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■2004/02/01 (日) 鏡 |
「プリシンのお父さんと、一緒がい〜い!」
そう言いながら、丸々2日間べったりくっついて来た男の子がいた。
武ちゃん。
プリシンのことが大好きな彼は、在園時もよく遊んでくれていた。
明るくて、細身で、ハンサムで(将来きっともてる)、
6才児特有の(激しいまでの)腕白さが控えめってところも好感が持てる子だ。
ちょっと先を滑れば「早いよ〜待って〜!」と直滑降ボーゲンで追いつき、
他の子とペアリフトに乗ろうとすれば「だめー!一緒に乗ろう」と追いすがる。
2人きりでリフトに乗っている時、武ちゃんはこんなことを言った。
「プリシンが病気じゃなかったら、一緒の学校だった?」
プリシンと武ちゃんは同じ学区内。なるほどなぁと思いながらも
「病気」と口にしたことの方が、実は引っ掛かっていた。
武ちゃんを通しての、親御さんの良識が見えた瞬間だったからだ。
臆測だが、武ちゃんはお母さんに何度となくプリシンのことを聞いたであろう。
どうして喋らないのか?どうして変なのか?
脳の、とまでは言ってないだろうが、しっかり「病気」だと息子に教えている。
プリシンの通っている学校のことを話そうとしたら「知ってるよ」と言う。
武ちゃんは、お母さんとプリシンの養護学校の近くまで行ったらしい。
親子でどのような会話がなされたか分からないが、
プリシンや私を慕ってくる姿を見れば、それだけで十分な答え。
人の温かみを感じる。
「プリシンってバカなんだぜー」と平気で口に出す子もいる。
もう怒りは湧かない。ただ、思う。
その親御さん自身が「バカ」という言葉を口にしているのだろうと。
子は親を映す鏡。
自分を良識ある大人などとは決して思っていない。
自らにも課せねばならぬ言葉だ。
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■2004/02/03 (火) 縁 |
2枚のFAXが届けられた。
プリシンと同室だったお母さんからのもので、スキーでのプリシンの様子が
こと細かに書かれており、留守番をしていたかみさんに宛てたものだった。
今回2人のお母さんが、プリシンと寝食を共にしてくれた。
どのように接したらいいのか、注意点などを出発前真剣に訊ねられた。
本当に大変だったと思う。
大広間での食事中、奇声とともに割り箸が飛んできたりすると申し訳なくて
「ちょっと私が散歩に行って来ますね」とプリシンを連れて行こうとするも
「お父さん、今日は私たちだけで見ますから」とやんわりと拒まれる。
朝はプリシンに付き合い、4時半から起きていたという。頭が上がらない。
それよりも、どうしてそこまでしてくれるのかと疑問すら湧く。
FAXの文面には「プリシンを預かり、おふたりを楽させてあげたい」とも書かれていた。
泣き叫ぶプリシンを、いろんな親御さんや先生方が根気よくゲレンデに連れて行ってくれた。
プリシンを見てくれる人の親切に触れる度に、逆の立場だったらできるかと
自分に問い掛ける。答えはNO。
引っ込み思案な私は、きっと誰かがやってくれると何もしないだろう。
夜、酒を飲みながら別のお父さんは「ハンディキャップは個性だ」
「プリシンにハンディキャップがあるというのなら、我々みんなハンディがあるよ」と力説。
ちょっと大袈裟かもしれないが、言わんとしていることは伝わる。
それが本心からの言葉で、口先の綺麗ごとでないのが分かるから胸に響く。
自分は出会いに恵まれているのだと思う。
希望者のみ参加の同期会スキーで、まったく行く予定はなかった。
滑らず、泣くだけのプリシンを連れて行ってもしょうがないと思っていたが
熱心な誘いがあり参加した。今回だけだ。もうお会いすることもないだろう。
帰り際、幹事のお父さんはそんな私の心を見透かしたのか
来年も参加してほしいと念を押してきた。やはり、ありがとうだな。
どうもありがとう。来年もまた参加させていただきます。
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■2004/02/05 (木) 避けては通れないこと |
日記を辞める時がきたのかもしれない。
そう感じたのは昨日今日のことではなく、昨年10月のことだった。
なんとなく書けない時期があり「ま、こんなこともある。書きたくなったら書こう」
その程度に思っていたら、瞬く間に2週間が過ぎた。
こんな風にして書くことから遠ざかり、ネットからも離れていくのだろうと、
漠然とながらも、確実に終わりが近いことを予感してしまったのだ。
昨年夏以降から現在までの日記を読み返すと、自分では分かる。
避けては通れないことを、避けて通りながら日記を書き続けていることに。
本当の気持ちを押し殺し、当たり障りのないことを書いている自分。
偽りの出来事を書いたつもりは毛頭ないが、ただ
真ん中に大きくそびえ立つ「問題」に目を背けながら、今に至ってしまった。
分かる人には分かるのだろう。「苦悩が見える」とメールをくれた方もいた。
日記を書き始めた時、プリシンは4才で保育園年少だった。
言葉のおぼつかないめじ君は6才で、2才のあーちゃんは足腰が弱く
まだよちよち歩きを始めたばかり。
3年の歳月。とても濃い3年間だったように感じる。
日記を書き続けていたから、濃いと感じるのかと最初は思ったが
それは逆だと気がついた。子供が一番大きく成長する時期、
一番輝いている幼年期に日記を書き続けてきた。
そのことが誇らしく、とても嬉しい。
この春が来ればプリシンは養護2年生に、
めじ君、あーちゃんはそれぞれ4年生、保育園年長になる。
それぞれが新生活を向かえる春。それが区切りだろう。
3月いっぱいをもって、サイト及び日記の更新の全てを終了する。
それまでの2ヶ月間、何を記していけばいいのか。
もう自分では分かっている。
避けては通れないことを、避けずに直視していくのだ。
書かなかったこと、書けなかったこと。
かみさんのうつ病について、そして今の家庭のこと、
ありのままの心の声を、明日から3月の終了まで書き記していく。
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■2004/02/05 (木) 鬱 |
ぐったりと疲れ果て、もう起きていられないと、子供より早く寝てしまう。
夜中に目が覚めてしまい、パソコンに向かっている。
日中は何もやる気が起きないと、昼寝をしている。
人と関わりたくないから電話にも出ない。
はた目には「だらしない、甘えている」そう映るかもしれない。
事実、私もそう思っていた。それだけではない。
プリシンのお迎えの時刻など、決め事の時間が迫ってくると
緊張し、心臓がバクバクしてくるという。
スーパーやレンタルビデオ店、賑やかで音楽が鳴り響いている場所も同じ。
自殺願望があり、「楽になりたい」「プリシンと死ぬ」そんな言葉ばかり口にする。
『人はどうして死にたがるのか〜「自殺したい」が「生きよう」に変わる瞬間』
かみさんがネットで購入した本を見つけた。
一気に読み終え、自分の愚かさを思い知った。
「うつ病、パニック障害」かみさんに診断名がついたのは去年の夏。
それから今の今まで「うつ病」というものをろくに調べもせず
かみさん自身が購入した本で、事の重大さを知るなど愚か者以外の何者でもない。
うつ病という言葉はもちろん知っていた。
ただ「死にたい」「自殺したい」と口にするのはまた別問題で
うつ病とは関係ないことだと思っていたが、実はそうではなかった。
「うつ病」と「自殺」は紙一重。言うなれば直結していることを知った。
文中の一節に背筋が凍る。
『まさか自殺なんてするはずがない』あなたはそう思っているかもしれません。
『苦しんでいるけど今だけだ』この考えは注意しなければなりません。
あえて警告します。私は自殺で愛する人を亡くした多くの人がこの心理状態に陥り
対処すべき時に適切な対処ができなかった例をたくさん見てきました。
「様子をみる」は何もしないのと同じ。今は、愛する人を救える最後のチャンスかもしれません。
通院している心療科のドクターの話を聞かなければならない。
そう思い、診察券を探し出そうと無断でかみさんのバッグを漁った。
診察券は見つからず、代わりに運転免許証が見つかった。
顔写真をじっと見る。不意に、出会った十数年前のかみさんの顔が重なる。
失いたくない。この人を失ってはいけない。
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■2004/02/10 (火) 妻 |
図書館で、うつ病に関する本を数冊借りてみたが
症状、特徴、なりやすい性格や原因などが書かれているものが主で
実際に身近で体験している私が読んで、参考になる本はあまり見つからない。
かみさんが自ら購入した「人はどうして死にたがるのか」が
やはり一番懇切丁寧に書かれており、毎日毎日繰り返し読んでいる。
下園壮太という心理療法カウンセラーが書かれているのだが
自身もうつ病体験者なので、文章が温かくとても優しい。
突き放した書き方ではなく、親しみが持てて
読んでいると、こちらがカウンセルを受けているような気にもなってくる。
『死にたいという気持ちを持っている人は、決して「死にたがってはいない」ということです。
むしろ必死に生きようとしている。ところが本人の中にある「死にたがる心」に
どう接していいか分からず、飲み込まれはしないかという、得体の知れない恐怖があるのです』
あまり参考にならなかったと、かみさんは言っていたが
この本を買い、読んでいる次点で、彼女自身戦っていることが分かる。
この状態を脱したいと努力している。
うつ病は治る病気だが、ズバッと効く薬があるわけでもない。
治っていく過程が目に見えにくく、長期療法が必要な病気。
たくさんの薬を服用しているかみさんも「飲んでもちっとも良くならない」と
ぼやき、日々イライラしている状態が続く。
私にあたるのは構わない。時々キレそうになるがなんとか我慢できる。
ただ、子供たちがあまりにも不憫だ。
朝なかなか着替えない、ごはんを食べるのが遅い、
些細なことなのに、執拗に責めたて泣くまで罵り続ける。
そんなかみさんのことを、最近の子供らは怖がり、避け始めている。
離れていく距離間をかみさん自身感じ取っているのだろう。
しばらくたった後、ドーンと後悔が押し寄せ、激しく落ち込んでいる。
うつ病の典型だ。
「あたしどうしちゃったんだろう。ばかになっちゃった。こんなあたし嫌でしょう?
うざったいでしょう?離婚してもいいんだよ。もう嫌、もう嫌だよ」
顔を押さえ、ぼろぼろ涙をこぼしながら彼女は訴えてきた。
壊れていく自分に疲れ果てている。
かける言葉が見つからず、無言で自然に抱きしめていた。
それ以外に何ができるというのか。
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■2004/02/11 (水) Pray |
朝、雨戸を開けるたびに、夜明けが早くなっていることを確認する。
季節は少しづつだが、確実に冬から春へ移り変わろうとしている。
見上げれば、空に敷き詰められた真綿のような雲。
照らす橙の朝焼けが、ため息出るほど綺麗だった。
同じように感じている人が、この空の下必ずいるはず。
いつかのヒット曲のフレーズが唐突に頭をよぎる。
繰り返す過ちの そのたび人は ただ青い空の青さを知る
果てしなく道は続いて見えるけれど この両手は光を抱ける
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■2004/02/12 (木) 笑顔 |
話を聞くだけだからアポなんか必要ないだろう、
そんな軽い気持ちで、かみさんが通院している心療内科医のドアをノックした。
受付で、妻がこちらに通院していること、一度先生の話を伺いたいとの主旨を伝えると
カウンター越しの女性は、笑みを崩さぬまま首を横に振った。
「たとえご主人様とはいえ、本人の承諾なしにお話はできないのですよ」
よくよく考えれば当然のことだ。
そんなことで話が聞けるのなら、誰でも偽装の家族となり他人のことを探れてしまう。
プライバシーもへったくれもないではないか。
先走りすぎた、というか、そこまで頭が回らない自分がどうかしてた。
それが先週のこと。
かみさんに事情を話し、今度はアポイントを入れて再びクリニックに出向いた。
受付で前回と同じ女性と目が合うと「あーはいはい」と大きく頷いた後
何故か大爆笑された。そうだよ、あたしだよ、また来ただよ。
精神科医というと、自分の中のイメージはたけしのお兄さんの北野大。
笑みを絶やさず、おおらかでいて、威厳がある、
そんな感じなんだろうなぁと思っていたら、全然違ってた。
同年代のドクターは、口調もタメ語で、やけにフレンドリー。
そのせいか、随分話しやすかった。
昨年のバザーのこと、クリスマスプレゼントのこと、
正月に親戚が来てそれから悪化していったこと、当然といえば当然だが
我が家の全ての出来事を把握していた。「飲んでも治らないよ」と
かみさんが薬を止めてしまったことも、ドクターは知っていた。
「勝手に薬やめちゃ、だめだよ、だめ」
で、先生から飲むように言ってくれましたか?
「うん、きつく言っておいた。今日は飲むって。
薬やめて、悪化しちゃって、手首やっちゃった人、何人もいたもん」
・・・手首、ですか。
「そう、手首」
今更ながら、ことの深刻さに愕然となる。
多くのうつ病は、悩みである仕事や育児、伴侶の喪失など
時間が経てば気持ちが落ち着くのに対し、うちの場合は
「一生障害児を育てなければならない」という、いわば終わりなき道。
それが、おそらくかみさんを絶望視させているのだと思う。
「なんか最近優しいね」かみさんはそう言う。
意識はしていないのだが、何事にも優しくなっている自分がいる。
守らなければと、思いやる心が芽生えている。かみさんの笑顔も多い。
本当の夫婦に少し近づいたような気がしているのだが、彼女はどう思っているのやら。
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■2004/02/16 (月) 糸の切れた凧 |
区役所からの帰りも、車中のかみさんはしょげ返り、口数が少なかった。
車線に合流するため一時停止していると、前方に2人の若いお母さんと
3才から6才くらいと思われる子供が3人、道路脇で車の通過を見計らっていた。
横断歩道はすぐ先にあるのに危ないなぁと、私は思っていたのだが
かみさんはまったく別のことを考えていた。
「あの子たち、どうしておとなしく待っていられるんだろう」
3人の子供たちは、それぞれの母親とは手を繋がず
自分たちだけで手を繋ぎ、母親の横に並んで立っていた。
外出する時、私はプリシンの手を離すことがある。
もちろん場の状況を見て、ここなら追いかけられると判断した場合のみ
プリシンを好きに走らせたりする。
かみさんは違う。何があろうと、絶対にプリシンの手を離さない。
振りほどいて走り出そうとするものなら、思い切り頭を殴る。
同じく自閉症の息子さんのことを「糸の切れた凧」と
表現したお父さんを知っている。実に的を射た例えだ。
糸の切れた凧は、どこに行くか分からない。
風の流れにただ、くるくると宙を舞うだけ。
手を離したプリシンも同じようなものだ。
日に日に足腰が強くなるプリシンを「あたしもう追いつけない」と
かみさんは言う。だからなおさら「離せない」意識が強く
それが自分自身への強迫観念となっているのかもしれない。
離したら車に轢かれる。離したら死んでしまう。
道路脇の子供らを、ぼんやりと言葉もなく見つめているかみさんが
とても寂しそうに見えた。
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■2004/02/21 (土) 鬱病 |
ここ数日、うつ病に関するサイトをいくつか渡り歩き見ていた。
症状や症例が書かれた専門サイトではなく、
実際にうつ病と闘っている個人の方の日記を、だ。
これが結構な数ある。
主婦の方の日記ばかりを選んで読んだのだが
日々の家庭での生活や、やりきれない自分の感情を赤裸々に綴る日記は
吐露する内容が内容なだけに、どれもがずしりと胸に圧し掛かる。
彼女たちは、日記を書くことで吐き出している。叫んでいる。
まるで、書かなければ自分がどうにかなってしまうかのように。
掲示板などの書き込みを見れば、通院する病院のこと、
飲んでいる薬のこと、やはり同じ様に苦しむ人々の叫びが書かれていた。
彼女たちに共通していることがひとつある。自殺念慮。
「死にたい」「生きているのが嫌だ」「ここから飛び降りることができたら」
胸の内から湧き上がる悪魔のささやきは、やはりこの病気の特徴だ。
人と会う時は気丈に明るく振舞っているので、うつ病の人というのは
はた目には普通に見える。ただ内面は違う。
地獄のような苦しみと毎日闘っている。かみさんも同様に闘っている。
これほどまでに「見えない病気」というものが、他に存在するのだろうか。
プリシンは悪くない。悪くないの。全部あたしが悪いんです。
あたしが悪いんです。悪いのはあたし。全部あたしが悪い。悪い。悪い。
「プリシンに障害がなければ病気にならなかったのかなぁ」
ぽろりと口にした一言に、かみさんは異常なまでの反応を示した。
椅子に腰掛け、テーブルの一点をじっと見つめたまま、あたしが悪い、
あたしが悪いと、何かに憑かれたように繰り返す言い方は、やはり尋常じゃない。
病状が悪化していることは、素人目にも分かる。
先日、話を聞きに伺ったドクターからは、強く入院を勧められた。
日常と切り離した生活を送らなければ危険だと指摘される。
入院することで、仕事や家事、育児でのストレスから開放され、
著しく改善された症例は、たくさん読んだ本の中に書いてあったので理解はしている。
ただ、我が家の場合はどうなのだろう。
プリシンを育てなければならないという重圧からは、一生逃れられない。
そのことが彼女を苦しめ「プリシンとともに死ぬ」という自殺念慮に走らせている。
それでも、一つの打開策には違いない。少なくとも真っ暗な闇の中ではない。
その向こうに、小さな明かりが灯りはじめた。
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■2004/02/22 (日) 告白 |
ただでさえ、プリシンの障害のことで義父母には心配をかけているのだが
我が家の現状を、ずっと隠し通すわけにはいかない。
「あたしの口からはとても言えない」と、かみさんは身を縮ませる。
叱られるのではないかと、親を怖がっている節がある。
じゃあ俺が話してきてやる。かみさんは黙って頷いた。
「あんまり過激なことは言わないでね」
1人で行くことは好都合だった。
現状を報告するのはもちろん、それより「情けない、頑張りなさいよ」等の
禁句を絶対に言わぬよう、念を押すことも目的だったからだ。
事前に電話で「話がある」と言ってしまったことが、余計な不安を抱かせてしまった。
到着すれば、義父母は何事かといった表情で並んで腰掛け待っていた。
ありのままを話す。
去年の夏から心療内科に通院していること、一向に改善されず入院を勧められたこと、
さすがに自殺念慮のことは口に出せなかったが、精神が不安定な日常のことは具体的に全て話した。
「だから言ったでしょう、お父さん」と義母は義父の腕を掴み詰問する。
予感はしていたらしい。
距離的に近いので、ちょくちょく義父母宅へは子供を連れ遊びに行くのだが
プリシンやあーちゃんに対し、突然激昂するかみさんの姿を見て
「あんな子ではなかったのに」と、いつも首を捻っていたと。
そして、義父母ともにうつ病の知識は豊富だった。
それまで腕を組み、口をへの字に曲げたままの義父がぽつりぽつり語り始めた。
「実はあたしもね、安定剤を飲んでいるの」
寝耳に水。心底から驚いた。義父がうつ病?遺伝!?
頭の中様々な想像が駆け巡る。うつ病に遺伝的なものがあるのか。
義父とは、社員数百人の某大企業の、現役社長である。
大勢の人前で話をしなければならぬ時、薬は手放せないらしい。
いろいろな社員を見てきたのだろう。うつ病になり会社を辞めた人間もいたという。
几帳面だとか完璧主義など、うつ病になりやすい性格のことも当然よくご存知だった。
あたしはあの子に子供の時から、「まじめにまじめ」にと
そればかりを説いていた。まじめに生きていれば絶対に間違いはない。
その教えが間違っていたのかもしれない。
両手で顔を覆い、うめくように呟く義父、
「しんちゃん、しんちゃん」と目を真っ赤に充血させる義母、
至らない夫だと、頭を下げるのが精一杯。申し訳ない想いで涙が滲んだ。
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■2004/02/23 (月) 前夜 |
1、2週間の入院だろうと、高をくくっていたかみさんにとって
その病院からの電話は、死刑宣告に等しかったに違いない。
「どうしよう・・・2ヶ月もだって」
するべきことは決まった。
大学ノートに、めじ君、プリシン、あーちゃん、
それぞれのページを作り、曜日ごとの予定を表にした。
タオルはこれ、お箸はこれ、かみさんに一つ一つ見せてもらいながら
日々の持ち物の全てを書き込んでいく。
給料に関しても、毎月の払い込み先や振り分けも教えてもらわねばならない。
教えることが多すぎて、頭がパンク寸前のかみさんは相当苛立っている。
教えることが、かみさん自身の負担となっているのは分かっていたが
聞かぬわけにはいかない。書き込みは数ページに及んだ。
こんなに忙しく働いていたのか。これでは病気になってもおかしくない。
入院が決まり、心なしかほっとした表情を見せている。
ここんとこ気持ちが安定しているようだ。
1日も早い入院を望んでいた私も、実はほっとしていた。
「本当に迷惑をかけるね」そればかりをかみさんは何度も繰り返す。
気にするな。「ちゃんと治して、戻って来い」
労わりの言葉が、本心からするりと出てきた。
黙ったまま、まるで子供のような表情で、首をこくりと上下に動かした。
ちゃんと治して戻って来い。
帰宅し、暗い部屋の明かりを点けたら
ぱんぱんに膨らんだスポーツバッグが目に飛び込んだ。
かみさんが自分でまとめた、入院のためのバッグ。
いよいよだ。
明日からの2ヶ月間、かみさんの闘いが始まる。
母親のいない生活と向き合っていく子供たちも、闘うという点では同じ。
私も含め、それぞれの闘いが始まった。
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■2004/02/24 (火) 入院 |
シクシク、シクシクと、涙ぐむあーちゃんの声で目が覚めた。
「おかあさんがいなくなっちゃった・・・・」
夢でも見たに違いない。いるよ、まだいる、ご飯を作っているよ。
いつもは寝坊助のあーちゃんなのに、勢いよく起きて台所へと走っていった。
晴れやかな顔で、フレンチトーストを作る妻。
見たことのない、春らしいレモン色のヨットパーカーを着ていた。
「これを着て行っちゃだめだよねぇ〜」
フードからぶら下がる2本の紐を指差し、かみさんはけらけら笑う。
自殺防止のため刃物はもちろんのこと、紐やコード類も持込禁止事項に含まれている。
こんなに明るいのに。こんなに元気な面もあるというのに。
入院初日。
手続きのため、必要事項を書くようにと書類を渡された。
薬の副作用のせいなのか、少し前からかみさんは手の震えが止まらないらしい。
綺麗に書くことができないと言うので、私が代筆することに。
今までのこと、これからのこと、あれこれ考えながら
無意識に手を動かしていたら「ちょっと、あんた!」と、突然かみさんが叫んだ。
なんだよ、やぶから棒に大きな声で。あれ?
見れば、書類の入院者氏名の欄に自分の名前を書いていた。あほや。
「おめーじゃねーだろっ入院するのは!」 心の中で軽く一人突っ込みを入れる。
本当におばかな私。すみません、用紙をもう1枚。
室内は暗く、汚く、響き渡る奇声、窓には鉄格子・・・・
そんな「精神科、閉鎖病棟」という言葉のイメージを、その病院は見事に覆してくれた。
脱走防止のためか施錠されたドアはあるものの、その他は目を見張るものばかり。
映画の中に出てくるような近未来的な空間設計、ピカピカのフローリング、
大理石の壁、美男美女、役者のような顔立ちの看護士たち。
入院患者さんは礼儀正しく、すれ違うたびに微笑み、会釈をしてくれる。
30〜40代の女性が多かっただろうか。
見た目には分からないが、それぞれがそれぞれの事情で、悩み、傷つき、
心を病んでしまい、ここいるという経緯がある。大変なんだなぁ。
何も分からず、見ず知らずの人にエールを送るのはよそう。
今はかみさんのことだけを考えるべき。休息のための入院だ。
きっと良くなる。
心身ともにリフレッシュして、笑顔で戻ってくる日を家族みんなで待つ。
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■2004/02/28 (土) 外出許可 |
あーちゃんの音楽会当日。外出を許可されたかみさんを迎えに病院へ。
入院してまだ日も浅いのに、すっかり痩せ細ってしまった。
「何もしないからお腹が空かないのよね。それに食事はまずいし」
笑顔で話すかみさん。
日中は何をしているのかと聞けば、編み物を教えてもらってると言う。
編み物サークル。サークル名まで付いてた。
他にも千羽鶴サークルなどがあり、有り余った時間を埋めるために皆様々なことをしている。
好き勝手な場所で作業を行なってはいけない。指定されたフロアがあり、
ガラス張りのナースステーションから常に動向を監視されての作業となる。
編み物サークルの女性たちとはすっかり仲良くなったようで、
「帰りに毛糸買ってきて」とお使いまで頼まれていた。
音楽会でのあーちゃんは3曲の歌を唄い、合奏では鈴を担当。
「御自分の目に焼きつけてください」という方針から、この園ではビデオ撮影が禁止だ。
その理由は実際に目で見れば分かる。
ファインダー越しに見る姿と、肉眼で見る姿、リアルさの度合いがまるで違ってくる。
今年も勇姿をしっかりと目に、心に、焼き付けてきた。
離れた席に座っていたかみさんは、一体何を思いながら見ていたのか。
終了後、4人で外食をした。めじ君、あーちゃん、かみさんと私の4人。
プリシンは、朝からデイケアのお世話になっている。
「外界の食事は美味しいわ〜」とすこぶる上機嫌なかみさんだったが
話題がプリシンンのことに触れると「言わないで」と、ぴしゃり遮る。
「会いたくなるから」
退院したとしても、今まで通りの生活はできない。
きっと、同じ様に再び病んでしまうだろう。
ドクターとの個別面談では「施設という選択肢もあるのですよ」と言われた。
施設? 何を言ってる。そんなこと考えてもいない。そう伝えれば、
お気持ちは分かりますがと前置き、同じ様な境遇のご家庭のことを幾例か話された。
最終的に皆、障害を持つお子さんを施設に預けたそうだ。
御家族の負担が多すぎるのなら、そういう選択肢もあるのです。
奥様のこと、お兄さんと妹さんのことを、少し考えてあげてください。
めじ君、あーちゃんのことを・・・。衝撃に視界が揺れた。
「施設に預ける=酷い、惨い、無能な親」
そうではないということをドクターは説いている。
家族の生活を守るための選択、ということか。
自分たちが育てていく。体力がある今、その気持ちは何も変わらない。
しかし将来のことは・・・プリシンがどう成長するかによるのだろう。
今はとてもじゃないが、そんなことを考えられない。
施設に預けるという想像をしただけで、涙が出てくる。
あーちゃんと一緒に、かみさんを病院に送り届ける。「お帰り〜」
編み物サークルの方数人に囲まれ、「可愛い可愛い」と口々にあーちゃんは誉められた。
別れ際「あまり子供を連れて来ないで」と言われる。
「同じ年頃の子供を持つお母さんもここに入院してるから。きっとつらくなるはず」
つらい気持ちは、かみさんもきっと同じ。子供は連れて行かない方がいい。
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■2004/02/29 (日) 荒れるあーちゃん |
母親が入院したのだから、精神的に不安定になるのも当然だ。
「そのようふくじゃないっ」「ちがうっ、おとうさんのばか」
何かにつけて、突っかかってくるあーちゃん。
今まではたまにこうして怒ることもあったが、こんなに頻繁ではなかった。
私にだけではなく、夕飯の手伝いをしてくれるお婆ちゃんにまでも汚い言葉を吐く。
母親のいない寂しさ、不安、揺れる心、小さな頭の中で彼女はたくさんのことを考え、
行き場を失った不安定な気持ちが、苛立ちへと変換されている。
昨日の音楽会で、担任の先生にそのことを話す。
「大丈夫です。彼女は吐き出してくれるから」
吐き出してくれることが大丈夫? そうか。
吐き出さず内面に留めてしまう子もいるということか。
そっちの方が怖いのかもしれない。
視点の違いに、さすがは教育者だと感心する。
「彼女は大丈夫。私たちがちゃんと受け止めますから」
言葉にはできませぬ。宜しく願いいたします。
そんなあーちゃんから「にんぎょうだして」と言われるまで
雛祭りが近いことを忘れてた。それどころじゃなかったからな。
夕方2人で、雛人形の飾り付けをした。
オルゴール付きの写真立てには、生まれて間もないあーちゃんの写真。
「ひな祭り」の音色に、あーちゃんは飛び上がるほど喜んでいる。
「いつまで、にんぎょうをだしておくの?」
本当は3日までなのだが、あまりに短すぎるので「3月いっぱい」と答えてやる。
「え〜、4月までにしようよ」4月?なにゆえに。
「かーかが帰ってきたらね、みせてあげたいの」・・・うぅっ、泣かせる娘や。
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