ひとりごと プリパパ編 2003/4、5月



入学式 リコちゃんからの手紙 授業見学  馬鹿親 自転車青年
誉めること  Doctor ブラックジャックによろしく




■2003/04/07 (月) 養護学校入学式 

「ご入学おめでとうございます」

マイクスタンドの前に立ち、そうスピーチする先生の頭上を
緩やかな放物線を描いて青い靴が飛んでいった。
数秒後にはまた別の方向へ靴が飛んでいく。ぷ、ぷりしん・・・。
人を見ているというか、この先生なら怒られないと安心しているのか
入学式の真っ只中に、絶好調で靴を投げまくる小僧。
そばに座っていたお母さんがポツリ一言「よく飛ぶわね〜」。
後ろに座ってたお母さん方も「ほんとね〜」と、笑うでもなくただ感心していた。

弓なりに体を反らし叫んでいる女の子、
暴れる体を先生に羽交い絞めにされている男の子、
入学式での生徒達は、映画「学校」の世界そのままの風景だった。
その賑やかな光景に驚きはない。もちろん嘆きも悲しみもない。
言葉にするなら「安堵」、大勢の仲間がいるという安堵の温もりが心に広がる。

新入学生に比べて、在校生徒たちの落ち着きは一体なんだろう。
いつかプリシンもこんな風に、落ち着いて座っていられる時がくるのだろうか。
ダウン症の子は外見的に特徴があるからわりとすぐに分かるが
それ以外の子供たちはどんな障害があるのか。見た目では分からない。
障害の種類は千差万別、多分ここに座っている児童の数だけ種類があるのだろう。

5人×3クラス、それが今年の新1年生の数。先生方は各クラス3人づつ。
クラスごと別れ先生から説明を受けるが、プリシン早くも大脱走。先生が追いかけた。
大丈夫かなぁと思いながらも説明を聞いていると、なにやら外でカコーンという
プラスティック容器がどこかにぶつかる耳馴染みのある音がする。
窓の外を見れば、綺麗なフォームで中庭を駆け回るプリシン。
あ、一張羅のスーツが泥だらけ! 追いかける先生にはキャリアを感じる。
他の2人の先生も落ち着きを感じ、頼り甲斐あるとても大きな存在に思える。
「お世話になります」と心で頭を下げた。
1年1組プリシン。晴れて小学校生活のスタートです。

■2003/04/09 (水) リコちゃんからの手紙 

プリシンの保育園時代を振り返る上で、欠かせない女の子が1人いる。
仮名をリコちゃんとする。リコちゃんはプリシンが大好きだった。

「プリシン〜♪」と顔を見るなり走りより
いつも手を引き、姉のように甲斐甲斐しく面倒を見てくれた。
プリシンを抱きしめるリコちゃん、プリシンに頬を寄せるリコちゃん、
リコちゃんの頬にキスをするプリシン、全てがネガのように今なお瞼に焼きついている。

年長最後のお便りの中、「つぶやき」というページがあり
大人では決して思いつかない子供達の宝言葉が、そこに集められていた。
その中にリコちゃんの言葉を見つけた。

「ぷりしん〜、しょうがっこうになったら、おともだちさそってあそぶんだよ〜」

プリシンが風邪で休みだと落ち込んで給食も喉を通らないのだと、
いつか先生が笑って話していた。片時も離れるのを嫌がっていた彼女の言葉は、
いつまでもプリシンと一緒にいたい∞離れたくないよ%凾フ泣き言ではなかった。
彼女は、いつまでもプリシンと一緒にいられないことを知っている。
プリシンが新しい環境で、新しい人たちに囲まれながら生きていくことを知っている。
新たな道の一歩を彼女がすでに踏み出していることを知り
なんてしっかりした子なんだろうと、力強く前だけを見つめるその言葉に
頬を叩かれる思いがした。決して大げさでなく。

そのリコちゃんから、プリシン宛てに手紙が届いた。
会いたい∞また遊びたい≠フ言葉が並んでいませんように、
そう願いながら封を開く。やはり泣き言など書かれていなかった。そっと一文。
「ぷりしんがげんきじゃないと、リコはいやだから、げんきでいてね」・・・涙。

「おともだちさそってあそぶんだよ〜」と言う明るいリコちゃんの声が聞こえてくる。
遠くから祈る。新しい仲間達と楽しい学校生活が送れることを。
リコちゃん、入学おめでとう。

■2003/04/15 (火) 授業見学 

「財布を忘れたから持ってきてほしい」と、
プリシンの養護学校にいるかみさんから電話が入った。
お金を払うために学校へ行ったのに、肝心のお金を忘れるというボケぶり。
仕事中の作業着のまま財布を届けに行くと「今、体育の授業中だよ」とかみさん。
入学して1週間、養護での様子がまったく伝わってこないので
気になってしょうがなかったが、不意に授業を見学するチャンスに恵まれた。

5人×3クラス、15人全員の新1年生たちが、曲に合わせて踊っている。
ピョンピョンと飛び跳ねる男の子、耳を押さえて延々泣いている女の子、
プリシンはというと、嫌がりもせず曲に合わせて体を揺らせていた。
投薬の効果が現れているのか、それとも場に慣れたのか、
走り出すこともなく比較的落ち着いている姿が、意外といえば意外だった。

笑顔の可愛い男の子が走りよってきて、目の前で立ち止まった。
外見は健常児に見えるが、この子はどんな障害があるのだろう?
そう思いながら、賢そうな顔に「オス!」と声をかけたら
そのままの笑顔でいきなり眼鏡をもぎ取られた。嗚呼油断。

その後行われたボール投げのゲームに、息を切らせて走り回る先生方。
子供がうまくボール投げをできた時、先生方は心からその子を誉める。
できないながら、分からないながらに頑張っている子供たちと、
真摯な態度で、一生懸命子供たちと(楽しみながら)接している先生方、
いつの間にか溢れていた涙が、何に対する涙なのか自分でも分からなかった。

■2003/04/23 (水) 空 

久しぶりに空を眺めたような気がする。

保育園のお迎えに行った帰り道、あーちゃんと手を繋ぎながら
一緒に見た夕焼けがとても綺麗だった。
今日が特別なのではなく、美しいのは毎日同じ。
ただここ最近、夕方のこの時間に空を見上げていなかっただけのこと。

夕陽の茜色、翳る雲の灰色、消え残る青、そして混ざりつつある紺、
空を例える色の表現は、小説等数多く目にしてきたけれど
言葉で表現すること自体が無理なのだと気付く。
いくらうまく形容しても、目で見たこの美しさを活字で伝えることは無理な話。

本当に綺麗な夕焼けだった。
ただそれだけのこと。

■2003/04/26 (土) 馬鹿親 

叩いてしまった。
台所の流し、洗面台、水遊びするプリシンに何度もだめだと注意していたが
今度は服のまま湯船に飛び込んだ。
怒声と一緒に、瞬間手が出ていた。顔面を平手で。
ずぶ濡れ、水滴がしたたり落ちる服のまま、プリシンは慌てて正座する。
泣きもしない。肩をすくめ、怯えた目で見上げる。
水はだめだって言ってるだろう!
真っ赤に腫らせた頬のまま、何度も何度も首を上下に動かす仕草。
それがプリシンの「ごめんなさい」の合図。

激しい激しい自己嫌悪。
風呂場に鍵をかけ忘れていた自分への苛立ち。
叩くのはお尻だけ、自分の中での決め事をあっさり破った心の狭さ。
プリシンの頬に指跡がついている。叩いた手が痛い。
どれだけ痛いか、同じ強さでおまえの顔面も叩いてやろうか!
心の声がずっと叫び続けている。叩いてくれ。

■2003/04/30 (水) 自転車青年 

信号待ち、停車中の車の脇を、自転車に乗る小さい背中が追い抜いていった。
体は小さくとも立派な青年。彼のことは弟と同級だったので昔からよく知っている。
知的に遅れのある青年で、朝から晩までこうして自転車に乗っているのだ。
くわえ煙草で乗っていることもあれば、「おっす!」と手を挙げてくることもある。

走り去る大人用の自転車をぼんやり見送りながら、そのハンドルさばきに感心した。
停車中の車を縫うように横切り、止まるところではきっちり止まり左右の確認を怠らない。
そんな彼の生活を想像してみた。
「いってきます」と家を出て、お昼には食事に戻り、再び日が暮れるまで走る。
夕食時には、その日の出来事を母親に楽しく報告するのかもしれない。
彼にとってこうして自転車に乗るのが毎日のサイクルなのだ。

プリシンが30才になったら、どんな生活をしているのだろう。
彼のような状況判断ができなければ自転車にさえ乗れない。
指折り数えれば自分は60に手が届く年齢。施設しかないのだろうか。
想像もつかない未来の話だが、きっとなるようにしかならないのだろう。

夕べDVDで観た「ガープの世界」での台詞。
過去の人生がひとつの弧を描き、出来事が、次の出来事に繋がっている。
人生は1本の線なんだよ。

■2003/05/06 (火) 誉めること 

夕べから読み始めている「四日間の奇蹟」という本の中に
天才的な音感を持つ少女が登場する。彼女は知的に障害がある。
療育とは全く関係ない本だが、ある一節がいつまでも胸に残っている。

医師の言葉。「彼女を認める時、口ではっきりと言ってあげて下さい。
頭を撫でるなど動作を加えることも重要です。例えばそれが伝わらないとしても」

連休の3日間、プリシンとマンツーマンで接し
「できるようになったこと」をいくつも発見し、その度に感動した。
左右間違えて履いた靴を「反対だよ」と口にすれば脱いで直す。
シャツにしても同じように注意すれば脱いで直す。「反対」という言葉の習得。

それと「ゴミ箱」という言葉。捨ててほしいものを「ゴミ箱に入れて」と告げれば
おとなしくキッチンにある大き目のゴミ箱に持っていく。
各部屋にゴミ箱はあるのだが、持っていくのは
必ずキッチンのゴミ箱というのもプリシンらしい。
「洗濯機」という言葉も敏感に反応し、脱ぎ散らかしてある家族中の洋服を
まとめて放り込んでくれる。あとから丸まった洋服を直したり
おねしょで膨らんだ紙オムツなどを取り除く作業もあるのだが
そうやってできるようになったことはとても嬉しいし、
相応に誉めてもいるつもりだった。黙って抗いもせずに従う姿は
とても可愛いし健気だし、できた時には何度も頭を撫でてしまう。
本心では、抱きしめたいほどの愛しさも覚える。

それでも、もっと誉めようと。
できるようになったことに対して、もっと誉めようとその一節を読んで思った。
こうして書かなければ、瞬間の気持ちなど時間の経過と共に消えていく。
書くことは、自分に対しての決意表明みたいなものかも。

■2003/05/29 (木) Doctor 

我々の気持ちは、同じ立場の人間にしか分からないということだ。
きっとそうなのだ。それがたとえ医師であったとしても。

彼女が泣くとはよほどのこと。
うちが初めての診察ではないから、当然大勢の子を診察してきたのだろう。
同じように傷つけられ、ひとり泣いている母親もきっといるはず。
ハンディを背負って生まれてきたということだけで、
周囲の言動に、今まで十分傷ついてきたというのに。
そう思ったら憤りを感じずにはいられなかった。
何のための診察ですか。何のために医師はいるのでしょうか。

 「小さなうちからこの投げるっていう行動はきちんと止めさせないと」?
 「こんなに物投げがひどいんじゃ将来施設でも断られる」?

やめさせたいよ。もうかれこれ3年ほど苦悩してるよ。
何度プリシンを叩いたか。何度自己嫌悪に陥ったか。何度人様に頭を下げてきたか。
物投げを治す方法を知っているなら教えて下さい。
自閉症という障害が治らないというなら、せめて良くなる術を教えて下さい。
土下座だってしますよ。いや、自分だけじゃない。
同じ立場の世界中の親御さんが、救いを求めてあなたの元へ集まるでしょう。

■2003/05/31 (土) 「ブラックジャックによろしく」

LIFE is... another story

ラブソングは例外なく温かいけれど、この曲は特に温かい。
全てを許し、包み込むような優しさに満ちている。
前から知っている曲だったが、まさかこのドラマのエンディングに使われているとは。
全編通して聞いてしまえば、ドラマとは全く関係のない
切ない(本当に切なくなる)ラブソングだと気が付くのだが
映像に重なりながら効果的に流れると
内容とリンクした部分の詩のみが浮かび上がってくる。

     自分を強く見せたり 自分を巧く見せたり
     どうして僕らこんなに 息苦しい生き方選ぶの?

ダウン症という障害をもつ未熟児を我が子だと認めず(認めることができず)
手術承諾書へのサインを拒みつづける田辺夫妻に、医師は説得を続ける。
「あなたがたなら大丈夫。きっと育てあげることができますよ」

言葉だけをみればとても綺麗だ。
我々と同じような立場の親御さんなら、多分一度は言われてきた言葉。
あなた方のような親だから、この子はきっと生まれてきたのです
ある方に初めてそう言われた時「本当に自分らは選ばれた親なのだろうか」と
神の存在を信じる気持ちが半分、もう半分は「うちは無理だ。
この子はどうぞそういう素晴らしい親御さんのもとへ」と、それが偽らぬ本当の気持ち。

プリシンが生まれ、障害があると分かってから今日まで
「どうして?」という言葉がずっと付いて回ってきた。
どうして? プリシンの行動に毎日その繰り返し。
いつか、かみさんと「もしも」の話をしたことがある。
もしプリシンが健常児だったら、もしプリシンが普通級に通えていたら。
ランドセルを背負って通う姿。友達との登下校。
体力はあるからきっとスポーツは得意なはず。
知的な表情からは勉強もできると想像がつく。
兄を慕い、妹を想う心優しい子に・・・。
そんなプリシンの姿に思いを馳せていたのか
かみさんはしばらく黙り込んだが、何かを決意した表情で口を開いてこう言った。
「でもね、それはプリシンじゃないのよ」
そう、今ここにこうしているのがプリシンなのだ。「もしも」なんてない。
どうして自分達の元に生まれてきたのかなんて、そんなこと知らない。
「another story」など存在しないのだ。

平井堅は優しく歌っている。

    答えなど何処にもない 誰も教えてくれない

LIFE is... 人生に答えなどないのだろう。


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