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■2003/10/03 (金) ダブルレインボー |
今から10年前、新婚旅行での思い出だ。
蛇口をひねっても水はわずかしか出てこなかった。しかも褐色に濁っている。
お湯になるはずもないその濁った水を、仕方なくバスタブに溜めていく。
寝そべるような不自然な態勢で、なんとか肩まで湯船に浸かった。
それでも海水を洗い流せて気持ちが良かった。
真冬の日本の裏側にあるその島は、一年中真夏日。
波の音と、射し込む夕陽のオレンジで部屋は満たされていた。
フロントまでビールを買いに言ってほしいと彼女に頼むと
そっけなく拒まれた。「じゃんけんで決めよう」
勝つことは分かっていた。チョキを出す。もちろん彼女はパー。
最初にパーしか出さない彼女は、なんで自分がじゃんけんに弱いのか
今も分からないし、この先も分かり得ないのだろう。
カリックビール。その島唯一のビールの名前。
滞在していた頃は不味いビールだと渋々飲んでいたが、今じゃその味も懐かしい。
カリブ海に浮かぶ小島ハーバーアイランド。
一年中常夏の島に特有の、激しいスコールに見舞われた夕暮れ。
部屋に戻り、再びテラスに出てみると、
日本では考えられないような大きな虹が出ていた。
しかも2本。ダブルレインボー。この虹に願いを込めると叶うという。
その時たしかに何かを祈ったはずだが、まったく思い出せない。
思い出せなくても願った内容はだいたい分かる。
もしもあの日、あの場所、あの時間に戻れたとしても同じことを祈るはず。
あの時もたぶん、この先の幸せを祈った。
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■2003/10/04 (土) 相沢康夫さん |
保育園で催された相沢康夫さんという方の講演(&実演)を見聞きし
大袈裟でなく目からうろこが落ちた。
めじ君、プリシン、そして現在あーちゃんがお世話になっている園には
たくさんの積木がある。V字型だったりヘンテコな立方形だったり、
積木というよりパズルっぽいもので、変わった形の玩具だなと思ってはいたが
さして気にも止めなかった。それら全ての積木がそんじょそこらのおもちゃ屋で
売られているようなものでなく世界的に有名なスイスの玩具メーカー、
「ネフ社」製だということを、恥ずかしながら今夜の講演で知ることになる。
(在園4年目だというのに・・・)
相沢さんという方は、このネフ社から発売されている「VIVO」など
いくつかの積木デザインをされている尊いお方だった。
巧みな積木パフォーマンスにすっかり魅了されてしまい、講演終了後
相沢さんが描かれたの2冊の本を購入、背表紙にサインまでしていただくミーハーぶり。
本の内容は、相沢さんの3人のお子さんとの今までの関わりが漫画とエッセイで
面白おかしく描かれている。(この絵がほのぼのとして良いのだ)
積木(もちろんネフ社の)や絵本の読み聞かせが、どれだけ子供の成長に
影響を与えるかを知り、その重要性に鳥肌が立つほど感動した。
と同時に、今までの自分の絵本を読み聞かせる姿勢が間違っていたと痛感、
(寝転がりながらではなく、膝に乗せて!)今夜から改めようと決意。
ネフ社の積木も欲しくなったものの、価格を見たら目ん玉飛び出る高額だった。
うぅぅ、2万3万は、ひょいと出せる金額じゃないぞな。
クリスマスプレゼントの候補に入れておこう。
・・・勢いで今の気持ちをダダダッと書いてしまったが、
読み直せば、なんともまぁ感化されやすい男だ。
相沢康夫さんの勤め先でもある、子供の本とおもちゃの「百町森」のHPはこちら。
http://www.hyakuchomori.co.jp/
(追記)
ある外人が、このネフ社の積木を手に取り設計者である人に
こう言ったそうだ。「これは子供にはもったいないよ!」
対して返答がこれ。「NON、NON、NON、大人にはもったいないんだよ」
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■2003/10/07 (火) 授業参観 |
数ヶ月ぶりにプリシンの学校の授業参観へ行く。
「何日の何時から何時まで」と決められていないのが養護らしい。
今週は授業参観ウィークとのことで、いつ何時でも見学していいのだ。
仕事の合間をみて行けるので非常にありがたい。
教室でおのおのが、先生とマンツーマンで自由勉強をしていた。
言葉が出る子は絵カードで食べ物の名前当て、そうでない子はパズルを楽しみ
プリシンはというと紐にビーズを通していた。それが終わるとお箸の練習。
小さなプラスティックのボールを、AからBのトレイに一つづつ移し変え。
ちゃんと席に座り、落ち着いて作業を黙々とこなすプリシン。
着実に成長している姿を目の当たりにして大きな感動を覚える。
「最初は全部投げちゃって大変だったんですよ」
そうだよな、『気がつけばできていた』わけじゃない。
その裏には見えない先生方の努力があるのだ。言葉以上の感謝をしている。
次の体育の授業は、障害物競走のようなものだった。
まずは先生に足を持ってもらい手押し車、次は少し高い位置にある
タンバリンをジャンプで叩く、そしてハードル、マットで転がり、最後はトランポリン。
華麗なフォームで走るプリシンは、やはり他の子と比べ体力がある。
一緒に見ていたかみさんは「プリシンが一番えらいね、一番可愛いね」と
親ばかボイスを耳元にささやきかける。ふっ、でも同感。
いろんなことができるようになっていたプリシン。紛れもなくそれは成長だ。
最近プリシンは、家でも物投げの回数が少なくなってきた。
今までを振り返れば、何かに凝りだし、飽きれば次のこだわりへと
その繰り返しだった。例えればそれは山。
小さないくつもの山をプリシンは越えてきたのだ。
ここにきて、またひとつの山を越えたという感がある。
乗り越える度に、生活が徐々に楽になってきているような気もする。
この日記はおそらく同じ様な境遇の方、
すなわち障害児をお持ちの親御さんも読まれていると思う。
そんな方にエールを送りたい。今が大変でも必ずその山を越える時がくると。
頑張って下さい。お子さんと一緒にきっと乗り越えられますから。
ま、健常児も障害児も、子育てというものは
そんな山の繰り返しかもしれないけどね。(偉そーに)
来月でプリシンは満7才になる。今度はどんな山が待ち構えているのか。
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体育授業の終わりの体操。一年生全員で手を繋いで輪になった。
流れてきた曲は、久しぶりに耳にした「いつも何度でも」だった。
真っさらな脳内のメモ帳に歌詞をタイピングしていきながら
子供達が一生懸命明るく体操をする姿を見てたら
なんだか沁みて沁みてしょうがなかった。
繰り返す過ちの そのたび人は
ただ青い空の 青さを知る
果てしなく 道は続いて見えるけれど
この両手は 光を抱ける
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■2003/10/14 (火) 支援費制度 |
保育園の頃は5時までみっちり遊んでいた(遊ばせていただいていた)
プリシンだが、養護学校に通うようになり帰宅は2〜3時と極端に早くなった。
それから夜まで何をして過ごすか・・・。
思えば、プリシンが早く帰宅するようになったこの4月から
かみさんの体調が悪くなっていった。つまり精神を病んでいった。
園時代のお母さん方が交代で散歩に連れて行ってくれる
週一回の「プリシン隊の日」と、同じく週一回の訓練会の日以外は
ほとんど家の中にいて、ただ走り回っているだけだった。
「支援費制度利用のご案内」
市の福祉課から発行されているパンフレットを読むと
障害者手帳を持つ知的障害児ならば、支援費を支給していただき
地域の介護所を利用できるということが分かった。
この制度を利用し、プリシンは週に2回お世話になることが決まった。
説明と手続きをするために番地を頼りに行くと、そこは介護所といっても普通の一軒家だった。
代表の男性から料金などの詳細を聞きながら、プリシンのタイムスケジュールを決めていく。
職員の方が養護のバス停まで迎えに行ってくれ、そのあと数時間一緒に過ごしてくださる。
こんな制度があったんだと、感心するほかない。
大丈夫だろうか、見れるのだろうか、大変だろうなという不安はあるが
ここはお任せするしかない。
プリシンにとっても家で軟禁状態を続けるより、その方がいいに決まっている。
この地域の介護所には30名ほどの登録があるという。
下はプリシンと同じ6才の子から、上は20才の青年まで。
様々な経緯でこの制度を知って、みなさん同じ様に利用しているんだなぁ・・・。
いただいた説明書に書かれていた2つの運営方針。
1、障害を持つ人たちの活動を支えます。
2、普通の暮らしを支えます。
「普通の暮らし」という言葉が重く迫った。
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■2003/10/31 (金) 白いページの世界 |
2、3日、日記をお休みしようかなと考えていたものの
気付けばあっという間に2週間が過ぎていた。
たった2週間といえど、今までのことを思えばそれはかなり大きな時間の壁で
それ以前の自分を客観的に振り返る余裕すら生まれてしまっている。
今までよく書く時間があったなとか、毎日よく書くことがあったなとか。
以前「私にとって書くことは息をすることと同じ」と
書かれていた日記を目にし、ああ似てると、その人に共感したことがある。
酸素を吸うことが、イコール日々の出来事を体感することならば
体内で吸収し、二酸化炭素を吐き出すことはイコール日記を書くことなのだ。
呼吸をするよう当たり前に私も日記を書いてきた。
ただ、書いても書かなくても、普段通りに日々の生活は繰り返されていく。
流されていく時の中で、漠然と実感してしまったことは
「あぁ、こんな風にしてネットから離れていくんだな」ということ。
同じくお子さんのサイトをお持ちの方から、本当に温かいメールをいただいた。
更新が滞っている私を気遣う文章の後に、こう綴られていた。
「(ホームページを作ったことで)親として私は強くなれたような気がする。
それはみんなのおかげです」と。その言葉にはっとした。
日記を書き始めたことにに対し、目標や希望があったわけではなく
ただ書きたいから、吐き出したいからという「気持ち先行型」だったが
書いたものに対し、同調、意見、反論、大勢の人と関わってきたことで
たしかに親として私も強く大きく成長した。(たぶん)
もちろん書き始めた頃は、そんなおまけが付いてくるとは思いもよらず。
「親として私は強くなれたような気がする。それはみんなのおかげ」
それは、言われて気がついた自分の感情。
仮に親としての成長を目標に掲げるのなら
サイトを作ったことで、日記を書き続けてきたことで
それはあらかた達成できたのではないかなと、今思い始めている。
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