ひとりごと プリパパ編 2003/8、9月



木偶の坊 火垂るの墓 病名の裏側 2003年の夏休み
叩かれて学んだ 叱り方  A Thousand Winds
 



■2003/08/05 (火) 木偶の坊 

その老婦人は、片言の日本語でこう言った。
「ダメネ、ダメ! オバアサン、コドモ、ミルネ、チュウゴク、ソウ」

..........................

中国の方と話す機会があった。
60前後だろうと思われるその女性は来日5年で
片言の日本語だったが、それなりになんとか会話は成立した。

話の過程で知り得たことは、姪っ子夫婦も日本に来ており
夫婦共々中華街で働いているということだった。
驚いたのはその姪っ子夫婦、幼子を中国に残して日本に来ているのだ。

「誰が子育てしてるのよ?」
「オバアサンネ」 老婦人は当たり前のように答えた。

「オバアサン」とはその老婦人の妹のことである。
中国では夫婦共働きが当たり前で、その夫婦の親が孫の面倒を見る、
これもまた当然のことらしい。
自分が若い時分も同じよう子供の面倒は両親がしてくれたし
年を取ってから、今度は孫の面倒を自分は見てきたのだと誇らしげに言う。
「シンセキ、ミンナデ、ミルヨ」
祖父母が無理なら、親戚中みんなで協力しあって子供を育てるということ。
夫婦は一生懸命働いて、自分の子供と親を養う。
血の繋がりの強固さ。親戚への援助も普通なのかもしれない。
これが中国の習慣であり、風習なのである。

「アナタ、コドモハ?」「奥さんが見てるよ」
「ダメネ、ダメ! オクサン、ハタラク
 オバアサン、コドモ、ミルネ、チュウゴク、ソウ」

そんな風習が日本にもあれば、かみさんの子育ての負担も
いくらか軽減していたのかもしれない。
糞が付くほど真面目な性格で、他人に厳しいが自分にも厳しい人。
「だいたい」とか「おおまか」という言葉が嫌いな完璧主義の人。
自分一人だけの力で、物事をいつも処理しようと努める人。

夏休みに入り、一日中プリシンの相手は大変だろうと思ってはいたが
思っているだけで、何も分かっていなかった。
あれだけ飲んでいたビールを飲まなくなった時点で、サインは出ていた。
いや、もっと遡る。ほとんど飲めなかったお酒を
飲むようになった時点で、すでに変調があったのだとドクターは言う。

心療内科に通い始め、睡眠薬ほか大量の薬を処方され
薬が切れぬまま朦朧とした状態で早朝に車を運転し、事故を起こした。
そこまで追い詰められていたとは、気付かぬ自分はなんとお気楽な男か。
家族を、かみさんのことを、もっと真剣に考え行動に移す時だ。

■2003/08/22 (金) 火垂るの墓 

「餓死」という、現代ではまず考えられない死因で
人がバタバタ死んでいく時代が確実に存在したということに、まず考えさせられる。
当たり前に毎日食べている白米も、当たり前に食べてはいけないのじゃないかと。

今では夏の風物詩になった感のある、金曜ロードショーの「火垂るの墓」。
初めてこの映画を見てから十数年の時が流れているけど、何一つ色褪せてなかった。
デスクワークしながらの、いわゆる「ながら見」だったけれど結局2時間最後まで見てしまう。

否応なしに、節子と我が娘あーちゃんが重なる。
同じ年頃のお子さんがいる方なら、誰もが重なるでしょう。
節子にとってみれば清太は兄でもあり父親でもある。
清太にしてみれば、節子は妹であると同時に自分の娘なんだ。
だから余計に身につまされる。
「自分しか節子を養えない」という清太の責任感が、泣けるほどに分かる。
さつま芋を夜中に盗んで捕まってしまうシーンで
ボコボコに殴られた後、節子を抱きしめて清太はボロボロ涙をこぼす。
そのシーンだけじゃなく、清太が涙を流すたび
そのまま涙が伝染したのは・・・言うまでもないですね。

幽霊になった節子と清太が、過去の自分たちを遠くから眺める場面が随所にある。
ふっくらとした頬、身なりも綺麗なふたりは、たぶん一番幸せだった時の姿なんだろうな。
痛みも空腹も感じない世界が本当にあるのなら、そこで今頃
家族幸せに暮らしているといいなぁなんてことを、年甲斐もなく願う夜でした。

■2003/08/28 (木) 病名の裏側 

取引先の担当者が入院したというので、病名を電話で聞いてみれば
軽い脳梗塞だという。年は自分と変わらない人だけに驚いた。
私の記憶がたしかなら、ミスチルの桜井君も小脳梗塞だったと思う。
西城秀樹もそうだったっけか?
怖い。恐ろしくなり、症状や前兆を調べてみた。

  【症状が軽い場合】
  食事中に口からポロポロと食べ物をこぼす
  言葉がすぐ出てこない、ろれつが回らなくなる

おいおい、これそのまんま私だ。
食べ散らかし、テーブルの下がプリシンより汚いと
笑いながら馬鹿にする、かみさんとめじ君の今朝の顔。
笑い転げるあーちゃんの顔も浮かんだ。
呂律が回らないのもそうだ。思考に口が追いつかず、まったく舌が回らない。
自分でも何言っているのか分からなくなり、一から言い直したりすることもある。
恐ろしい。すでに予備軍ということだろうか。

夏場は水分補給が重要だと書かれているのを目にし、
慌てて会社の紙コップに海洋深層水を注ぎ、それを飲みながら書いている。
就寝時と起床時に飲むコップ1杯の水も効果的らしい。実践せねば。

もう一つ、本当はこちらの調べものをしたかった。

  几帳面/完璧主義/正義感が強い/責任感が強い/仕事熱心 
  何でも人任せに出来ない/融通が効かない(柔軟性に欠ける)
  /白か黒かはっきりさせようとする/まじめ

唖然。かみさんの性格そのまんまで唖然とした。
これらが「うつ病になりやすいタイプ」だという。
メールや掲示板の書き込みで、障害児を持つお母さん方の多くが
同じよう心に病を抱えていることも知った。
当然といえば当然か。みなストレスを抱えて暮らしているんだな。
「あたしだけじゃないのよね…」そう呟きながら、
かみさんは今夜もたくさんの錠剤を口に放り込んだ。

■2003/08/30 (土) 2003年の夏休み 

この夏は、ウィンドウロックがとても役に立った。
ウィンドウロック・・・窓が開かないように固定する、鍵付きの小さな金具のことだ。
プリシンは、3階の窓から何でも外に放り投げてしまう癖があるため
その防御策として、網戸が開かないようにそれで固定していた。
最初の頃は、それでも力任せに開けようと
網戸ごとレールから外すなんて暴挙を繰り返していたが
学習したのかどうか、やがて窓そのものにも触れなくなった。

ひとつのことが出来なくなると、次なる楽しみを見つけるのが
こういう子供なのだろうか。次に困ったのがトイレだった。
閉じこもっては流れる水の先を、放っておけばそれこそ延々見ているようになった。
以前、近所に住む自閉の子を持つ母親が「水の流ればかり見て困る」と
息子の奇行に嘆いていたことを思い出した。
その時は「可愛いこだわりじゃない」程度で、なんとも思わなかったが
いざ我が家の出来事となると、これまた大変なことなのだ。
一度流し、水の流れが途絶えると、次から次から何度も流す。
叱ればその時は止めるが、5分としないうちにまたトイレに駆け込み流す。

4回5回と繰り返し流した時、ストレス許容量オーバーで手を上げてしまった。
どうしたらいいかを話し合い、最初は外から鍵をかけるようにしたが
使用する度の開け閉めが非常に面倒なのでそれは止め
紙に「×」と書いたものを、大小のレバーが隠れる場所に貼ってみた。
無駄だと思いながらの苦肉の策だったが、何故か功を奏した。
流さなくなった。おしっこをしても、うんちをしても、一切流さなくなった。
叱る前に、叩く前に、ぐっと堪えて先回りする思考がまだまだ足りない。
非常に疲れることだけど、そうしなければならない。

長い夏休み、親も大変だったが、怒鳴られ、叩かれてばかりの
プリシンにとっても肩身が狭く大変だったに違いない。
ご機嫌スマイルで奇声をあげる姿を見れば、いくばくかの罪悪感に心が痛む。
いよいよ大好きな学校のはじまり。プリシンの心も大きく開放されますように。

■2003/09/12 (金) 叩かれて学んだ 

まだまだおっかなくて目は離せないが、ようやく窓を開けられるようになった。
開けても、プリシンが物を外に投げなくなったということである。

この3年ほど、プリシンはいろんな物を3階の窓から投げた。
洗濯バサミやぬいぐるみ、スリッパ、そのくらいならまだ許せる
(本当は許せない)のだが、一度植木鉢を投げてしまい
危うく人に当たりそうになったことがあった。
投げるたびに激しく叱った。叱るだけじゃないく激しく叩いた。
靴を履かせ一緒に取りに行き、戻ってきてはまた叩いた。
我慢強くて滅多に泣かないプリシンを、泣くまで叩き続けた。
泣くまで叩かなければ「これはいけないこと」だとプリシンが認識しないと思った。
叩いた手が痛かった。時間が経つほどに胸が痛くなる。自分が情けなかった。

叩くのはよくないと誰もが言う。叩かずに言葉で注意をし続けてきたとして
はたして物投げを止めただろうか。答えはきっとノーだ。
叩き続けたからこそ、ようやく学んだのだと思う。自然になど止めやしない。
窓から物を投げたらいけないということを、プリシンは叩かれて学んだ。
ここまでの道のり、誰がどう思おうと間違ってはいない。

■2003/09/17 (水) 叱り方 

外に向けて靴を投げた瞬間、その先生は柔道の足払いの要領でプリシンを投げ倒した。
そのまま馬乗りになり、両手を押さえつけてきつく叱りだした。
「だめだろっ、だめだろっ」と頭を小突く。終いにプリシンは泣き出した。

訓練会のお迎えに行った際に目にした光景だった。
実の親が見ている目の前でここまでできるというのは凄い。
プリシンと真っ向から向き合う姿勢には、本当に頭が下がる。
その先生が特別厳しいのかと思い、かみさんに訊ねてみたが
「訓練会の先生はみんなそうよ」とさらっとした返答。
正直驚いたけれど、これでいいんだなと納得したこともたしか。
これでいいんだ。
やはり、自分やかみさんの叱り方で間違ってない。

いつか読んだ自閉関連の本の中の言葉を思い出す。
「時間を置いて叱るのは、何について叱られているのか本人が分からず無意味。
 悪いことをしたその瞬間にきつく叱るのが効果的」

■2003/09/29 (月) A Thousand Winds 

どうか私の墓石の前で泣かないでください
そこに私はいないのですから
眠ってなんかいません
今はもう世界中に吹き抜ける千の風の中です

秋には陽の光になって熟した穀物に降り注ぎます
優しく降る雨となり すべてのものを包み込みます
冬にはダイヤモンドのように雪の上で煌いています

朝の静けさの中であなたが目覚めるとき
私は素早い流れとなって駆け上がり
鳥たちを空でくるくる舞わせています
夜は星になり そっと光り輝くことでしょう
あなたを見守りながら 世界中を照らす光の中にいます

だから どうぞ私の墓石の前で泣かないでください 
私はそこにいないのですから
私は死んでないのですから

「A Thousand Winds」千の風になって(作者不明)


ご存知の方も多いと思うが、この詩は先月朝日新聞「天声人語」で紹介され
反響を呼んだものである。詩自体は古い。
19世紀末に書かれたものであることは分かっているが、作者は不明。

数年前、IRA(アイルランド共和軍)のテロで亡くなった24歳の青年が
「ぼくが死んだときに開封してください」と両親に託していた封筒に
その詩が残されていたという。
以降、アメリカの同時多発テロをはじめ、不慮の事故で身近な人を亡くした時などの
追悼の朗読として現在に語り継がれている詩だ。
日本でも「1000の風」というタイトルで、写真とメッセージ集の本が出版されている。
サブタイトルは「あとに残された人へ」。

昨年、2人の身近な人を亡くした。
1人は天寿をまっとうされた祖母、もう1人は近所に住む幼なじみの先輩で
まだ39才という若さだった。
突然の死というものは一体どんな感覚なのだろう。
死んでしまったら感覚がない、そう言ってしまえばそれまでだが
仮に魂だけが実は存在するのだとしたら、当人はさぞかし無念だろう。
この詩のように「私の墓の前で泣かないでくれよ」と見下ろしながら呟くはず。
では残されたものはどうすればいい?
ご家族のことを思えばこんな簡単に言ってはいけないのだろうが
それでも信じる。信じていたいし、先輩のお子さん達には信じてほしい。
風になり、いつもそばで見守ってくれているはずだと。
陽の光になり、温かく包み込んでくれているはずだと。
星になり、笑顔で煌いてくれているはずだと。
早いものだ。来週、先輩の一周忌を迎える。



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