ママの出産物語  

出産編

 

 

2001年

8月20日

36週6日

 

 

 

ママの決意

横浜労災病院にて母親学級を受けた。

37週を過ぎればいつ生まれてもいいので、少し予定日より早い方が赤ちゃんが小さい分、お産が楽だそうだ。なので37週を過ぎたらおっぱいのマッサージをよくやるように言われた。

(おっぱいのマッサージは子宮を収縮させるから)

しかもあまり大きく生まれるよりも、少し小さめに生まれた子の方がちょっとかわいい。明日で37週になる私は「これはやるしかない!」と思った。

予定日は9月8日なので、9月の1週目くらいには産もう!

 

 

8月21日

37週

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

マッサージ開始! あれっ?

今日から本格的におっぱいマッサージを開始。

初めての出産は予定日より遅れることが多いというし、このマッサージで予定日より2、3日早まればいいかなくらいの気持ちだった。

ところがその日の午後、さっそくお腹が少し痛い。

「おっぱいマッサージ、効果ありすぎ!」まだ心の準備が・・・。

15時、トイレに行くとなんとおしるしまで!

家でゴロゴロしていた妹にその事を言うと、なぜかあせって化粧をしだした。

 

あせる

お腹は張っていたが、痛みはたいしたことなく余裕だった。

張りも不規則だったし、まだまだ病院へ行くのは早いと思った。

なのに私以上にあせっている母。

「早く病院に電話したら?」

数分おきに言ってくる。しかも病院にはおおげさに言えと母は言う。

しぶしぶ電話をしてみる私。

「あの〜。陣痛がきたみたいで結構痛みがあるのですが・・・。」

たいしたことのない痛みを少しおおげさに、そして少しつらそうな声で言ってみた。すると私の演技が下手だったのか

「まだ声も余裕そうなので、もうちょっと家で様子を見てください。」

ほらっ、だから言ったのに・・・。

妊婦に演技までさせた母、心配で仕方なかったらしい。

 

そのまま特に変化なくその日は寝ることにした。

 

8月22日

夜中のこと

37週1日

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

あせる父

夜中の午前1時、少し痛みが強くなり、張りも規則的になったようだった。

病院へ連絡し、父と母と3人で車で出発した。

その日はなぜか台風で大荒れ。そんな中を車で病院へ急いだ。私は痛みが強くなってきたので、早く着かないかな〜っと思っていた。そんな私の想いをよそに我が父。近道をしようと行き慣れない道へ。

案の定、私たちは道に迷った。

嵐の中を道に迷う、父と母とお腹の痛い妊婦。なんて光景だろう。

まあ、どうにか無事についたから良かったけれど。

 

前駆陣痛!?

病院に着き、診察をしてNST(陣痛と胎児の状態などを見る装置)をつけた。

結構痛かったし、このまま入院だろうと私たちは思っていた。

しかし子宮口はまだ2cmしか開いてなく、陣痛も不規則になっていた。

(陣痛で子宮の入り口が10cm開くまではひたすら我慢、10cm開くといきんで分娩となる。)

そういえば病院に着いた頃から痛みも軽くなってるような気が。

「前駆陣痛でしょう。ひとまず帰ってください。

  もう痛くてどうしようもないくらいにならないとね。」

あっさりと私たちは帰された。前駆陣痛とは痛みも軽く、お腹の張りも不規則なものでまだ陣痛とはいえない。

まさか看護婦なのに前駆陣痛にだまされるとは。

 

真夜中のドライブ

すっかり痛みも落ち着いてしまった。帰りは行きよりも台風が激しさを増していた。ものすごく激しい雨の中を車で走るのは、ちょっと楽しい。

少しだけ遠回りをして3人で台風のドライブを楽しんだ。

 

 

8月22日

昼間のこと

37週1日

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

今度こそ!

朝から不規則な張りと軽い痛みは続いている。

たまたま休みになったパパも心配で駆けつけた。

昼頃からだんだんと痛みは強くなっている。「前駆陣痛なんかにだまされないぞ」と思い、お腹の張りの間隔もちゃんとメモにとって数えてみた。

すると不規則だった張りが8〜10分おきぐらいになってきた。

結構痛かったが、痛くてどうしようもない程ではなかった。

午後4時、「これはもう絶対に陣痛だ。」と思い、また病院へ行った。

病院へ着き、診察。

「あっ!子宮口がもう7cmも開いてますよ。よくここまで我慢したね〜。」

だって、すごーく痛くなるまで来るなって言ったじゃない!

でもそんなに開いてるとは意外だった。まだまだ余裕がある。

お産ってそれほど大変じゃないかも。

そんな私の考えは数時間後に打ち砕かれるのだった。

 

陣痛室へ

ここの病院は新しいからとても綺麗だ。陣痛室もなんか楽しい。

パパが面会時間の午後8時まで付き添ってくれることになった。

痛みもたいしたことなく6時の夕食も、初めての病院食にワクワクしながら

しっかり食べた。

しかしその後、痛みはどんどん強くなり、陣痛の間隔も短くなっていった。

午後7時、お腹と腰が砕けそうな程痛い。パパが一生懸命さすっても、ラマーズ法(ヒッヒッフー)をやってみても痛くて涙があふれてくる。陣痛と陣痛の間はほとんど痛くないのだが、またあの痛みが来ると思うと泣かずにはいられなかった。

午後8時、苦しむ私を心配そうにパパは帰って行った。

 

鼻からスイカ?

この上ない程痛かったのに、パパが帰ってからさらに痛みは強くなった。

いったい痛みにはどこまで上があるのだろう?

よくお産は「鼻からスイカを出すくらい痛い」というけれど、私は鼻からスイカを出した方が楽そうだと思った。

数分前だが、シクシクと泣いていた頃がなつかしい。

痛くて泣けるのは、まだ序の口だったんだと気づいた。

恐ろしいほど痛いときは、泣いてなんかいられない。

ちょっと気がゆるむと死んでしまいそうだから、一生懸命に息をして、生きてるだけで精一杯だった。10cm開けば分娩室に行けるのに・・・。

午後9時、やっと10cm開き、分娩室へ移動した。

 

分娩室にて

分娩室に移動できたのは嬉しかったが、痛みはまだまだ続く。

この痛みの中、今度はいきまなくてはならない。

どこまで苦しめばいいんだろう?

恐怖心が強くなり足の震えが止まらない。

そのうち自分の中の限界を超えていたのか、痛みの最中でも苦しみながら、ずいぶんいろいろなことを考えた。

「2人の妹達もこんな苦しいことに耐えられるのかなあ。」と心配したり、

「赤ちゃんが女の子だと分かった時、うれしかったけれどこの子にも将来こんな苦しいことをさせるなんて。男の子にしてあげれば良かった。」などとずいぶん先ばしったことまで考えた。

 

早く生まれて!

いきんでも、いきんでも、赤ちゃんはなかなか出てこない。

早く赤ちゃんに会いたいというより、早く痛みから逃れたくて、思いきりいきんだ。点滴の針をさされても、会陰切開をされても、陣痛の痛みに比べたら蚊にでもさされたようなものだ。私の腹筋はフル回転でいきんだ。

 

誕生!

午後9時33分、ついに女の子が誕生した。

今度はうれしくて涙が止まらなくなった。

我が子誕生の喜びか、痛みから逃れられた喜びか、とにかく頭の中はお祭り騒ぎだった。

初めて目にする我が子は思っていたより小さかった。

2550g、低体重出生児ぎりぎりだった。

でもあまりのかわいさにどうしたらいいか分からないくらいだった。

今まで文房具や洋服、ハムスターなど

かわいいものにはすぐに飛びついていた私だが、

この世にこれほどまでにかわいいものがあったなんて!

 

カンガルーケア

この病院ではカンガルーケアを実施している。

生まれたての赤ちゃんを裸のまま、ママの胸の上に乗せるというものだ。

赤ちゃんの呼吸や体温が安定したり、親子の絆を感じたり、とにかくママと赤ちゃんにとっていいことらしい。

生まれたばかりなのに、ちゃんとおっぱいも吸う。かわいすぎる!

分娩台の上でそのまま2時間、安静にするのだが、その間赤ちゃんをずっと抱っこすることができる。もちろんうれしいのだけど・・・。

陣痛の痛みはなくなったものの、お腹だの傷だの結構痛い。

だんだん赤ちゃんが重くてちょっと疲れてきた。

そんな時、今度はパパが赤ちゃんを抱っこすることになった。

ちょっとだけ、ほっとした。

2時間、親子3人で静かに過ごした。とても良い思い出になった。

これからも力を合わせてがんばろうね。

 

 

出産後、数日して気づいたのですが、おとめ座だと思っていた我が子は

少し早く生まれてしまった為に、1日違いでしし座になってしまいました。

まあ、強そうでいいかあ。

 

 

ママの出産物語を読んでいただき、ありがとうございました。

私の出産は痛いの一言でしたが、ずいぶんと個人差があるようです。

私の話は参考までにどうぞ。

 

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