ひとりごと。

 

新しい歴史をつくれ、ワールドカップ!    2002年6月24日

 日本チームも大変いい健闘をみせてくれたが、とにかく共催国の韓国が強い。

日本チームが敗退した今、同じアジアとして、韓国を応援している日本人は多いのではないだろうか。

日本人の、特に若者たちには全く意識されていないことであろうが、今までの日韓の長い歴史を考えると、今回のワールドカップが本当に日韓関係においていい第一歩になってくれる気がしてならない。歴史を無視すること、学ぼうとせず無知でいることがよいこととは思えないが、戦後50年以上を迎え、これからの新しい日韓関係の歴史をつくっていかねばならないのではないかと強く思う。簡単なことではないが、日韓両方の若者たち、そしてサッカーというスポーツが、大きなきっかけになってくれることを望む。

感動はおなじ。

 早々にふたりめを妊娠した。

ひとりめの妊娠期がまだ記憶に新しい。看護婦さんや病院の先生もまだあのまんまだ。

初めての赤ちゃんをエコーで見たときの感動を思い出す。ドクッドクッと動いている心臓を見て、涙が出るくらいうれしかった。

自分の中に本当に命が宿ってるということが、信じられないながらうれしくて仕方ない気持ちなのだ。

ああいう感動って、ひとりめ独特のものなんやろか、そう思いながら病院に行った。元気に笑うその時の「子」を連れて。

「元気に動いてるね」

といった先生の声に気づいて、エコーの画面を見た。ドクッドクッ…

やっぱり涙が出そうになった。こんなにおんなじ気持ちで感動できるんだー…。

じ〜んときたハナシ。      2001年9月6日

 赤連れの外出は、なかなか苦労が多い。
まずは、荷物。オムツやおしりふきに加え、寒いといけないのでタオル、のどが乾くかもしれないので赤ちゃん専用飲み物をいれた哺乳ビン、さらに大うんちすぺしゃるをした時のための着替えと、ちょっと買い物するにも「もしも」の荷物をお供せねばならない。そのうえ、ウチの最寄の駅のようにエレベータもエスカレータもなく急で長い階段オンリーの駅となるとさらに大変である。抱っこひもで赤を抱っこしながら、片手で重たぁいベビーカーを持ち上げて、下がよう見えん状態のままヨタヨタと階段を降りる。その途中の壁に、「ベビーカーをお使いのお客さまは、他のお客さまのご迷惑にならないようにお願いします」と書かれたりしてあると思わず苦笑である。誰が迷惑かけたくてかけるんかいな、だいたいこの、バリアフリーの時代になんだね、君たちは!赤連れは外出なぞせんとおとなしく家にこもってろとでも言いたいんか!と思わずにはいられない。
 その日はそんな駅を利用するので抱っこひもで出かけることにした。抱っこひもでのお出かけとなると、荷物は極力減らしたい。雨、降るかな〜?と思ったが傘を持たずに家を出た。買い物を終え、駅まで歩いていると降ってきた降ってきた!しかも、結構強い。まいったな〜、と思いながら足早へ駅へと向かった。交差点で待っていると、赤信号で目の前にタクシーが止まった。乗っていた運転手さんが降りてトランクから何かをとりだす。信号待ちの交差点で座席から降りるなんて勇気あるなあ、さゆは絶対できひん、と思いながらてくてく歩いて行くと、後ろからその運転手さんは近寄ってきて、「これ使ってください!赤ちゃんぬれちゃうから」と、傘を差し出したのである。「え、いいんですか?!」と言っていると「どうぞ!」と渡して運転手さんはタクシーに戻り、行ってしまった。私はペコペコと頭を下げた。渡された傘はなんと紗愛ちゃんがその日着ていたコモサ・デ・モードのおそろいのものというのも驚いた。何にせよ、ふと見かけて信号待ちのときにとっさに傘を持ってきてくれた心遣いに感謝感謝である。世の中ええ人もいっぱいおるなあ、と感じてしまった。赤連れは人のいいところも自己中心的なところも度々感じられるのである。してもらった分の親切は、ちゃんと自分のできる時にみんなにお返しせな、と思うのである。

『専業主婦と外で働く主婦』について。    2001年8月8日

 先日、テレビで『専業主婦VS外で働く主婦』というテーマで大討論が繰り広げられていた。
さゆぞうは現在リッパな(?)専業主婦である。三食昼寝つきの?、毎日ゆーがなゆとりある育児ライフを送らせていただいている。テレビでの討論は、3週に渡ってなされていたようであり、さゆぞうはそのうち最後の週の30分くらいしか見ていなかったので全容はわからないが、だいたいの意見は、専業主婦「子どもを放って外で働くのはかわいそうだ」外で働く主婦「育児と仕事の両立は可能。やらないで「できない」というのは怠慢であり、また納税の義務も満たしていない」というようなことであった。
 ちなみにさゆぞうはどちらに対しても反対の思いはない。保育園にいれて働いたから子どもがちゃんと育たないとは思わないし、子育てなぞ側にいたらいいというもんでもないのではないかと思う。
 ただ、自分はと言われれば今のところ保育園に入れて働こうという気は全然なく、ここしばらくは「専業主婦」生活をマンキツするつもりである。さゆぞうの性格はといえば、知る人ぞ知る「あふれる野望の持ち主」で、あれもしたい、これもしたい、あのまま行ったらどこまで行っちゃったんやろか?ってトコロをかろうじてたかに拾ってもらって今んとこおとなしくしている、ってところなのだが、フシギなもんで、結婚や出産をする前に感じていた「子育てに没頭したら社会から置いてかれるのでは?」という危機感を今はまったく感じないのである。これからずっと先まで専業主婦でいるかどうかはまだわからないが、さゆぞうにとってとにかくこのベイビーという期間限定のすごい生き物のそばにいれるという経験をめいっぱいマンキツしたいのである。
 子どもは、自分から手を離さなくてもいつか手を離れていくものだと思うし、またある意味離れてもらわな困る。その期間限定の醍醐味を「子どもは、神様が自分を成長させるためにほんの一時期だけくださった預り物」と表現していた人がいたが、ほんまにそうと思う。子育ては、それだけ苦労も、喜びも一杯、でも決して失敗できないという責任もある。さゆぞうはまだ駆け出しの「親モドキ」であるが、これからひとつひとつ経験してそれなりに「人を育てる」ということを語れるようになりたい。
 「社会で学ぶ」ということ、「人を育てる」ということはどちらも「専業主婦だから」「外で働く主婦だから」という立場で判断されることではないと思う。どんな立場にあっても、学ぶ人はあらゆるものから学んで自分を磨き、子育てに誇りと責任を持つ人はそれをこなしていく。大切なのは立場ではなく、自分を磨き社会に貢献する、きちんとした人間を育てる、という強い意思をもって日々行動することではないかと思う。未来の人間を育てることはこのうえない社会貢献であり、人育ての失敗は社会の混乱をまねく。人育ての恐さと責任を十分に感じながら、それだけの大きな仕事の第一責任者を任されることを大きな誇りとして、未熟ながら日々精進したいと思うさゆぞうである。