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乳がでなかった。 周りのおかーさんたちが毎日80gとか60gとか量産しているのに、私は12gとか、6gとか。 しかたがないので粉ミルクと併用。 タンクは大きいはずなのだが、貯蔵量がいまいち少ないらしい。 おっぱいマッサージを受けたが、これがまた痛い。痛いわりに効き目なし。 やっぱり妊娠中にチチの手入れをまったくしなかったのがいけなかったのか。 新生児の中でいちばん目がぱっちりしていた。 みんなが「かわいい」「かわいい」とほめちぎるものだから、親バカが着火してしまう。 名前を考えなければならないが、私の候補はことごとく却下されるため、夫に任せる。 入院中に太一と決定した。 まぁ、新生児室でいちばんデブだしよ、と納得した。 「呼びやすい、書きやすい(小学校低学年で習う漢字だとなおベスト)、漢字の読み方・つづり方にいちいち説明 のいらない」名前、という私の希望もとおったので満足。 家に帰ったら、地獄が待っていた。 3時間おきに泣く。 3時間おきといってもミルクを飲み終わってから3時間ではなくて、泣き始めてから3時間。 泣く→母乳→ミルクの準備→ミルク→ゲップ→後片付け→寝かしつける これにだいたい1時間ぐらいかかる。 だから実質睡眠間隔は2時間ぐらい。 お産で疲れて果てて、何にもできない体なのに、こいつの食欲は本当に容赦がない。 新人だ、という遠慮もないらしい。 家に誰もいなくなって太一と2人でいるときは、いつ泣き出すのか怖くて、けっこうびくびくしていた。 妊娠中は楽しみで楽しみでルンルンだったのが、出てきた後のことなんて、これっぽっちも 考えていなかった。 いや、「こうなるんよ」、と言われても聞く耳もたなかっただろう。想像もつかなかったから。 この時期は実家にいたし、人手もあったので、布おむつをつけていた。うんこのたびに洗面所でオシリを洗った。 世間でいうほど、メンドくさくなかったように思う。便秘がちだったので、綿棒を肛門につっこんで出させた。意味もなく 泣きつづけるときはだいたい2日3日うんこがでなかったときだった。 この時期は絵陰切開の傷の痛みと、11号の服が入らなかったこと(以前は9号だった)、乳がでなかったこと、 母として、女として、人として自信をなくすことばかりだった。 ずっと家にいて、家族以外誰とも話さず、たまに人と話しても話が聞き取れず、すぐ疲れて、まるで引きこもりだった。
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