マイ ロード 編
カリフォルニアに来て、3度目の夏が過ぎようとしていた頃、Kマネージャーから
「JUN、お前の労働許可がおりたぞ!」と聞かされた。
そう、永住権を申請し許可がおりる前に「労働許可」が認められる。
ボクの永住権は、もうこれで、取れたも同然である。

あとは、1度、帰国して「ビザ」を取った「アメリカ領事館」で面接を済ませれば、
グリーンカードを受け取る事になる。
面接と言っても、ただ「永住する意思の確認」をするだけである。

しかし、この頃、ボクは、大変な問題を抱えていた、、、、
「アトピー」である。
ロスで働きだしてから1年ぐらいで急に両手が荒れだした。
仕事が終ってから市販の薬を両手に塗り、手袋をつけ、なんとかごまかしながら仕事をしていた。

ボクは、小さい頃、そう幼稚園児の頃から「小児ぜんそく」の発作に悩まされてきた。
10歳ぐらいまでは、一年中発作で苦しんだ
当時は市販されていた「吸入型の薬」を必ず持ち歩いていた。
(この薬を使いすぎて亡くなった子供のニュースをたまに新聞で見ていた)
現在では、その薬は病院の処方箋がないと購入出来なくなっている。
しかも3ヶ月に一本しか処方されない。1度 吸引すると4時間は使用してはいけない、とされている。
ボクは、その薬を一晩で使いきったこともあった。

体の成長と共に発作がでる時期は少なくなっていったが、
中学生の頃は、春の時期、風邪でもないのに「鼻水とクシャミ」が止らない日がよくあった。
「小児喘息」「花粉症」「アトピー」今でこそ世間で「認知」されているが、
その頃は、その「辛さ」は誰にも分かってもらえなかった。

ボクの「手荒れ」は、限界を超えていた。毎朝、厨房で「熱湯」で皮膚を柔らかくしないと仕事が出来ない。
乾いたまま手を握るとすべての節が切れてしまう。腫れ上がり表面は黒くただれていた。
ジーパンのポケットに手が入らない。こうなるとバーカウンターには入れなかった。
バーテンの仕事は手先が大切である。
シェイカーを振る時もステ―(まぜる)する時もお客さんの目はバーテンの指先を見る、、、
バーテンの仕事は出来ない。

「まだ、大丈夫!」人にも自分にもそう言いきかせていた。
しかし、ついに包丁やお箸が持てなくなった。限界である。
Kマネージャーに日本人がやっている「皮膚科」に引っ張って行かれた。
まず、2週間「手荒れ」が進行しない注射を打ち
1日3回「ぬるま湯」に混ぜ皮膚を柔らかくする薬と軟膏を処方され
「1週間の安静」を約束することになった。

その日から、1週間 自宅待機がはじまった。その間、ボクは一人で
毎日、ハモサで夕日を見ながら考えていた。ずっと、考えていた。

1週間後、ボクの手は、完全に治っていた、信じられないくらい完全に。
厨房に復帰しても、出来るだけ「洗剤」を使わないように気をつけていた、
出来るだけ、、、、手も濡れないように、、、
それから、また1週間が経ち、ボクの手は、また荒れだした。
病院に行き、ドクターに「また、荒れ出しました」と報告すると
「それは当然、2週間、効力のある注射を打ったんだから」との答
そして、、「このまま、今の仕事を続けると、皮膚だけで済まなくなる」と言われた。

「分かっていた、、、」自分の手の事だから、、、
「神経」、そして「骨」まで、、、、、ずっと考えていた、、、
それと、「厨房の中に自分が出来ない仕事」が存在する。
その分、誰かに負担をかけることになる。休んでいた1週間は、その事が、頭の中から離れなかった、、、

そんな状態で、ボクは、ここではじめての「グリーンカード第1号」になる資格があるのだろうか?
社長は「厨房だけが、ここの仕事じゃあ無い」と言ってくれている
同僚の中には「グリーンカードを取ってから考えたら」と言う人もいた。

ずっと考えていた、、、もし、このままグリーンカードを取り、社長の元で、他の仕事していて、
他の場所に「自分がやりたい事」が、出来れば、その時、ここを離れる、か、そのやりたい事を諦めるか。
どちらもイヤだった。どちらも社長を裏切ることになると思う。

ボクは、、、主任の様な、仕事に厳しい職人になりたかった。
ごうさんの様な、なんの見返りも求めないやさしい人になりたかった。
Kマネージャーの様な、押さえつけるのではなく、
同じ視線でみんなをまとめ、引っ張って行くリーダーシップを持つ人になりたかった。
いとはんの様な、冷静でなおかつバイタリティを持った人になりたかった。
山さんの様な、堅実で一生懸命な人になりたかった。
そして、でっかい、でっかい、社長に少しでも近づきたかった。

ボクは、永住権を、放棄することにした。

「手のひらを、太陽に透かしてみれば、真っ赤に流れる、ボクの血潮」
ボクは、自分の中にある「心の太陽」を失ってしまった。

日本に帰る前日、ハモサの町は「カーニバル」だった。
大通りには、フリーマーケットや出店が、ずらっと並んでいる。
ボクは、最後に桟橋に行きたくて町に出た。
すると、そのカーニバル会場で、ハモサで知り合った友人達に会えた。

「明日、日本に帰る」そう告げると、
みんな、必ず「そうか、で、いつ帰って来るの?」と聞いてくる。
こんな楽しい日に、友人達の「憂鬱そうな顔」は見たくなかったので
「あぁ そのうち帰って来る」と返事をしていた。

桟橋につく頃、ボクの心はからっぽになっていた。
                       次回、最終話
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