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風の中、青らいおんは今日も野原を 駆け抜ける。

 2005年4月24日 (日) 成果。
高齢者の歌のボランティアを始めて五ヶ月になるけれど、なんだか盛り上がっている。
 正直、ノーギャラで毎週行くというのは、かなりつらくて、時々は休ませてもらっているんだけど、どうも、私の曜日は評判がよい。
 認知症というものについてもずいぶん理解が深まった。
 この症状を、日本では長年、「痴呆症」と呼んでいたのだけれど、まったく無礼千万、認識の誤りにもほどがある、ということもますますよくわかった。

 外見は、まったく普通に見えても、言動にさまざまなおかしなことが起こってくるこの病気は、「物忘れがひどくなる」病気ではないこともわかった。
 高齢者の方々と、毎週、7,8曲の歌を歌うのだが、昔、習った歌、つまり、「一寸法師」だの「うらしま太郎」だの、80年も85年も前に習ったであろう歌は、よどみもなく、口から歌詞がでてくる。
 つまり、一度蓄えられた記憶は、しっかり保持されているのだ。
 ところが、ちぐはぐなことが起こってくるのは何故か。
 それは、今回、よくわかったのだが、「新たに記憶を定着させる」事が難しくなる、ということなのだった。
 だから、過去に記憶していることは、完全に思い出せる、しかし、最近のできごとが思い出せない。それは何故か。
 「思い出せない」のではなく、新しいできごとを記憶することが困難なのだ。

 それは、容量オーバーのパソコンのようなもので、古いデータはきちんと取り出せるが、新しい情報は読み込めない、という、実に不思議でもなんでもないことなのだった。

 古い記憶を呼び覚ませば、新しい記憶を取り込む能力にも必ずや刺激はあるはずなので、昔の歌をみんなで歌っている。

 長く続けるには、無理しないことだと思うので、時々休みながら、しばらくはがんばろうかな、と思っている。
 2004年12月1日 (水) 小さな一歩。
ふとしたきっかけから、診療所のデイケアの高齢者の方たちのための
歌の時間を担当することになった。
 打ち合わせのつもりで、今日、顏をだしたら
「さっそく、三時からですので」
 といわれて、いきなり初日。
昨日、買っておいた「愛唱名歌」という厚い楽譜集から、秋や冬の曲を何気なく弾いているうちに、みんな次々とくちずさんでくれた。
 こんなに早く、実現するなんてね。
「今日は、紅葉狩りにいってきたので、それでは紅葉の歌を」
と、看護師さんに促されて、楽器を弾きながら一緒に歌った。
 なつかしい歌を次々に歌うと、八十代、九十代の方たちの笑顔も次第に明るくなってくる。 
 歌は、眠った脳細胞を呼び覚まし、新しく生きる力を与えてくれる。
「ここで、三年半やっていますけど、この楽器がこんなきれいな音がでるなんて、今日初めて知りました」
と、ベテランの看護師さんが喜んでくれた。
 私も、20年ぶりに鍵盤の仕事をして、大変幸福。
 20年たって、診療所の一室で高齢者の方たちと音楽を楽しむ。
 人生は素晴らしい。   
  
 2004年11月14日 (日) 歌うこと。
 今年、91才になった一人暮らしの伯母を久しぶりに訪ねた。

 今日は、東京23区の地図帳と歌集を持って。

 前回、たまたま私が持っていた地図を見ながら、昔話に花が咲いた。

「ここに、海軍の病院があったのよ、ほら、ここが私が勤めてたところ」

 地図は、いろんな物語を思い出せてくれる素晴らしい道具だということに気づいた。

 だから、今日は新しく買った100円の地図帳を、伯母にプレゼントした。
 築地や、月島、勝鬨橋。伯母や、今は亡き母が子ども時代を過ごした思い出は、地図の中にはその当時のまま生きているのだった。

 
 二人で、歌集を開いて、歌を歌った。
 青い山脈、リンゴの唄、みかんの花咲く丘、花。

 歌っているうちに、伯母の声は、次第に力強くなっていき、笑顔もあふれるような喜びに満ちたものになっていった。

 歌には、力があるね。
 誰かと一緒に歌を歌っていると、さみしいことも辛いこともすっかり忘れている。

 歌いながら、思った。
 立派なピアノの伴奏である必要はない。
 小さなキーボード一本かかえて、老人ホームだの、病院だのへ行って、お年寄りたちと一緒に歌を歌ったら、楽しいだろうな。

 もう少し、余裕がでてきたら、そんなことも少しずつ考えていこう、と思った。

 昔の日本の歌には、いい歌がたくさんあります。
 
 2004年7月27日 (火) ようやく。
構想以来、二年八ヶ月を要した物語が、ついに脱稿した。
うれしい。
 急に、世界が明るく見え始めた。
 世にでるまでには、まだまだだけど、とにもかくにも書き上げられてうれしい。
 応援してくださったみなさん、ありがとう。 
 2004年6月23日 (水) 蔵書5000冊。
 朝日新聞に連載されている、「杉並校長日記」というのがある。 
 民間企業人から、公立中学校校長になった藤原和博氏のさまざまな改革のレポートで、毎週、フムフムと、うなずきながら読んでいた。
 たまたま、昨日のテレビに、氏が出演していて、この一年間の学校内改革の様子が映し出されていた。
 その中に、「図書館の整備」というようなものがあり、
 「この間に、八千冊あった図書館の蔵書のうち、古くてほとんど読まれていない五千冊を処分し、子どもたちに人気の本を並べた」
 という映像があった。
 改革後の図書室の開架棚はがら空きで、派手な背表紙のシリーズものがパラパラと並んでいた。
 ここで、初めて、「おや?」と思った。
 八千冊あった図書館の蔵書のうち五千冊を、一人の校長の判断で処分してしまうということ。
 実は、学校にしろ、一般にしろ、図書館の古い蔵書は、現在の日本の出版事情下において、もはや手に入りえない良書を隠している可能性がある。
 「古くて利用者が少ない」という理由で、処分された五千冊は、どこへ行ったのだろうか。
 今まで、好意的に読んでいた「校長日記」が、実は、一人の人間の視点から一方的に発せられていたものだと気づいた。
 自分の行動を、自信を持って、正しいこととして、発表し続けることは、もちろん自由。
 ただし、読む側は、また別の立場の人間の視点を想像しつつ読まなくてはいけないと、つくづく思った。
 少なくとも、図書館の蔵書五千点を一気に処分するという神経は、ちょっと、耐ええない。
 2004年5月23日 (日) 帰国。
 北朝鮮に拉致されていた被害者のご家族のうち5名のお子さんが、やっと、日本の両親のもとに帰ってきた。

 蓮池薫さんは、直接の面識はないものの、私の大学の同期生だったせいで、蓮池さんご夫妻のこの間の苦悩は、ずっと心配し続けてきた。

 蓮池さんは、こちらが出した励ましの便りにも、すぐに手書きの返信をくださるような方で、この一年七ヶ月、私たちは、友人として何かの手助けをしようにも、何一つお子さんの帰国に役立つような支援をすることができなかった。

 今回の小泉訪朝劇は、さまざまな意味において、批判されてしかるべきだ。
 けれども、両親と引き離されたまま、耐えていなければならなかった蓮池さんや、地村さんのお子さんたちが、少なくとも、今日は、両親の腕に抱かれることができるかと思うと、うれしい。
 
 今回も、被害者の家族の方たちは、明暗を分けた形を突きつけられた。
 私たちは、ここでしっかりと確認しておかなくてはならない。

 北朝鮮に拉致されて、数十年という取り返せない長い年月を奪われた被害者の方たちには、何一つ罪はない。私たちと同じ、普通の生活を当たり前に送る権利を持っていた一般の人たちだった、ということ。
 奪われた時間は、戻らない。
 だからこそ、残された人生のあと半分の時間だけでも、早く、早く、被害者の人たちに返してあげてほしい。
 2004年4月15日 (木) すべての戦争をやめよ!
 一つの町で、ほんの数日間に数百人単位で人が殺されている。

 この数日間に、ファルージャで米軍の爆撃を受けて殺された子どもたちの写真を見た。

 住民虐殺です。
 日本人三人の命も大事です。
 同じように、ファルージャの子どもたちの命も大事です。

 私たちは、この世界に生まれてきて、たった一度だけ生きることができる。

 一度失われた命は、決して復元しない。

 命より大切なものは、この世には ない。

 人の命より重要な大義は、ない。

 地球上のすべての戦争を、今すぐ やめよ!

 地球上のすべての人が、今すぐ、武器を手放し、ミサイルの発射ボタンから手を離し、そばにいる人と両手をつなぐ。

 たったそれだけで、戦争が世界からなくなる。
 たったそれだけだ。

 すべての地球人が 武器を捨て 傍らにいる人と両手をつなぐ。

 イスラム教徒もキリスト教徒もユダヤ教徒も誰もかれもが。

 手を握りあった時、私たちは皆 同じ たったひとつの命をもつ、ちっぽけな人間なのだと気づくだろう。

 今すぐ 武器を捨て 両隣の人と手をつなごう。

 そうして、人類数千年続いた 戦争の歴史に 終止符を打とう。
 2004年4月11日 (日) 私の夢は
 イラクの人質事件の犯人グループからの、人質を解放するという声明文の中に、大事なことがたくさん含まれている。
 少なくとも彼らは、現状を日本政府よりは正しくとらえている。
 
 日本政府の行動が、日本の国民の大多数の意志を反映したものではないということ。
 ボランティアに携わる日本の人々は、イラク市民の敵ではないということ。

 ほんの数日間にファルージャでは、米軍のミサイル攻撃によって400人以上といわれるイラク人が殺されたという現実に、大半の日本人は自分たちにはまったく関係のないできごとであるかのように気にもとめずに過ごしているが、その死者の数というのは、今回、人質になった人数のいったい何倍にあたるのか。

 数日間で400人以上のファルージャ市民が殺された、とニュースが伝える時、その数の向こうにある一人ひとりの人生、家族、生活、将来、夢、その何もかもが失われているという事実の重さを、私たちは感じようとしない。

 にもかかわらず、今回、日本人の人質を解放すると声明をだしてくれた犯人グループには、本当に感謝したい思いだ。

 なぜなら、ファルージャで4人のアメリカ人が殺されたことの報復として、大人も子どもも無差別に、ファルージャ市民400人以上が、米軍によって殺された。

 「報復」という原理に立てば、100倍の「報復」を受けた彼らは、無差別にさらに100倍の報復をすべきだ、という論理が成り立つ。
 けれども、大事なのは、「報復」を断ち切ることだ。
 その意味で、彼らが、三人の日本人を解放すると宣言したことで、不幸な報復の連鎖の一つは断ち切られた。

 彼らは、「日本政府」と「日本の国民」を分けて考えてくれた。「日本政府」は敵だから、「日本人」も敵だ、という論理には立たなかった。

 私の夢は、国家の枠を越えて、地球上の人々が手をつなぐこと。
 国家というものは、おそらく人類がいるかぎり存続するだろう。
 けれども、国家の下で、その枠を越えて地球上の人々が手をつなぐことは必ずできると、私は信じる。
 その力が、今回、三人の日本人を救ったのだと思っている。
 2004年4月10日 (土) 日本という国。
 イラクで人質となっている三人の家族の方が、今日、上京し、政府や外務省に救出の要請にいったあと、出演していたテレビ番組を二つ見ましたが、本当に日本政府の対応には、残念でなりません。

 私の大学の同期生の蓮池薫さんが、北朝鮮から一昨年帰国してから、お子さんが帰国できないまま一年半近くが過ぎましたが、この間の拉致被害者の家族の方たちの落胆、苦しみ、悲しみを思い出させる今回の日本政府の対応でした。

 人、一人の命というものを、真摯に受け止めようとしない為政者を私たちが選んでいるという現実。
 たった三日間という限られた中で、人の命を助けるために当然なされなければならないことを、端から拒絶する冷酷さ。

 日本の国は、この三日間で、三人の方々を見捨てるのでしょうか。
 私たち日本国民は、それを許すのでしょうか。
 「家族を助けてください」と、涙ながらに訴える、被害者の家族の方たちの思いを、私たち国民は、踏みにじるのでしょうか。

 日本の政治は、人、一人の命は、さほどの価値がない、と、公言するのでしょうか。
 
 2004年2月9日 (月) 二年ぶりに・・。
 二年ぶりに、自分のH.P.をリニューアルしました。
 ここ一年は、白門55会のH.P.をひたすら管理運営していたので、マイ・ディア・ママは、ほっぽらかしでした。
 お友達のみなさんには、大変失礼をしました。

 二年間の意外な勉強生活を終えて、そろそろまた、らいおん活動を再開しようと思って、やっと一歩、歩み始めたところ。

 こうしている間にも、90になった伯母は、元気に一人暮らしを続けているし、姪も一気にはばたいて、春には京都へ行くらしいし、私も、いつまでも冬眠しているわけには、いかないなあ、とようやく重い腰をあげ・・・ようと思っている。

 ということで、ひさしぶりにらいおんに、戻って、がお〜と、吠えてみようかと思っています。

せ〜の、「がお〜!」

しかし、今回、このH.P.を開設するにあたって、H.P.の名前にするニックネームを登録したのだけれど、lion_masumiもmasumi_lionも、すでに使われていて、いったい、この世界の誰が、lion masumiと名乗っているんだ〜?と、びっくりしています。

 ということで、ここはひとつ、逃げも隠れもせぬ、飯野真澄でいきたいと思っています。

 ☆末長く、よろしくお願いします☆

      2004.2.9.
          らいおん活動再開!
                    飯野真澄。