ジョン・レノン 編


      ジョン・レノンが亡くなった日の夕日 


その日、ボクたちは、グリフィスパークにいた。
わりとダウンタウンに近い山の上の公園。

その公園の展望台から、遠くに見えるサンタモニカの海に沈む夕日を見ていた。

真っ赤なクッキリと丸い夕日だった。
ロサンゼルスには2月しか雨期がない。
2月以外はまったく雨は降らない、毎日が快晴である。

だから、サンセット時には、必ず、町がオレンジ色に染まる
休日に、オレンジ色のロサンゼルスを見るのも好きでした。

ボクが休日だったのだから、月曜日だった事を思い出した
そして、夕日が沈みきるまで、その美しさに見とれていた。
 
   『オレンジ色のロサンゼルス』
その帰りの車のFMから、その悲しいニュースを知らされた、、、、
「ジョン レノンが撃たれた」はじめはそうだった。
信じられなかった、、、、

次の速報で彼が亡くなってしまったことを繰り返していた。
でも、信じられなかった、、、、

しかし、その瞬間から後、3日間以上、FMは、どのチャンネルに
あわせても、ビートルズとジョンの曲しか流さなかった。

一時間後、ボクたちは、ハリウッドにいた。
大きなレコードショップの前に50人以上の人だかりが出来ている
店からは「スタンディング オーバー」が聞こえている

みんな右手を握り、左胸にあて、ジョンの歌声にあわせている
みんな、泣いていた、、、、
ボクも、その中にいた、、、

平和な世界を作って行こう、そう心から歌っていたジョン レノン

「さあ、平和な世界をイメージしょう、すべての人が幸せになるように、、、」

ジョンが今、生きていたら、今のアメリカをどう思うだろう、、、
きっと、悲しむだろうし苦しむだろう

本当の事は判らない、でも、きっと彼なら

「アメリカは、次の世代の、明るい世界の可能性を自ら、破壊した」

そう言うような気がしてならない。

湾岸戦争の時、アメリカ全土のFMが、ジョンの曲を控えたと聞いた。
今回も、同じなのだろうか。

ジョン レノンが生きていてくれれば、、、そう思う。

二十歳のJUN
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