールにはこう書かれていた。
「誰かのためとかじゃなく、何かをさせてもらえるということで
させてもらえる人間も癒されているのです」
どれだけたくさんの人に支えられているのだろう。
私が大変だから、というよりも、やはり
かみさんの人柄によるところが大きいのかもしれない。
大いなる感謝を込めて。
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■2004/03/07 (日) 面会 |
入院直後は、驚くほど痩せてしまったかみさんだが
今日の面会で見る限りでは、いくらか体重も増えたようで
ふっくらとし顔色も良かった。
入院して一番の変化。それは明るさ。
「ここの病院の食事って、ほんとにまずいのよ」「することがなくって暇だわ」
看護婦さんに向かい「あたしが脱走したら追いかけてくる?」、
などと冗談まで飛ばしている。
睡眠薬を飲んでも眠れないというのは、入院しても変わらぬようで
深夜に真っ暗なフロアで佇んでいるところを、見回りの看護士に見つかり
懐中電灯で照らされて、笑顔でVサインを送るほど余裕の明るさ。
入院が決まり、かみさん自身ほっとしたのは間違いないが
多分、同じかそれ以上に私も一安心していた。
話す内容は自殺のことばかりで、直前はまさに崖っぷちだった。
「朝起きて、私がいなくても探さないでね」
「いつも行くあの森で、プリシンと首を吊る」
その言葉を聞いて以来、夜中目が覚める度に寝床の姿を確認してた。
自殺は口だけではない、それ裏付けるかのように発見された、
食器棚の奥に隠されていた小瓶。
飲まずに貯めこんでいた大量の睡眠薬が入っていた。
もしまだベッドに空きがなく入院を待たされていたならば、今頃どうなっていたのか。
間に合ってよかったというのが、率直な心境だ。
退院後のことを、かみさんと少し話した。
今までと同じ生活では繰り返しになる。誰かの手助けが必要だと。
私は義母しかいないと思っている。義母も承諾している。
「それは嫌だ」というかみさん。実の親だとはいえ、四六時中顔を
突き合わすのは耐えられないと。その気持ちも分からないではない。
だったら、どうしたらいい。
「今までの住まいでいいわよ。もしまた私がだめになったら・・・」
その時はプリシンと死ぬから。顔色変えず平然と死を口に出す。
明るい姿に、順調に回復に向かっているのかと思っていたが
かみさんの心に巣食う自殺念慮は消えていない。
まだまだ入院は必要なのだと思った。
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■2004/03/08 (月) ホアヒン |
かみさんが入院し、家事育児の全てがこの肩に圧し掛かり
180度生活が変わったわけだが、変化したといえばテレビもその一つ。
全くと言っていいほど見なかったテレビを、毎夜見るようになった。
夜9時までの間子供と一緒に過ごし、寝静まった後
テレビを見ながら、明日の準備や洗濯物干し、部屋の片付けをしている。
ついつい釘付けになり、手がお休みしてしまうのが常日頃。
夕べは、みのもんたの番組がそうだった。
老後を海外で暮らす人々の特集。
日本で豊かな老後を過ごすとなると、約1億弱の蓄えが必要らしい。
ごく僅かな年金生活に不安を持ち、ある老夫婦が海外に飛んだ。
場所はタイ。物価は安く、気候は穏やか、治安もいい。
終の住みかに、ここタイを選んだ人が数多くいることを知る。
年金20万もあれば十分生活ができ、貯蓄までできるという。
プーケットにこだわり、物件を探していた老夫婦は
どうしても予算と折り合いがつかず気落ちしていた。
プーケットは観光地のため、ちょっとお高いのだ。
そこで薦められたのが、バンコクから南へ200キロ、王侯たちに愛された
瀟洒で歴史と風格のあるリゾート地、ホアヒン。
喧騒とは無縁のパラダイスで、新婚旅行で訪れたバハマ諸島とどこか似ていた。
唐突に夢は膨らむ。
もうずっと前から、ここにいつまでも住めないとは思っていた。
山か海、どこか遠い田舎の方にプリシンと共に移り住みたいと。
では、収入はどうする?
夢を現実に変えるには、お金の問題がいつも付いて回る。
ホアヒン。ここなら夢を叶えられる。
1ヶ月10万で暮らせるのなら、何とかなるかもしれない。
その海辺の町に一気に魅了された。
めじ君、あーちゃんのこともある。遠い将来になるだろう。
いつか、かみさんとプリシンと3人、ホアヒンで暮らせる日を夢見ている。
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■2004/03/09 (火) その胸の内 |
今度の木曜日、めじ君の通級指導教室がある。
今期最後ということで、お楽しみ会なのだそうだ。
めじ君一人では可哀相だと、かみさんはこの日に外出許可を申請していた。
許可は下りたのだが、そのことで話があると、ドクターから面談室に案内された。
まず、送迎を私にしてほしいということ。
帰りたいなどと言っても、しっかりと病院に送り届けてほしいとのこと。
ドクターは、行方が分からなくなることを懸念していた。
病棟ではどんな様子かと訊ねれば、時折涙ぐんでいる姿を見かけるという。
子供のことだろうか。それとも、自分の病気のことだろうか。
何を想い、何を考えて、涙をこぼしているのだろう。
ドクターに返す言葉が見つからず、黙り込んだ。
夜、かみさんから電話がかかってきた。開口一番「あーちゃんに代わって」
送話口を押さえながらあーちゃんを呼ぶが「かーか、おこるからいやだ」と言う。
気まぐれなあーちゃん。飛び上がるほど電話を喜ぶ時もあるのに。
しょうがないのでめじ君と代わるものの、ちょうど宿題途中ということもあり
あまり喜んだ風もなく「なあに?かーか」と、やけにつっけんどん。
会話が終わり、今度はめじ君があーちゃんを呼んだが、やはりかみさんと話したがらない。
何も考えないめじ君は「あーちゃん、かーかと話すの嫌なんだって。じゃあね」と
オブラートに包むこともなくそのまま冷たく言い放ち、私と代わらず切ってしまった。
昼間ドクターからの話を聞いていただけに、ちょっと心配になる。
切り終えたかみさんは、どんな気持ちでいるのか。
落ち込んでいなければいいが。
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■2004/03/11 (木) 名前 |
しんごという呼び名はありきたりだが、実はとても稀な漢字を使っている。
命名したのは、私でも、かみさんでもない。
5万円を支払い、ある有名な鑑定士に付けていただいた。
プリシンがまだこの世に生を受ける以前のこと。
かみさんが妊娠8ヶ月の時点で、
プリシンの名前はすでに決まっていたことになる。
水腎症。それが、妊娠中に判明したプリシンの病名。
腎臓で作られた尿が、何かの原因で妨げられるという病気で
流れていかないものだから、次第に尿管が腫れてくる。
お腹の中にいる時点で、プリシンの尿管が肥大していることが判明した。
出産後、すぐに子供専門の病院へ行くようにと
産婦人科で紹介状を書いてくれた。かみさんは泣いた。
大きなお腹をさすりながら何度もごめんね、ごめんねと涙をこぼした。
まだ生まれてもいないのだから、治療などできない。
親に一体何ができる。歯痒い想いをしながら出産を待つだけなのか。
名前だ。少しでも病気が良くなる字画ってものはないのか。
姓名判断の本を片っ端から読んだ。ある1冊の本に興味を覚え、
著者である、芸名を多数鑑定している先生へ電話をした。直交渉だ。
事情を説明し、臨月間近のかみさんを連れて、都内の事務所へ行った。
そして、命名してもらった名前が「しんご」だった。
体の成長とともに、肥大していた尿管は徐々に細くなっていった。
6歳の昨年、ついに手術の必要性がないことを告げられる。
名前が良かったのかどうかは分からない。
回避できたことを、医者は奇跡だと言った。
今日プリシンが持ち帰ったプリントに、卒業式次第が含まれていた。
明日は、養護学校高等部の卒業式。卒業生全員の名前が書いてあった。
様々な名前を見ながら思う。
親御さんは悩み、考え、たくさんの愛情を込めて命名したに違いない。
まさか我が子に障害があるなどと思いもよらず。
我が家もそうだった。
水腎症のことばかりを心配していたわけで、
脳にも障害があると、衝撃の告知をされたのがプリシン3歳の時。
「せ〜んせい、どうせなら障害も治す名前を付けてよっ」
思わず、そんな冗談を言いたくなる。
しんご。いい名前だ。とても気に入っている。
明日、卒業式を迎える20数名の名前の羅列を見ている。
名前からは、どんな障害があるのかもちろん想像もつかない。
ただ、一つだけ言えることがある。
親が心を込めて付けた全ての名前には、希望がある。
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■2004/03/17 (水) 児童居宅移動介護 |
児童居宅移動介護?ふーん、そう呼ぶんだ。
封筒に入った支援費明細書の金額を見て腰抜かしそうになる。
あわわ、ろく・・・ろくまん=( ̄□ ̄;)⇒はっせんえん?!
プリシンは放課後2時から5時まで、支援費制度を利用して
毎日ヘルパーさんのお世話になっている。
正式な名称がこの「児童居宅移動介護」。
かみさんの入院が決まり、区役所に時間延長の申請を出したら
担当の方は「大変な時期ですから私どもも協力します」と
今までの倍、月に54時間も利用可能にしてくださった。
スクールバスのお迎えから、そのまま散歩、室内で遊ばせてくれたり
それこそマンツーマンで付き添ってくれる。
主に見てくれているのは、30前後の綺麗な女性の方。
仕事とはいえ、多動のあるプリシンをたった一人で3時間も過ごすのは
容易ではない。きっと不安も多いだろう。
自宅でプリシンを引き渡してくれる時、必ずその日の出来事を書いた
メモを渡してくれる。びっしりと書かれた小さな文字に、可愛らしい挿絵。
付きっきりでいるのに、いつ書いているのだろう?
この女性から渡される毎日のメモは、日頃忘れがちな
「あたりまえのこと」をいつも思い出させてくれる。
話す時はなるべく目を合わせるようにします。
何を要求しているのか聞いてみる(さぐる)ようにしています。
きちんと何かができた時には、オーバーに誉めるようにしています。
療育について、とても真剣に考えている女性。真面目で真摯な人柄。
すごい人だなと、もちろん感謝はしているが、人間としても尊敬してる。
ヘルパーさんやボランティアさんを見るたびに、いつも思うこと。
何があなたを動かすのだろう。
敬意、という言葉を使っても大袈裟ではない。志の高さに敬意を払う。
今日はメモと一緒に、2月分の支援費明細書も渡された。
「児童居宅移動介護、当月算定額\68000」Σ( ̄ロ ̄lll)あわわ・・・
支援費が出ているとはいえ、こんなに高額ではもう預けられない。
やはり大変な子を見てもらっているわけだから
そのくらいかかるのかなぁと思いつつ、よくよく明細を見てみれば
もう一つ金額「利用者負担額、\2200」に、にせんにひゃくえん?!
別の意味で腰抜かしそうになる。こんなに安くていいのだろうか。
障害者を助ける様々な制度ができた現在の行政。
子の面倒の全てを、親がしていた昔の方には申し訳ない気もする。
いい時代に生きているなぁとしみじみ・・・。
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■2004/03/26 (金) 絆 |
一時退院していたかみさんとともに、あーちゃんの保育園へ行く。
自転車に乗る子、泥遊びをする子、遊具で遊ぶ子、竹馬の練習をする子や
コマを回す子、まだ昼下がりの園庭には、自分の遊びを見つけ出した子供たちが
所狭しと駆けずり回っていた。
「あれっ、どうしたの。一時外出?」かみさんの背中をポンと叩いたのは、
プリシンが在園中お世話になっていたS先生だった。久しぶりに会うS先生。
明日の卒園式の準備に追われ、二晩も園に泊り込んでいるのだという。
「脳卒中で倒れそう」とけらけらと明るく笑うので「お互いそんな年だもんね」と
切り返せば、横から「ちょっと」とかみさんにつつかれる。妙な息の合い方。
私とかみさんとS先生。プリシンを中心に、築き上げられた3人の固い絆。
どれだけ多くのことを話してきただろう。どれだけ深い悩みを打ち明けたことだろう。
そのS先生も、この春で保育園を去る。やはり、、、寂しい。
プリシンは卒園し、あーちゃんの担任でもなかったから
この1年間顔を合わせる機会は少なかった。
それでも「この園にいる」という安心感がいつも胸にあった。
あそこに行けばいつでも会える。近況を聞いてほしい。
構えさせない人柄に、何時間でも話していたい気持ちに駆られる。
去る者と残される者、より深い寂しさを味わうのはいつも残される者。
だけど、顔を上げよう。
今の自分にできることは、伏し目がちに寂しさを露にすることじゃなく
背筋を伸ばし、お疲れ様!と肩を叩いてあげること。
16年間(!)本当にお疲れ様。新しいスタートを心から応援しています。
久しぶりの家族団欒を過ごし、夜再びかみさんを病院へ送り届けた。
フロアでかみさんの顔を見つけた編み物友達が、揃って声をかけてくれる。
「おかえり〜。なんかすごいね、にこにこしてるっ!」
たったその一言で、普段のかみさんのここでの状態が分かってしまった。
すごいね、にこにこしてる・・・その反対ということか。
退院予定日まであとひと月。
今日もまたその後のことを話し合ったが、結論は出ず終い。
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■2004/03/28 (日) 桜トンネルにて |
水底に何やら興味を示したプリシンは、小川の水面に顔を近づける。
近づける。さらに近づける。もっと近づける。ポチャン。
顔面が濡れてしまい、びっくり顔で慌てて拭いているプリシン。
おもろいやっちゃ。まるでドリフのコントを見ているよう。
あまりに穏やかな昼下がりに、寝込んでいるめじ君には申し訳なかったが
留守番をしていてもらい、プリシンと2人で散歩がてら桜を見に出かける。
水遊びが好きなプリシンを、小川近くに連れて行きたくなかったが
身近な場所では、そこしか花見ポイントがないから仕方がない。
川べりに腹這いになって水遊びをするプリシンを、私は体操座りで見守る。
7分咲きの桜を見上げながら、先日S先生に言われたことを思い出していた。
「大丈夫なんですか?」
かみさんのことを心配しての言葉かと思っていたら、そうではなくて
私のことだという。日記を辞めてしまって大丈夫なんですか、と。
「吐き出すところがなくなってしまい、大丈夫なんですか?」と。
日記を書き始めた動機はなんだったろう。
ただ書きたかったから?いいや、それだけじゃない。
誰かに聞いてほしかったんだ。
今日はこんなことがあったんだよと、誰かに知ってほしかった。
その結果として、今思うことは・・・
書くことで癒されてきた。吐き出すことで救われてきたんだ。
流れる小川に覆い被さるようにして連なる桜は、まるでトンネル。
桜のトンネルを見上げながら思う。
もう、日々の出来事を、誰かに聞いてもらうことはないんだな。
何かが大きく変わるのか、あまり変わらないのか、それは来月分かる。
ゼロになる体 満たされていけ
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■2004/03/29 (月) はじめの一歩 |
6時半起床。簡単な朝食作り。パンを焼いて、目玉焼きを作り、
時間があれば、ほうれん草とベーコンを炒める。
インスタントのコーンスープを添えることも忘れない。
前夜に忘れてしまった洗濯機のスイッチをON。
雨戸を開けて、3人を起こし、着替えの手伝いをする。
あーちゃん、プリシンの給食セットの準備、着替えの確認、連絡帳の記入、
あたふたあたふた、朝はやっぱり慌しい。
かみさんが入院して最初の1週間は、やること、考えることの多さに
吐き気をもよおした。いくら仕事が忙しくても、そんなこと今までなかった。
3人分のプリント類に目を通し、3人分の支度をし、
遅れてはいけない送迎時間を頭にインプット。
たったそれだけのことだが、全てが初めてのことだけに
一気に脳は許容量オーバー、危うく煙を吐きかけた。
けれど、それも最初の数週間だけのことだった。
かみさんが入院してひと月ちょっと。
振り返るのはまだ早いが、何とかなるもんだなあと感じる。
退院予定日は4/25。偶然にも結婚記念日だったので、退院も兼ねて
ささやかに家でお祝いをしようと思っていたが、それは叶わなくなる。
昨夜かみさんから、入院が長引くとの連絡が入った。
「二ヶ月経ったら荷物まとめてここを出る!」と当初は豪語していたが
今回は、医師の宣告を素直に受け入れたようだ。
まだ退院できる状態ではないと、自分自身一番分かっているのかもしれない。
それともうひとつ、医師の宣告にあっさり観念した理由。
自分が不在でも、家の中がなんとかなると分かったのだろう。
「どうせあたしなんかいなくても」という悲観ではなく
それが、安心からきているものだと信じている。
「こっちはなんとかなってるから心配するな。ゆっくりしてこい」
言葉を慎重に選んでかみさんに告げた。
「頑張れ」が禁句なのは分かっているだが、他の言葉はどうなのだろう。
「しっかり治してこい」という言葉は?分からないから飲みこんでおいた。
安心させてあげることができただろうか。
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それまでとは180度違う生活を送るということは、もちろん大変なこと。
それが自分の意志ではないとしたらなおさらだ。
不安に押し潰されそうな気持ち、痛いほど分かる。
いくら胸を張っても、それは空元気でしかない。
やらなきゃいけないことは、一歩足を踏み出すこと。
動け。はじめの一歩を踏み出すしかない。
踏み出し、歩き始めることで、一つ気が付くことがあるはず。
自分1人の闘いではないということに。
孤独な闘いではなく、援護してくれる仲間がいるのだということに。
必ずや、手を差し伸べてくれる人が現れることでしょう。
心から、心から、応援しています。
思い切って書き込みをくれたKさんと
この春、新しい生活が始まるすべての方々へ。
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■2004/03/30 (火) 万感 |
春休みに入り、プリシンは一時ケアを利用して、連日施設のお世話になっている。
外遊びが好きな子だけに、できるだけ散歩に連れて行ってほしいのだが
休み期間の利用者は多く、人手が足りない状況を見れば、口に出すことははばかれる。
それでも普段と違った環境で過ごしているので、それなりに疲れるのだろう。
今夜は早々と布団に潜りこみ、寝息を立て始めた。
毎日「ほいくえんにいきたくない」と、駄々をこねるあーちゃん。
本当は分かっている。「駄々」なんかじゃないんだ。
保育園に春休みはない。いや、ある。
特別な事情がない限りできるだけ子供を休ませてほしい、と園の指示。
もちろん休ませられず、登園してくる子も少なくない。
母子家庭や共働き、そして我が家の場合も例に漏れない。
いつもより園児の数が少ないことを、5才の小さな脳は敏感に感じ取っている。
「あーちゃんも、おやすみしたいの」
頭が痛い、熱がある等、今夜も思いつく限り風邪の諸症状を上げていたが
私の「だめ。行くの」の一言に、ベソかきながら眠りに落ちた。
ようやく熱が下がっためじ君は、バカ殿を見ながら大笑いしている。
「泣いたカラスがもう笑う」とはこのことだ。
直前にオセロで遊び、大勝した私を、めじ君は泣きながら責めた。
「なんで本気出すんだよ!いっぱいひっくり返しちゃってずるいよ!」
真剣に怒る姿に、最初こそおかしくて笑っていたが、
あんまりにもしつこいので、段々ムカムカしてきて怒鳴ってしまった。
「おまえ、どっちかが勝ってどっちかが負けるのがゲームなんだよ!
負けたからって、いちいち泣くんじゃねーよ!」またやっちまったよ・・・。
* * *
1冊の分厚いファイルが、今手元にある。厚さ5cmにもなる紙の束。
プリシンが終業式に持ち帰ってきたもので、
ちょうど1年分の先生とのやりとりが書かれている。
言葉を話さぬプリシンの日常行動を知る、先生と我が家の大切な往復書簡だ。
表紙をめくると、約1年前の4月の出来事が書かれていた。
プリシンの養護入学を喜びつつも、大丈夫だろうかと不安の顔を覗かせている
かみさんの気持ちが文字に変換され、丁寧に並んでいた。
4月×日
晴れて1年生になれて 家族みんなで喜んでおります
物を投げるので 他の子を怪我させるのではないかとヒヤヒヤしています
水遊びが好きな子で 水を見ればためらいなく飛び込みます
着替えを常にストックしておくよう心掛けます
留守にしていることが多いので 私の(携帯の)番号を書いておきます
5月×日
「物投げ」はもう2年以上続いている問題行動です
危険なのでなんとかやめさせようといろいろやってきましたが
(投薬もそのために始めました)成果がありません
家の窓からも投げるので(植木鉢、お皿、バケツ、ザル、ボール、絵本、
・・・何でも投げます。我が家は3F)家の中の窓やドアには チェーンや
サッシロックを取り付けています 学校で怪我をする子が出ないか心配です
ぱらぱらとめくっていけば、汚い字をところどころ見つけて意外に思う。俺の字?
一学期の終了時や家庭訪問、運動会など、節目節目には必ず書いていた。
書いたことをすっかり忘れている私。4月の書き出しはこんな感じ。
4月×日
面接をしてから入学が決まるまでの数ヶ月間、本当に心配でヒヤヒヤしていました。
養護に入学できなかったら一体どうしたらいいのだろうと。
見て頂けるだけで感謝しています。多動で落ち着きがなく大変な子ですが
喜怒哀楽、表情の豊かな明るい子です。どうぞ宜しくお願いします。
そして、1学期終わりの先生からいただいた言葉。
7月×日
クツの飛びかった入学式から、もう3ヶ月ちょっと経つんですね。
入学当初は、イスに座って本を眺めている姿は想像もできませんでしたけど
プリシン君なりに環境に慣れ、過ごし方を少しづつ見つけてきているのでしょうね。
入学式、脱いだ靴を派手に投げたプリシンに、他のお母さんの笑い声が聞こえた。
「よく飛ぶわね〜」 どの親御さんも眉などひそめず、大らかな態度に
「これが養護か。みんな仲間なんだ」と胸に安堵が沁み渡ったものだ。
秋に、私はこんなことを書いている。
10月×日
成長したんだな。先日の授業参観を見て、そう思いました。
ビーズ通しなど、じっと座って黙々とこなすプリシンに、大きな成長を感じました。
「いつの間にかできるようになっていた」わけではないことも分かっています。
先生方の繰り返しの努力があるからこそでしょう。感謝しています。
「大きくなったねぇ」と、会う人会う人に言われるプリシン。
足の大きさから、将来は背もかなり伸びることは間違いなさそうだ。
問題行動は減らず、その日だけを見ているからなかなか成長に気がつかないけれど
そんなことはないんだ。体だけでなく内面も大きく成長している。
絵本を折らなくなった。ベランダから物を投げなくなった。トイレで用を足せるようになった。
人には分からぬほど些細な成長かもしれない。
それでも都度の成長に、夫婦揃って涙が出るほど喜んできた。
これほど大変な子は、ちょっといないと思う。
だけど、これほど感動を与えてくれる子もちょっといないだろう。
いつの時もプリシンの成長を信じてきた。これからも信じている。
めじ君、あーちゃんにしてももちろん。健やかに育つことを祈るだけだ。
そして、かみさんのことも。
携帯を見るとメールが着信されていた。日記を書いている間に届いたものだった。
いろいろなことが書かれていたが、最後の言葉に目が釘付けになる。
「あたし、しっかり治したいから」
かみさんが自分の気持ちをさらけ出したのは初めてかもしれない。
回復に向け、かみさんもまた一歩前進しているんだ。
全てを一人で背負い込ませ、病状を悪化させてしまったことは
やはり私の責任でもある。たぶん私は変わるだろう。
これからは半分づつ。2人で一緒に育てていく、それしかないのだから。
時の流れは我が家の味方。きっとうまくいく。
優しく迎えられる自分でいたいと思っているが、どうなのだろう。
きっとまた、喧嘩が絶えない日々が待っている。それでもいいか。
一日の最後にかみさんの意志を知り、今晴れやかな気持ちなっている。
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■2004/03/31 (水) 希望のバスに乗って |
インターネットは道路。
決して単純ではなく、縦横無尽、複雑に入り組んだ道路のようなもの。
となると、ひとつひとつのホームページはそこに走るものだろう。
バイク、乗用車、ダンプカー、規模も主旨も早さも違う様々な乗り物が
それぞれの目的地に向かって、ひたすらに走り続けている。
このサイトは? 例えるならバスではなかっただろうか。
この3年間で、たくさんの人が乗り込んでくれた。
途中で下車した人、何度も繰り返し乗車する人、
ありがたいことに、最後まで乗り続けてくれた人もいる。
日記を書き始めた当初は、こんな温かな出会いがあるとは思ってもみなかった。
書きたい、吐き出したい、心に留めてはおけない日々の気持ちを一方的に綴ってきた。
だったらWEBではなく、大学ノートにでも書いて人に見られぬよう引出しにしまっておけばいい。
その通りだ。日記と名はついているものの、WEB日記は似て異なもの。
私は、誰かに聞いてほしかった。
今日はこんな楽しいことがあった。今日は悲しくて泣けてしまったよ。
見えない誰かに打ち明ける内容は、日記というよりもむしろ手紙。
長い長い手紙を、誰かに宛て書いていたように思う。
掲示板の一人一人の書き込みを読みながら、目頭が熱くなった。
今まで自分は、この人たちに向けて手紙を書いてきたんだ。
支えられた、救ってもらった、元気を、勇気をいただいた、
そうした書き込み言葉は、全て私の気持ちでもある。
一個人の力などたかが知れている。言葉で人を救えるなどと自惚れてもいない。
自分がしてきたこと。それは、存在を公表しただけのことだ。
あなたと同じように、日々の生活に追われる私がいる。
あなたと同じように、理不尽な思いを抱いている私がいる。
そして、あなたと同じように、かけがえのない我が子を愛しく思う私がいる。
どこにでもいるごく普通の父親で、特別な人間なんかじゃない。
この日記があなたの支えになったように、
同じ空の下で生きているあなたが私を支え、時に救い、癒してくれた。
明日からは全てが過去になる。振り返るばかりの過去になる。
いつの時も、ありがとうと振り返ることができる自分でいたい。
ありがとう。何度でも、どうもありがとう。
幸せな時を過ごさせていただき、本当にありがとうございました。
あなたと同じ空の下で、私は生きています。
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