『ぼくらは、みんな生きている / 太陽編』
( 最 終 話 )


ロスでの生活は、決して楽しいばかりでは無かった。
苦しい事も悲しい事、プライドをズタズタされた事もあった。

夜、帰宅するためバス停で 座っている時、
目の前の道を走り去る車のヘッドライトがやけに「暖かいもの」に見えてきて
「飛び込もう」と言う衝動にかられた事も数回あった。

しかし、それ以上に、日々の暮らしは魅力的で、「生きている実感」を感じていた。
その生活を捨て、日本に帰ってきたボクは、日本でも刺激を求めて、色々な仕事をしていた。
でも、ボクの心は、少しも満たされる事が無かった。

27歳の時、ボクは友達の紹介で「印刷工場」の工員として働いていた
ただ、生活するために、、、毎日、朝8時から夜9時まで、
日曜日以外、ただ、働いていた、、、
友人達は、みんな結婚して子供がいて、、、まわりで独身なのは、ボクだけになっていた。
アメリカで、ボクが夢を追いかけていた頃、
みんなはしっかりと大地に落ち着いていた。

この頃、ボクは「人はそれぞれピークがあって、ボクのピークはもう過ぎてしまった」と思っていた。

そんな頃、知人が、あるコーヒーショップのオーナーが、新しい店を出す事になったので、
「メニュー作りを手伝ってほしい」と言ってきた。
昼は、コーヒーショップで、夜は、そのころで言う「カフェバー」にしたいらしい。
その「カフェバー」のフードメニューを作ってほしい、と言う内容だった。

軽く考えていた。
「ま、1度、話しを聞いて、お茶をにごして、、」のつもりだった。
しかし、それは、まさに自分が「目指した」仕事だった。
夜、印刷会社から、帰ってきて、毎日「メニュー作りの打ち合わせ」をしていた。
ドリンクの方も「カクテル」を中心にする事になった。
「カクテルバー」としてオープンすることに決まった。

両方のメニューが出来あがった時、それは「ボクが居ないと出来ないメニュー」になっていた。
ボクは印刷会社を辞めることにした。
「アトピー」がある…。 そう長くは手伝えないのは分かっていた。
しかし、店の誰かがこのメニューをこなせるようになるまで、、、、
自分の考えたものがどんな評価を受けるのか、興味も、もちろんあった。

でも、それは、、、その店を手伝っていた時間は、、、まるで、、
「ボクの事を、ずっと見ていてくれた神様が、与えてくれた時間」のように、思える日々だった。
店の2階は、30人ぐらい入れるパーティースペースになっていた。
そこで、月に2〜3度、20人ぐらいのパーティーがあった。
そんな時は、メニューに載っていない「パーティメニュー」を、その都度、変えて出していた。

カウンターでカクテルを作り、厨房で自分の考えた料理を作る。
まさに、ボクがやりたかった仕事であった。
「アトピー」のため1年弱しか、手伝うことが出来なかったが、店を離れた後
偶然、町で会った「その店のお客さん」が「もう、料理はしないの?」と聞いてきた。
「量の問題じゃないんだよ!味なんだ!」と言っている。

その店のオーナーは、ボクが辞めた後、どうも「量」でサービスしているらしい、、、
「あんなに美味かったのに〜」と言ってくれていた。
もう それで十分だった、、、ボクの料理はこの人の記憶に残った、、
ボクの追いかけていた夢は叶えられたと思える瞬間だった。

いくらマニァルを作ってもその料理を作る人の想いが
「どうか食べてほしい」
と込められなければ、伝えることが出来ないものがあると思う。
どんな仕事でも同じだと思う。
「もの作り」の仕事だけでは無いと思う
誰かに対して伝える仕事、誰かの事を見る仕事、全部、
「自分のその仕事をすると言う気持ち」を込めなければ、何も伝わらないと信じている。

そして、ボクは、その「神様が与えてくれた時間」の中で
新しい「心の太陽」を見つける事が出来た。
「ギャラリー」に載せている最初の写真は、その「心の太陽」と出会える最初の瞬間である。

「手のひらを太陽に透かしてみれば」
ボクはいつもその沈む事ない太陽に手をかざし、自分を映し出している。
ボクは今こう伝えたい、疲れたら、休んじゃえ!
自分のやりたい事が思う様に出来なかったら、あきらめてもかまわない。
すべては「結果」では無く「過程」なのである。

ボクが調理師の仕事をしていたからバーテンダーの勉強をしていたから
ボクは、その場所に行く事になったのである。
自分がそれまでやっていたことは、「無駄」にはならない、
すべて、先に進む過程であると思う。

ボクは「負けるな!」とは言わない。負けて得る大切な物はきっとある!
「我を張れ」とも言わない。今日と言う時間は、もう帰って来ない。
だから、今を大切にしてほしい。

ただ、どんなに辛い事があっても、途中で何かを諦めなければならなくても
「めげないでほしい」めげて下を向いてしまったら
その先にある「大切な何か」を「差し伸べてくれている手」を見逃してしまう。

ボクはどんなに辛い事があっても、どんなに悲しい事があっても
その想いを忘れないでいようと思う。
辛い思い出も悲しい思い出も、多ければ多いほど
「もうあんな想いはしたくない。大切な人にあんな想いはさせたくない」
という強い意思になると思う。
今までの思い出の上に立ち、今があるのだと思う。
人の痛みを自分の痛みに感じれればいいと思う。

これかれも苦しい事、辛い事が必ず来る。
その都度、誰かに支えられて生きて行く、、、
今まで、ボクを支えてくれた人達に「恩返し」は出来ないかもしれない。
ボクが誰かの支えになれれば、幸いである。

ボクがいつも見上げている青空は、あのカリフォルニアの青い空につながっている。
ボクが今日 見た太平洋のキラキラ光る海の水平線の向こうには、あのハモサビーチの町がある。

どんなに分厚い雲が空を塞いでも、その上には、絶対大きな太陽が輝いている。
そして光を完全に遮断する雲など存在はしない。

いつか家族と一緒に「光の大地」を見に行きたい。
もしかしたら、ボクが手を引かれて、、おんぶされて、、、
ぐらいの歳になるかもしれないが、、、、
それは、それでいいと思う。

   つたない文書を読んでいただいた事、感謝しております。
1