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                     緑字は採用されたものです

                  
   「妊娠したかな?」と初めて産婦人科に行った日に、娘の名前は決定していた。夫が「女やったらこ
   の名前がいい」と言ったからだ。男だったら「恭兵」にしようと私は思っていたので「いいよ」と言った。
   だからその日からお腹をさすりながら「志穂」と呼んでいた。息子の時も同じように「男やったら浩太朗
   女やったらお前が付けていい」と言うので女なら「実穂」にしようと思っていた。だからうちはどちらも夫
   が名付けた事になる。ちょっとうらやましい!
 

 
    私がHPを作ろうと思ったのは、コープネットで出会った方々の素敵なHPを見せて頂いたからだ。そし
   て作るぞ!と決意したのは息子を産んだ後、再手術をする手術室に入る前だった。志穂のときは太り過
   ぎと陣痛が予定日1週間過ぎても起こらなかったので急遽帝王切開になった。だから浩太朗は予定され
   た手術だったのだ。病院は同じだったが代替わりした為主治医は志穂の時とは違ったが、ちょっとたより
   ないかもと思ったので手術は先代の先生にお願いしていた。
  
                              
    実際、手術をしたのは息子の方だった。生まれた浩太朗と対面して「志穂にそっくりやな」と喜んでいた
  時、志穂のときとは違う痛みをお腹の右側に感じた。1日たってもその痛みが取れない上にガスや尿が出
  なかったので「ちゃんと調べてくれ」と言ったら「実は・・・赤ちゃんを出す時足が静脈にひっかかって出血し
  ました。止まったのを見て閉めたんですが・・」と言い出した。これは医療ミスの隠ぺいであると直感した。

   もし正直に初めに話してくれていたらそれは仕方がないと思っていたと思う。が隠された事に腹が立った。
  「救急車を呼んで大きな病院に運んでください!」と言ったら、さすがに「救急車はちょっと・・」と言ったが自
  分で電話に手をかけたら慌てて呼んでくれた。それから私と私の夫、母、志穂と救急車に乗り込んだ。その
  時、志穂は1歳10ヶ月だったがその異様な光景にそれまで少しだけしゃべれていた言葉をなくしてしまっ
  た。市民病院に着いて昨日からの事を話して診察してもらうとすぐレントゲンやCTを撮った。他にも救急車
  で運びこまれている人の順番を追い越していた。

   「意識があるのは奇跡に近かった」と後で言われたぐらいヤバイ状態だった。子供たちを残してこんな事
  で死んでたまるか!という思いが通じて私は助かった。その日にたまたま手術のうまい先生が2人当直だ
  った事も運が良かった。最悪の場合子宮もとらないといけないと言われていたが無事だった。最初の病院
  で出血をしたまま閉じられ出血した血で子宮が圧迫されて右に寄ってきてお腹が痛かったのだ。そう思う
  と命の恩人は志穂である。もし1人目だったら痛くてもガマンしていたと思う。

   代替わりした時、ちょっとたよりないかなと思ったが、病院が近代的になり上の子を遊ばせる託児所も出
  来たりマタニティビクスなんかも始めたのでつい、見かけにだまされてしまった。それと某大学病院に勤務
  していっという肩書きにである。それに自分の小児科では泣かない志穂が、その産婦人科では玄関の外
  から大泣きだったのだ。今になって思えば敏感な志穂は私に警告してくれていたと思う。

   二日続けての手術だった上に傷口が2つあった事もあり、麻酔からさめてからは「生き返れた」と喜んだ
  ものの苦しかった。帝切の経験のある人なら分かると思うがトイレに1人で行けるようになるためにはベット
  からも1人で起きないといけない。市民病院は電動ベッドだったから何とか3日目(通常は2日目)には時
  間はかかったけど起きれるようになった。

   ほんとはもっと寝たきりでも良かった状態だったのだが、私は前の病院で預かってもらっている息子を早
  くこっちへ連れて来たかったのである。原則として市民病院で生まれていない赤ちゃんはここでは面倒をみ
  てもらえない。だけど看護婦さんたちが病院に頼んでくれたのだ。ただし私が1人でトイレに行けるようにな
  るのが条件で。
 

   入院が長引いた上に遠い病院になってしまいいっぱい心配をかけて夫も母も志穂もへとへとになってい
  た。それでも母は志穂を連れて毎日見舞いに来てくれた。子供の笑顔は私の元気の源になった。でも志
  穂は目の奥が笑っていなかった・こんな小さい子にこんなガマンをさせて・・と改めて怒りが湧いてきた。
  でもその怒りで、みるみる回復していったから世の中は分からないものだ。
 

   分からないといえばもう一つ、私は人よりたくさんついてた脂肪のおかげで命拾いした。娘を産んだ後、
  体重は72キロあった(隠してもしょうがないので・・・公開しましょう)。息子を妊娠し臨月の時は78キロだ
  た。もちろん三段腹どころか五段ぐらいあって「五つ子?」と夫に言われていた。市民病院での手術の後
  4日目に計ったら66キロだった。最初の手術で1リットル、2回目で2.5リットル出血した。人間の体内に
  ある血は4リットルそのうち半分以上が出たのだ。もちろん輸血はしたからだいじょうぶだったけど2リット
  ル出たら死んでしまうのだ。だからあの時痛いと言ってなかったら・・・。

   二晩続けて手術をしたので高熱も続いたし私の体で一番弱い喉にタンがたまって酸素マスクで酸素が
  中にいかなかった。マスクをしていた方が苦しく息が出来なくて何度もマスクをはずして看護婦さんに怒
  られた。最後の手段として意識不明の患者にしかしたことがないという主任看護婦さんの荒業で鼻から
  管を突っ込んで、タンを吸ってもらった。壮絶というのはこういう事を言うんだなと思った。でも作戦は大成
  功!!それから酸素が中に入って熱も下がって食事も出来るようになった。だからダイエット、特に無理
  なダイエットをしてる人はやめてください。私のように脂肪がたくさんついていたら万が一の手術にも耐え
  られるんです。もし私がスマートで臨月の時50キロしかなかったとしたら、12キロの体重減には耐えられ
  なかったからです。
 

   退院してからも外出禁止が1ヶ月続き、4ヶ月は子供をだっこして30分以上の外出は禁止だった。自分
  でも今無理をしたら後で出てくると思ったのでガマンした。そんな毎日だったから志穂はおしゃべりがます
  ます遅くなってしまった。訴えたら・・と周りの人は言ったけど、浩太朗が元気だった以上、私には最悪の
  日でも一生で一番大切な誕生日を台無しにするのは私には出来なかった。だからこちらの言いたい事を
  言った上で謝罪してもらって終わりにしようと前の病院へ言った。

   もちろん素直に医療ミスを認めたわけじゃない。1時間ぐらい一生懸命言い訳をしていた。私は「時間が
  ないのでもう言い訳はいいですよ。これ以上話しても無駄だから、神戸医師会に電話をします」と言って
  やった。横で父がケイタイを出した。そうしたら、めっちゃ慌てて「謝罪して誠意もみせます」と言い始めた
  誠意とはお金という事らしい。いわゆる示談金というやつだ。後から友人たちに話したら「もっとふんだく
  ったらよかったのに」と言われたが、出産代の未払い分30万円プラス後の病院の代金だけをもらった。
  そしてきちんと謝ってもらった。訴えてしまうと裁判が終わるまでこれが無い!訴えなかった最大の理由
  はこれだった。早くすっきりして浩太朗の成長を見守りたかったからだ。もちろん誓約書というのも書かさ
  れた。この件に関して訴えないというものだった。
 

   2人を産んだのだが3回切った私はもう、出産する事が出来ない。「2人いるからいいね」と言われたら
  まあそうだけど・・女としては複雑だった。年内はかなり落ち込んだ。でもコープネットの掲示板で相談して
  励ましてもらって、私は生まれ変わった。くよくよ落ち込むのはたまににしよう!神様は私を生き返らせて
  くれたんだから前を向いて進もうと・・・。
 

  話は戻るが、手術中私は夢を見ていた。とにかく早く家にかえって子供たちや夫とゆっくりしたいと思っ
   ていたから、夢の中でも電車に乗り継ぎ家の最寄りの駅まで帰っていた。入院前、工事中だった歩道橋
   が完成していた。それもとてつもなくすごい大きくなっていた。夏で暑かった事もあって「この階段を昇るよ
   り大回りして家路につこうと思った時、杖をついたおばあさんがその何百段とある階段をすたすた昇って
   行ったのだ。その時、「この歩道橋はやばい!!」と思ったその瞬間、後ろから名前を呼ばれた。その名
   前は旧姓だったり「169cmママさん」だったり「志穂ちゃんのママ」だったりいろいろだった。振り向いたら
   友人知人元同僚など100人ぐらいの人がいた。「こっちへおいでよ」

    そして目が覚めた。看護婦さんが「よかった!麻酔から覚めました。手術は成功しましたよ」と。
              神様!ありがとう!!

    もしあの時あの歩道橋を渡っていたら、早く家には帰れたと思う。ただし元気にではなく棺おけに入って。
   日頃の行いが悪かったのに神様はチャンスをくれたんだよね。これからは少しでも人の役に立ちたいしな。