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>> 結婚 (23 May 02)
もうすぐ6月です。 6月と言えばジューンブライド。 定期購読しているファッション雑誌にも「結婚」につぃての特集がありました。
「結婚を決断する理由」と題して 伊達公子さん、山瀬まみさん等 何人かの有名芸能人の記事が載っていました。 それを読みながら早5年前となった結婚当時の事を思い出していました。
私が主人とであった時 この人とは絶対に付き合わない と思っていましたし、何故か付き合うことになっても 絶対に結婚はしない と思っていました。
6歳も年下、安定した職にも就いていない男性。 この人と結婚しても未来がまったく創造できない。 そう思っていたのです。
私が主人と結婚したのは「決意」とかそういった物はありませんでした。 ただ、それまで「この人とうまくやっていけるだろうか?」と不安に思っていたことがいつの間にか「この人だったら一生仲良くしてゆける」と思えるようになったからです。 根拠も何もありません。 ただそう感じたのです。 この先どうなるのか全く分からない不安を抱えながらも どんな状況になってもこの人となら何とかやっていけるだろう。 と感じたのです。
私には忘れられないボーイフレンドがいます。 オーストラリアに来るまで付き合っていた3歳年上の人で 関西の有名大学出身、 銀行勤務。 まじめだけどユーモアーも持ち合わせ サッカー好きのスポーツマン、 お習字を長く続けていてとてもきれいな字を書き、常識も備えたとても尊敬できる人でした。 ファッションセンスも悪くなく 一緒にお買い物に出ても趣味が合うのでとても楽しかったです。
この人と結婚したら平凡だけれど穏やかで幸せな生活を送れるだろうなぁと将来の結婚生活を思い描いていたものです。
なのに何故か今は全く正反対の人と一緒にいます。 漢字は読めない、字は汚い、変な格好ばかりしている眉毛の太い人。
なんで
私の手相の運命線は途中で大きく2本のしわに分かれています。 私はある時を境に占いをまったく信じなくなったのですが このしわは小学生の頃から気になっていて「将来なんかあるんだなぁ」と思っていたのです。
このしわ、 一本はオーストラリア(今の主人との生活)、もう一つは日本(以前のボーイフレンドとの生活)を指していると思うのです。 スライディングドアーと言うグネフィスパルスローの映画がありましたが あの映画のように全く別の二つの人生があって 今の私はオーストラリアの人生に立っているように感じます。 もう一つの人生を歩んでいたら今頃いったいどんな生活をしているのだろう? とふっと想像してみました。 どちらの人生が幸せなのかは両方を体験してみないと比べられないのですが でも「もう一つの人生のほうが良かったな」 なんて事を思いたくありません。 死ぬ前には「私の人生はこれで良かった. とっても幸せだった。」 そう思いたい。
私たちの夫婦生活には笑いが絶えません。 関西出身同士ということもあり、「漫才」をしているようだと言われることもあります。 もちろん喧嘩も日常茶飯事ですがお互い言いたいことを言い合い自分の気持ちや考えを相手に理解してもらおうと勤めます。 なので誤解されたまま、したままという事がありません。 お互い対等な立場で相手を信頼しあえる仲だと思うのです。
実は 去年までの2,3年間は 「厄年」という言葉を信じさせるくらい悪いことばかりありました。 臨月にして大怪我をし手術を受けたり、子供がまだ6ヶ月だというのに職をなくしたり、泥棒に入られて何もかもなくなったり。 でもこれらの事件は 家族みんなが健康で無事であることが何よりの幸せ。 そう思えることが出来るくらい打たれ強さを養うことが出来ました。
というより「幸せ」に関しての価値観が本質に戻ったように思います。 このような困難? 試練? をこなして二人でたくさんのことを話し合い 励ましあい、 夫婦の絆(と書くのはとても照れくさいですが) がより強くなったように思います。 それぞれの「時」に主人がいてくれてとても良かったと思うし、主人にとっての私もそうでありたいと思います。
何はともあれ私は自分の人生の決断に後悔はしていません。 反対にもう一つの人生よりもずっとずっと面白くて楽しい人生になっているではないかと大満足しているのです。 (でも、もう一つの人生も同じ私ですから きっと同じように「とっても幸せだった」と思いながら死んでゆく人生を作ると思います。)
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