ひとりごと プリパパ編 2003/11、12月、01月



しゃべれない病気 明日があるさ 宝物 ┃壁┃_ ̄) ジィー・・・
人に託す意識  Heartbreak 惑い だけど、捨てないで
初詣 ひとりごと ネットの世界、現実の世界 伝達手段




■2003/11/05 (水) しゃべれないびょうき 

先日、姉が自閉症だという中学生の女性から、掲示板に書き込みがあった。
親御さんからの書き込みがほとんどの中、ご兄弟からというのは初めてのこと。
あーちゃん、めじ君という兄弟が我が家にもいるだけに
その生の声は嬉しかったけれど、考えさせられるものでもあった。

 「障害児の兄弟というのは、普通の兄弟たちよりも
  幼い頃から苦労することが多いです。悲しいけど事実です。
  でもきっと得るものも普通よりも大きいと思います。
  そして絆も強いはずです。私も姉を大事に大事にしています。
  きっとあーちゃんもめじ君もそう思っていてくれるはずです。
  昔、プリシン君のように大暴れしてくれた姉も今では立派に就職しています。
  家族がかけた愛情以上の成長を返してくれました。」

今まで様々なことがあったに違いない。
不平や不満、一言も愚痴をこぼさずに姉を誇るその姿に
たとえ中学生といえど、人間としての大きさを感じたのだった。

プリシンのことを、病気だと認識しているあーちゃん。
「ぷりしんは、しゃべれないびょうきなの。あと、ものをなげるびょうきなの」
その言葉を聞き、頭をトンカチで叩かれたように視界が揺れた。
無邪気に笑うあーちゃんの顔を見ながら思う。
この先きっと彼女にも訪れるであろう、社会と世間の厳しい目。
守ってやることができるのは、きっと親だけなのだ。

■2003/11/21 (金) 明日があるさ 

トータス松本君の能天気な歌声が、カーラジオから流れてきた。
♪明日がある〜 明日がある〜 明日がある〜さ〜
聞いていたかみさんは、いつものように独り言をぶつぶつ呟き始める。
「なんで明日があるって言い切れるのよ。変よこの歌。
今日がだめで、どうして明日がいい日だって分かるのよ」
冗談でそう言っているのではない。真顔。苛立ちを押し殺した声。
以前の自分ならば「おまえアホか、たかが歌だろう」と一喝したと思う。
今はただ黙っている。
病気だからしょうがないと思えば、そんなに気にならない。

家の中に笑いが消えてから、数ヶ月が経つ。
何もかもが気に障るようで、思いつくままいつまでも不満を口にするかみさん。
怒鳴られっぱなしの3人の子供たち。めじ君の笑顔も最近見ていない。
ムードメーカーのあーちゃんだけが、どんなに叱られようと
次の瞬間笑顔を振りまいている。本当にいい子だ。

一時「生きているのがつまらない」とあまりにも自殺を口にするので
どこまでが真意なのか分からずに「勝手にしろ」とキレたこともあった。
あとから知ったことだが、自殺者の6割だか7割の人がうつ病らしい。
頑張れと声をかけるのは禁句。
あれこれ頼み事をするのもよくない。それが彼女の負担となる。

日記辞めたからと言われ、その最後に書かれたものをさっき読んでみた。
「考えがまとまらない」
身近に接しているものとしてはそれが悲痛な叫びに聞こえる。
夕食でさえ何を作ったらいいか分からず、一人苛立っていることもある。
物事を同時にいくつも考えられないから、すぐに思考がパンクしてしまうのだろう。

辞めてほっとしたと言うが、あながち嘘ではないと思う。
でも、それが全ての気持ちではなかろう。
ほっとする気持ち半分、寂しい気持ちが半分といったところではないだろうか。
書くことで精神の平穏を保っていたような気がしてたので
吐き出す場が無くなった今後、どうなるのだろうと怖い気もするが
ひとまずかみさんにはお疲れ様の言葉を残す。本当にお疲れ様。

昨日までの冷たい雨がようやく上がり、気温はぐんぐん上昇、
一日中温かい南風が吹き荒れる日だった。
「明日からの3連休は気温が一気に下がり、冬の装いを始めるでしょう」
つけているテレビの予報士はそう告げている。
訪れる日が、いい日か悪い日かなんて誰にも分からない。
それでも明日は平等にやってくるんだ。

■2003/11/25 (火) 宝物 

すべてを削除する前に、バックアップしておいてほしい。

日記の更新を終了したかみさんからそう告げられた。
ポッポッと頭の中に飛び出した悪魔と天使。
「そのくらい自分でやれよ〜」と毒づく、悪魔@自分。
「まぁまぁ、そのくらいのことやってあげなさい。
初めに書くことを薦めたのはあなたなのだから」と私を諭す天使@自分。
瞬間、悪魔は煙とともに消え、天使がにっこりと微笑んだ。

借りているレンタル日記「さるさる」のトップページから
「使い方説明」→「バックアップの仕方」と探し出し読んでみた。
フロッピーをブスッと差し込んで、どっかのボタンをポチッと押せば
あとは勝手にバックアップしてくれるのだろうと思いきや
“あなたのパソコンのメモ帳などに、コピぺして保存してくださいね♪”
としか書かれていなかった。眩暈がした。

2001年7月。かみさんが日記を始めた月だ。
ひとつひとつの日記をドラッグ&コピー&ペーストしながら走り読みしていく。
夏が過ぎ、秋がきて、正月を越し、春が訪れて、また夏が来る。
喜び、怒り、哀しみ、楽しさ、子供たちとともに過ごした
文字通り4つの感情が、押し寄せては後方に流れ去っていく。
「成長日記」と当たり前に口に出していたけれど
今この時ほど、子供たちの成長を感じた瞬間はない。
3人が心身ともに大きく成長していることを実感した。

裏表がない人だ。
飾らない素の気持ちと、最初から最後までほとんど変わらない文体。
実生活そのままの人柄が、日記には反映している。
その時の心情を、飾らずにそのまま書いているから
すべてを読み返した時に、心が病んでいく過程が尚更分かってしまった。
ここ数ヶ月の迷走日記とは、まったく違う初期の日記。
飛びきり明るいかみさんがそこにはいた。

2001年7月から2003年11月までの膨大な日記を、2枚のフロッピーに保存した。
2年4ヶ月分の気持ちを、大切に保管しておいてください。
これはあなたのかけがえのない宝物です。

■2003/11/27 (木) 【壁】_ ̄) ジィー・・・・・・ 

我が家では当たり前になっているプリシンの行動だけど
もしかしたら誰かの為になるかも。ふと思ったので書き残してみる。

プリシン、満7歳、養護学校1年生。
言葉は一切ない。「あー」とか「うー」の発声と、
簡単なマカトン(「頂戴」の手の動き、等)のみである。
たったそれだけの意思表示で、日常の生活ができているのだからすごい。
プリシンは偉いのだ。

お腹が空いた時は、さっさと椅子に座って箸で皿をチンチン鳴らす。
おかわりは「うん!」と茶碗を大きく突き出す。
食べ終われば、黙ってシンクに食器を運ぶ。
「風呂」の言葉は分かるらしく、声をかければ服を脱ぎ出す。
歯ブラシを見せれば、笑いながら寝転がって磨いてもらうのを待っているし
「ねんね」と言えば、寝室に直行してお気に入りのマイ枕に顔をうずめる。
どうだ、やっぱりプリシンは偉いではないか。

さて、トイレはどうしているのか?
おしっこは問題ない。黙って行き、用を足しては戻ってくる。
うんちが問題なのだ。トイレですることはする。
しかし、お尻を拭くという概念がないから
そのままズボンをはいて何食わぬ顔で歩いている。
便器の中の置き土産を見つけては
慌ててプリシンを呼び寄せ、お尻を拭いていたのだ。

ただ、ここ最近のプリシンは一味ちがう。またひとつ成長した。
何がきっかけになったかは分からないが
「うんちをしたら拭くもの」そう学習したようで
終わった後、ズボンを上げなくなった。ただ自分で拭くことはできない。
膝下までズボンを下ろしたまま、扉の中から外を見ているのだ。
誰かの助けを求めるような目つきで。

下半身丸出しで、トイレの扉の影からジッと覗くプリシンの顔が
まさに顔文字のこれなのである。

【壁】_ ̄) ジィー・・・・・・ダレカフイテオクレ  


■2003/12/14 (日) 人に託す意識 

「あの、ボラさんですか?」

ボラさん? あぁ、ボランティアさんのことか。
いえいえ、私はボラさんではなく父親です。

プリシンの養護学校で「そり遊び」というものがあり
小学部から高等部までの希望者総勢30名、それと
一般のボランティアさんと一緒に、山梨県の某雪山まで行って来た。
観光バスの中、やたらボラさんに間違えられた理由は
おそらく大人の男性参加者が少なかったためだろう。
父親が一致団結して数々の行事を行っていた
保育園時代のことを思えば意外なのだが
養護では、完全に母親が中心で活動を行っている。
参加者の中、父親が付き添って来ていたのは私だけだった。
そして、これだけ多くの障害を持つ子供達と
行動を共にしたのも初めてのこと。

百戦錬磨(?)のお母さん方を見ながら、いろんな刺激を受けた。
まず、横の繋がりがしっかりしているということ。
「ごめん、○○さーん、うちの○○の涎を拭いてくれる?」
自分の手が塞がっている時、ためらうことなく他の人に頼みごとをする。
頼んだり頼まれたりというのが頻繁に繰り返される。
同じような子供達の親なので、頼み易いというのもあるだろうが
プリシンを人に任せるのが申し訳ないと、いつも自分たちだけで
なんとかしてきたので、ある意味軽いショックを受けた。
同じ様にボラさんも利用する。「あなた、空いてる?ちょっとうちの子見てて」
あ、託しちゃっていいんだ、任せちゃっていいんだ、そんな感じの軽いショック。
仲間同士、協力しながらでなければ育てられない。
自分1人の力などたかが知れている。そういうことだ。

■2003/12/16 (火) Heartbreak 

その知らせを聞き、まず驚いた。
なんだ付き合ってた人がいたの!そう驚いた。
次に、喜びの感情が溢れ出てきた。
良かったねぇ、良かったねぇ、良かったねぇ、と。
その次に、疑念の渦がグルグルと思考を駆け回り始めた。
相手は誰だ?知っている人だろうか?一体どこのどいつだろう。
年齢は?職業は?どこで知り合い、何年付き合ったのか。
ひとしきり想いを巡らせた後、ドドーンと襲ってきたのが寂しさだった。

かみさんの携帯に届いたメール。
それは在園時の4年間、プリシンのことを我が子のように
面倒見てくれたS先生からの、結婚報告のメールだった。
園に知れ渡る前に、真っ先に教えてくれたという気遣いが嬉しい。
とても嬉しい反面、どういうわけかショックを受けている自分。
この気持ちはなんなのだろう。
娘を手放す父親の心境?違う。
別れた彼女が結婚してしまう切なさ?あ、これに近いかも。

でも一番は、プリシンから離れていくことに寂しさを覚えている。
卒園しても園に行けば会える。そこにいる、という安心感があった。
見守ってくれているというのは、言葉を交わさずとも伝わる。
その想いに、きっと頼っていたのだろう。

ご結婚本当におめでとうございます。
幸せになってほしいと、ただ願うのみです。涙ぽろり。

■2003/12/22 (月) 惑い 

今は疎遠になってしまった友人のことを考え、
過ごした「ある一日」の出来事が不意に蘇った。

季節は秋だったと思う。
その友人は引っ越し、新しい住まいである関東の外れまで
車で2時間半かけて訪ねていった時のことだ。
まだ幼いめじ君とプリシン、そしてかみさんのお腹にはあーちゃんがいた。
到着後、ちょっと歩こうかと、近くにある公園に行った。
有名な公園らしく、ものすごい数の人がいた。

友人は、よちよち歩きのプリシンとよく遊んでくれていた。
大きな池。水面を白く埋め尽くしていた、たくさんの水鳥。
快晴の日曜日で、陽射しが柔らかく、絶好のお散歩日和だった。
別れ際、友人はポツリとつぶやいた。
当時かみさんが心配していたことを、私が認めまいとしていたことを、
子育ての経験などなかった彼は、はっきりと指摘した。
「なぁ、プリシン君、変じゃないか? おかしいよ、絶対におかしいよ」

あの時から、いや生まれた時から、すべては始まっていたのだ。
また物投げが復活してしまったプリシン。
奇声、落ち着きのなさ、原因の分からぬ激しい泣き叫び、
突然のプリシンの変貌に思い当たる原因は、薬を止めたことくらい。
本当にそれが原因なのか。薬を飲んでいた方が楽なの?
本人に聞いてみたい。教えておくれ。

プリシンより少し上の子を持つ母親からメールが届いた。落ち込んでいた。
学校での噛みつきがひどく、家でも手がつけられなくなる時があると嘆いていた。
「大変なのはうちだけじゃない」とその方は言いながら、たくさんの涙を流している。
どうしてなのだろう。どうして。理不尽だ。

■2003/12/31 (水) だけど、捨てないで 

ふー、ほろ酔い。
夕食のちゃんこ鍋、それと年越しそばを食し、
夫婦2人で赤ワインを2本空けながら、久々に長いこと語らった。
メインとなったのは、2日前の新聞記事で見つけた「身元不明の子供」のこと。

ちょうど1年前、新宿駅近くで10-13才の子供が保護された。
重い知的障害を持つその子は、言葉を話すことができない。
従って住所や名前、国籍すら分からない。
身元の分かるようなものは、一切所持していなかった。
迷子? いや違うだろう。かみさんと一致した意見。「捨ててしまった・・・」

めじ君が生まれ、プリシンが生まれ、あーちゃんが生まれた。
かみさんは言う。プリシンがもしひとりっ子だったらあたしは心中してた、と。
その気持ちはよく分かる。
すべての感情がプリシン1人だけに集中していたのなら、
そう考えれば・・・私も狂うかもしれない。
めじ君とあーちゃんの明るさ、そして2人のプリシンを慕う愛情が
我が家の均衡を維持しているようなものだ。

新宿で我が子を置き去りにしてしまった親を
ひどい親だと思うものの、責められない。
今は「信じられない親」だと思っていても、
数年後の自分たちがそうならないとも限らないからだ。
「酷い!」と責めたい、でも、責めきれない。
苦渋の決断だったのだろう。推し量ることだってできる。
「もしプリシンだったら車にはねられている・・・」かみさんはつぶやく。
多動がないから無事保護されたであろうお子さん。
1年が経った今、再び社会面トップに記事を載せるということは
その親御さんに呼びかけているのかもしれない。引き取りに来てほしいと。
どんな思いでその記事を目にするのか。それともしないのか。

今年も残すところ3時間足らず。
めじ君、あーちゃんとひとつ約束をした。除夜の鐘を聞きに行こうと。
2人は何をお祈りするか考えている。さて、何を祈るとしよう。

■2004/01/01 (木) 初詣 

大晦日の夜、めじ君に起こされた。どうやらうたた寝をしてたらしい。
隣りには、同じく眠りについているあーちゃん。
めじ君だけが「GBA」をやりながら、時が来るのを待っていた。
時計を見る。23:30。うわっ、間に合わないぞ、こりゃ。
寝惚けるあーちゃんを起こし、慌てて着替え、3人で近所の神社に向かった。

こんな夜中に歩くのは初めてのことで、2人とも上気しているのが分かる。
「さむいねぇ、さむいねぇ」と息を白くさせながらニコニコしてる。
初めての初詣。歩いて数分の神社に到着すると、長い石階段に行列ができている。
最後尾に並んだものの、めじ君は落ち着かない様子で
「ちょっと上の方見てくる」と、石段を上がったり下りたり。
貸してあげた耳まですっぽり収まる茶色のスキー帽が、よく似合っているめじ君。
この日をよっぽど楽しみにしていたんだな。

0時を回り、列が動き出し、お賽銭の順番が来た。
鈴を鳴らし、手を合わせ、3人は願う。
帰り道、神様に何を願ったか2人に聞いてみた。
「あのね、ぷりしんがしゃべれますようにって」
あーちゃん、自分のことをお願いしなきゃ。
そう言いながらも、内心ではその優しさに胸打たれていた。
めじ君は何をお祈りしたの?
「うん、とーとがね、勝手にテレビのチャンネルを変えないようにって」
なーんじゃそりゃ・・・。

キンと冷えた空気、シンと静まる街並み、
何もかもが新鮮に映ったであろうめじ君とあーちゃん。
この夜の出来事は、きっと強く思い出に残るに違いない。
「うわぁ、おとうさん、そらをみて」
見上げた夜空にたくさんの星の輝きを見つけて、あーちゃんは喜声を上げた。

■2004/01/16 (金) ネットの世界、現実の世界 

会えなかったなぁ・・・。
軽い落胆を胸に抱き、先ほど帰宅した。

「16日に上京します。お会いできませんか?」
その男性からメールをいただいたのは2日前のこと。
あいにく今夜は、新年会の予定がひとつ入っていた。
時間的に無理だと分かりきっていたのに「早く終わったならそちらに行きます」と
気がつけば返事のメールを送信していた。

その方とは1年半ほど前にネットで知り合い、
頻繁ではないがBBSやメールで密度の濃い会話をしてきた。
実年齢は聞いたことがないが、私よりひと回り以上は年上のはず。
繊細な心の持ち主、分け隔てのない人への思いやり、
その方を表現する言葉はいくつも思いつくが
そんな言葉はどうでもよく、ただ単にフィーリングが合ってしまったのだ。

ネットで仲良くなった人と「じゃあ、会いましょう」と簡単に実現させ
楽しいひと時を過ごされる方を多々見かける。
ひょいと垣根を乗り越えて、生身の自分をさらけ出すことができる人を
ある意味すごいなと思う。私には真似できない。
ネットだけでいいじゃない、そう思ってしまう自分がいる。
それでも今まで「会いませんか?」と言われ、何人もの方と実際にお会いしてきた。
いつもそうだが、ネットでは楽しく会話をしているものの
実際に会えば、照れなのかなんなのか思うように話ができず
別れてから、ああ言えばよかったなどと後悔することが多い。
それでも翌日になれば、お会いした方々とネットで雄弁に語れる自分がいる。
ただ、それまでとは違う。
会う前とは違う、温かみのある感情が芽生えていることに気付くのだ。

ネットで親しくなればなるほど互いの距離はどんどん縮まるが、
それ以上は超えられない「垣根」があるように思う。
実際にお会いして、本当の自分の声で会話をした時にはじめて
その垣根は越えるのじゃないだろうか、そんな気がしている。

今夜会うはずの方もこう言っていた。
「会っていろんな話がしたいと思う反面、会う必要もないと思ったりもします。
会わなくても充分思いは伝わると。でも会って話をすれば(隙間というか隔たりが)
少しでも埋められるかもしれない、そんな妄想のようなものを抱いています」

やはりこの人とは似ている。
今夜は行けないと、教えていただいた携帯に電話を入れた。
聞こえてきた声は、独特の関西弁で、予想に反し甲高かった。
初めて聞く生身の声だった。
いつかまた、会える機会は訪れるでしょう。

■2004/01/21 (水) 伝達手段 

いつも通り、睡魔が訪れるまで飲み続け(こんな飲み方危険だ)
もう駄目だ〜、寝る〜と限界点に達し、自分の寝具に倒れこもうとした。
いや倒れこめない。そこにはプリシンが寝ていたから。
スペースを確保しようと抱き上げた瞬間、ネチャーと指に不快な感触が湧く。
外した眼鏡を慌ててかけ直し、再び覗き込むと
プリシンは自分の吐瀉物にまみれながら寝ていた。

今年の風邪は腹にくる。あと激しい吐き気。
正月に体験済みだからよく分かる。熱が出ないからわりと動ける。
プリシンも普段通り元気で、寝る時も風邪の兆候は全く見られなかった。

パジャマを脱がせ、枕カバーとシーツ、毛布を手洗いし
30分後、ようやく眠れる〜と横になった途端、隣りのプリシンは再び「ゲー」。
それがもう1度、合計3回続いた。
最後には「トイレで吐けよー」と、理解できるはずもないのに怒鳴っていた。
さらに朝まで2回プリシンは吐き、かみさんなどほとんど一睡もできなかったらしい。

「お腹が空いた」とか「トイレに行きたい」などは
口や尻を触ったりして、プリシンは手で表現してくれる。
気持ち悪いって表現は無理だよな。伝える手段がない。
「吐きそう」ってたった一言話せれば、それで分かるのに。
プリシンは、言葉という伝達手段を持たず生きている。
「ジェスチャーゲーム」のことをふと思った。
分からなくてもどかしく感じる回答者よりも、
伝えたいと奮闘する本人の方が、きっと何倍も辛い思いをしている。




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