| 聴覚障害について。 私は、生まれつき耳が聞こえません。 高熱で聴力を失ったり、突然失ったりしたりする人もいるけど、 私は生まれつきで、最初から聞こえません。 でも、私は、そのうち聞こえてくるだろうと思っていました。 「今は、ただ、聞こえないだけ。そのうち聞こえてくる」と信じていた。 でも、そんな事はなく、もう、聞こえる事も、音を聞くのも これからもないだろうと言う事がわかり、ちょっとさびしい気持ちになりました。 でも、自分をみつめて、落ち込んだら、産んでくれた両親に悪いし これからの事を楽しくやっていきたいと思い、 一生、聴覚障害者として向き合っていこうと思いました。 聾学校の友達もいた。 聾学校は、私の様な、耳が聞こえない人が通う学校です。 私は、ここで、赤ちゃんから小学校に入学する前まで通っていました。 聾学校では、まず、言葉の発音、言葉や行事体験などをたくさん教えてもらいました。 聾学校は、早期教育から専攻科まであります。 早期教育とは、聞こえない為に言葉の習得が遅れているので、 それをカバーし、早くから教育すると言う事です。 幼稚部から高校までは、普通と変わりませんが、 専攻科は、専門学校と似ていて、技術をみがく所です。 早期教育で、1週間に2回ぐらい残り、発音の練習をしていました。 発音練習が嫌で、泣き出したり、逃げ出した事もありました。 皆が遊んでいる時に、聾学校の子供達は、遅くまで練習していたからです。 でも、そのおかげで今の私がいるし、 発音も少しは上手に出来る様になったから、私は良かったと思います。 それで、経験を生かし校区の小学校に入りました。 正直いって、不安だった。 でも、すぐに周りの人と友達になれて、キュードも覚えてくれて、嬉しかった。 私は、私の耳の事が好きです。 音が聞こえなくても嫌いではありません。 耳のおかげで経験が多く学べたし、友達もいっぱい、いっぱい出来たし、 耳の事、嫌いって思った事は、多くはありません。 ただ、聴覚障害を面白く笑っている人がいるのが悲しいです。 街でキュードや、手話を使っていると、笑ったり、変な目で見る人がいます。 それを笑う人は、心がせまいし、分かっていないと思います。 同じ人間で、ただ、聞こえないだけだけど差別するのは、 すごく、嫌で、おかしいです。 笑う人や、差別する人がいたら、 「何で笑うの?何で差別するの?」って聞きたい。 手話が聴覚障害者にとってのコミュニケーションです。 それを笑うのは、やめてほしい。 面白く笑う事なく、平等にいくのが私の願いです。 それと1つ、これは、無理だけど、 たった1回でいいから音を聞いてみたいです。 自然の音を聞いてみたい。 Rainと同じ小学校、中学校を卒業された茜ちゃんの手記 *キュード=手話と少し違って、手の形のサインと口唇を読んで会話するもの。 Rainと同じ小学校の子供達は、友達と喋る為の手段として、 自然に、このキュードを習得していました。 先生が教えるわけでもなく、ただ、友達に聴覚障害の子がいたら、 あたりまえに覚え、会話していました。 これこそ、心のバリアフリーだと思います。 |