サンフランシスコ編

アメリカでは、お正月よりクリスマスの方が、大切なイベントらしい
と、言うか、クリスマスからニューイヤーまで、盛り上がりっぱなしである。

大晦日、仕事が終り、ボクらは、社長に食事に誘われチャイナタウンにいた。
「四川楼」と言う大きな店の前に立っていると
目の前にいた同年代のチャイニーズの男の人が、
いきなり夜空に向けてピストルを3発撃った!

「祝砲」である、しかし、刺激的な日々を過してるボクの感想としては
「あ、12時か、、」と、その銀色に輝くピストルを見て
「きれいやなぁ〜」ぐらいであった。

そして、新しい年を迎えた。

一月の終わりに5日間の休みがある
厨房チームは、それを利用してサンフランシスコに車で行こうと計画していた
もちろん、ボクも誘われていたが、
初めての5連休となれば、やりたい事、行きたい場所が他にもあり
「行かない」と返事をしてしまった。

しかし、連休前の仕事終りを向かえた時、後悔が込上げてきていた
でも、すでに、サンフランシスコに向けて、
車2台、4人のメンバーは、出発してしまっていた。

「後悔先に立たず」である。
厨房の3歳年上の主任と二人で掃除をしている時、主任が
「サンフランシスコに一緒に行くか?」と聞いきた、、、、、
仕事には非常に厳しいが優しい人である

その主任は以前サンフランシスコに住んでいたことがある。
こう言っちゃあ悪いが、最高の「ガイドさん」である
しかも、もし、先に行っているメンバーと合流出来なくても
うちのレストランも姉妹店のオーナーの家に泊めてもらえるらしい

「そんなぁ〜いいんですかぁ〜」といいながら
ボクの足は、すでにサンフランシスコに向いていた。

深夜1時にロスを出た、片道8〜10時間のロングドライブになる
ダウンタウンからフリーウェイに乗り1時間ぐらいでまわりは
なにも見えない、確か「ルート101」をひたすら走る
フリーウェイはもちろんどこまで行っても無料である
交通費はガソリン代だけで済む

主任が「これから3時間ほど運転を交代して」と言うので
「左ハンドルのセリカ」の運転を任された。

「ずっと真っ直ぐだから」と言う主任の言葉は、本当だった、、、
140キロで走るセリカのハンドルを動かす事は無かった、、、

ロスに来た当初、社長のキャディラックには、ハンドルロックと
アクセルロックがついていると、聞かされた
「そんなん、使う事は無いんちゃうん!」と思っていた

あった!こんな道ならロックすれば両手 両足を自由に使える
「体育座り」をしてタバコを吸いながらコーヒーを飲みながら
運転出来る、前にさえ注意していればいい

3時間後、交代のためコーヒースタンドに入るまで1度もハンドルを
きる事は無かった。アメリカは広い、、、、

少し休憩して、運転を交代、
また、ひたすら走っていると、あたりが明るくなってきた
景色が見えはじめて、ボクは呆然とした。
主任が、ボクに運転を交代させた事の意味がようやく解った

助手席の右側の窓に広がる地平線、そこから昇る朝日、
感動した、涙が出るほど、、
まさか、こんな光景が見れるとは予想してなかった
地平線の真中当たりに1点の光が見えたかと思うと、次の瞬間
光が横に広がりその光がこちらに向けて走ってくる
それを遮断する障害物が何も無い、まさに光の大地である。

主任はこの景色を、ボクに見せたかったのだ。
アメリカは広い、雄大である
地平線を見るのは、これが初めてだった

どこまでも真っ直ぐなフリーウェイ、その両側に広がる大地
自分のこれまでの「広い」という感覚がはじけ飛び、
それは、未知の領域になってしまった。

しばらくすると、右側の視界が、真っ黒になった。
牛である。牛が地面を覆い隠している、それも果てしなく、、、

それからは
「わーぶただー」「今度はひつじだー」「また、牛だー」
の連続である。
その度、地面が見えないほどの大群である。
アメリカは広い、、、、、雄大である。

10時ごろにサンフランシスコに着いた。
日本では、シスコ、と表現しているが、
アメリカでは、サンフラン、と言っている。

まず、感じたのは、町並みが、ロスよりきれいである事。
坂を走る「路面電車」も絵になる
ゴールデンゲートブリッジを渡ると、
そのでかさに今度は物の大きさの感覚がはじけ飛んだ。

「ここが映画『卒業』で、ダスティン ホフマンが、走って渡った橋」
「あれが、映画『パピヨン』の舞台になったアルカトラズ島」

主任のガイドで、大満足の観光になった。
そして昼過ぎ、サンフランの街を一望できる丘の上で
先に出発していた、4人のメンバーに偶然、会えた、奇跡に近い。

「行かない」と返事をした時に一人無表情で何も言わなかった
一つ年上の「ゴウさん」が「来れたんだ」と嬉しそうに笑ってくれた。


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