ふたご前夜

・まずはふたごがお腹にやってくる少し前のことから。
 
 ふたごがやってくる前に、私は2度流産した。どちらも妊娠初期での流産だった。
 それまで割と、人生そんなに挫折もなく、比較的思い通りに生きてきた。
 妊娠したら ふつうに子どもが生まれるものだと思っていた。
 そんなワタシにとって、この2回の流産は
 「世の中、自分の力だけでは、どうにもならないことがある」 と 痛烈に感じる出来事だった。
 泣いて悩んでまた泣いて…を繰りかえす日々。
 今でも2人は、ようちゃん、わーちゃん、として私の中で生きているけれど、
 とても悲しくてつらいお別れだった。

 その後 なかなか赤ちゃんに会えないことに焦って、悩んで、また泣いて。
 さんざん焦って悩んだあげく、あるとき ふっつり心がきりかわった。 
 このまま子どものいない人生もありだろう、って。
 それなれそれで楽しまなくちゃ。
 
  そう思えるようになってからは、心も身体もすっかり軽くなった。
 一人で、それから夫・U一郎と2人で趣味に旅行にいそしんで過ごした。
 赤ちゃんのことを考える暇すらないくらい、愉快に楽しく過ごしていた。

 

 それから間もなく、月のものが遅れていたので「また不順かな〜」 と思っていたら
 10日待ってもまだこない。
 さすがに少し気になりだして、もう買い置きもしなくなってた検査薬を買って調べてみたら、
 なんと陽性だった。

 3度目ともなると、妊娠したヨロコビよりも、「この子は大丈夫!?」 
  流産の恐怖がよみがえって不安でいっぱい。
 
  あまり早く婦人科へ行くと、まだ早すぎて何も見えません、といわれるのがイヤだったので
 2週間遅れになるのを待って産婦人科へ行った。

 

   ふたご妊娠!?
   生理日から計算すると、今ごろは6週目。
 
子宮の中に赤ちゃんの入った袋と小さな赤ちゃんが見えるはず。
 こんなことばっかり詳しくなるんだよなーと思いつつ、診察してもらったところ、袋は確認できた。

 がしかし。
 「週数の割に 袋が小さいようですね。 単に排卵日がずれていたのか、
    発育がよくないのかは今の段階ではわかりません。
 また来週来てください」 と ドクター。

 産婦人科医が簡単に 「おめでとう」って言わないのは今までの経験で知っていたけど、
 これまでの妊娠と同じこと ( 週の割に小さい ) を言われてしまい、気分は最悪のどん底。
 赤ちゃんの無事を祈ることしかできず、次の診察までの1週間がとてつもなく長く長く感じた。

 そして、1週間後。
 名前を呼ばれてもさすがに一人で入る勇気はなく、U一郎と一緒に診察室に入る。
 内診室に入る前、ちらっとカルテが目に入った。
 ○○週 ××切迫流産 と書いてあった(ように見えた)。
 一瞬にして血の気が引いてしまった。
 

 「判決を待つ被告ってこんな気分なのかなぁ」 なんて 重たく沈みきった気分で内診台に登ったものの、
 エコーを映すモニターが怖くて見られない。
 ようちゃん、わーちゃん、助けて! と思いつつ、ぎゅっとつぶった目を開けてみると
 子宮の中には黒い袋が見える。前の週より大きくなっていたけど、赤ちゃんの姿は見えない。
 先生もしきりにプローブを動かして、何かを確かめようとしているようだった。
 「見えるべきものが見えないのかな… やっぱり今回もダメだったのかなぁ… また手術するのかなあ…はあ…」
 覚悟した矢先、先生が一言。

 「○○さん(わたしの名字)、…ふたご みたいだよ」

 …はあ、ふたご。 って双子? 2人?? ええ??!!!!!!!!!!

 てっきり流産していると告げられると思っていた私は、何がなんだかわからず、
 やっとのことで口にした 「ほんとですか!?」 と いう声すらかすれてしまっていた。

 何がなんだかわからないうちに、先生はちゃかちゃかと機械を操作して、
 赤ちゃんの心拍を確認しだしたようだった。
 今までの妊娠では、1度も赤ちゃんの心拍を見られなかっただけに
 モニターの中に小さく、チカチカ動く2つの心臓を見たとたん、涙があふれた。
 生きてる! 私のお腹に2人も生きてる!
 感動、感激、歓喜、感謝 … いろんな喜びで胸がいっぱいだった。

 …そのころ、内診台から聞こえてくる私のすすり泣きを耳にしたU一郎は、
  残念な結果だったと思ったらしく、手術になったときのための仕事の段取りなど、必死に考えていたらしい。
 そこに、一足先に内診室から先生が現れて… 
 
 「ふたごですよ」
 「!!&%’#$’?*+‘P*>M!!!」
 
 よくマンガとかに出てくる ↑ こういう表現って、本当にあるんだなあ。
  内診室で下着をつけながら、U一郎の叫び声を聞いて妙に冷静にそう思った。
 診察室で顔を合わせてみたら、彼もやっぱり、喜びでいっぱいいっぱいの顔をしていた。

 その後、U一郎と2人で先生から説明を受けた。
 双子を妊娠していること (やはり排卵日がずれていたようで、この時点で6週後半だった)。 
  2人の赤ちゃんは それぞれ別々の袋の中にいるので、双子が育つ胎内環境としては条件がいいこと。
 予定日は1月半ばごろだけれど、双子の場合は早まる可能性が高いということ。
 母体にかかる負担も大きいので、妊娠後期は安静のために入院するかもしれないこと。
 そしてとにかく、ムリはしないことを言い渡されて、産婦人科を後にした。

  

 そのとき、私は。まわりは。
 ふたごを授かった。 お腹の中に、2人が生きてる。
 天使になったようちゃん・わーちゃんが起こしてくれた奇跡に違いない、とっさにそう思った。
 2人に感謝した。

 ふたご。双子。Twin ジェミニ。 
 なんだかピンとこないけど、とにかくなにしろ 自分にスゴイことが起きてる。

 自分はなんて幸運なんだろう!
 どんな裕福な人だって、いくらお金を積んだって、そう双子を授かれるもんじゃない。
 一生分のツキを使い果たしたかな、とも思ったけど、それでもぜんぜんかまわなかった。
  

 家に帰ってから、U一郎と2人で祝宴を開いた。
 大好きな日本酒をちびちびやりながら、「いきなり4人家族か…」 うれしそうにU一郎が言った。
 
私達はどうも人とは少し違う経験をする人生のようだね、と笑いあった。
 赤子が2人もいれば、育児もお金も大変だろう。 
 望むところだ! なんとかなるでしょう!
 不思議と私もU一郎も 双子誕生後のことには不安も心配も抱いていなかった。

 とにかくお腹で育ってくれますように。
 無事に生まれてきてくれますように。

 それだけが
 私達の願いだった。
 

 ふたごな妊婦(初期〜妊娠6ヶ月)
 
ふたごを妊娠していることがわかって、まっさきに職場に報告した。
 その頃 私は書店に勤めていた。
 書店の仕事って、かなり力仕事が多い。
 女性ばかりの職場だったせいか、私の妊娠の報告は 拍手で迎えられた。
 妊娠初期の大切さやつわりのつらさを知っている人が多いおかげで、
 すぐに力仕事をしないかわりに、他の仕事を与えてもらえた。
 ありがたかった。

 それからふたごの情報を集めた。
 妊婦向けの情報誌をいくら見ても、ふたごの情報は少ない。
 流産したときもそう思ったけど、いわゆる普通の妊娠 からちょっとでもそれると、
 おどろくほど情報量が少なくなる。

 ようやく、たまひよシリーズから出ている 「双子・多胎の本」を入手して (もちろん店頭にないので注文した)
 あさるように読んだ。 
 そこに載っていた関連本も 図書館等で借りて読んだりもした。

 読めば読むほど、ふたごってリスキーな妊娠らしいことがわかってきた。
 いわゆる、「安定期」 は ないに等しいらしい。
 それからかなり未熟児で生まれることが多いらしい。 
  1000g台の赤ちゃん、1000gに満たない赤ちゃん
も少なくないらしい。

 これは思ったよりも大変そうだなあ…と思いつつも、
 私の心配は 日々を無事に過ごすことに注がれていた。

 ようちゃんとお別れした8週を超えられますように。
 母子手帳がもらえますように。
 5ヶ月の戌の日が迎えられますように。
  妊娠22週目 (コレ以降は早産扱いになる)を迎えられますように。
 本当に1日ずつ 指折り数えて過ごす日々だった。
 
 <妊娠3ヶ月目 8週〜11週>
 つわりは8週目ぐらいから5ヶ月に入るまで続いた。
 私の場合は食べツワリ。お腹がすくと気分が悪くなる。
 何か口にしていればいいけれど、そのせいで
 胃がおかしくなる→食べられない→気持ち悪い の くりかえし。
 
 1日中 車酔いが続いているような状態だった。
 それでも仕事をしている間は気がまぎれていたけれど、
 家に帰るともうダメ。 
 すべての家事を放棄して横たわるのみ…の 生活だった。
 この間、文句の一つも言わず私の身体をいたわって家事をこなしてくれたU一郎には本当に感謝している。
 子育てって、子どもがお腹にいる頃からはじまっているんだなあという気持ちを強くした。

 世の中は ワールドカップにわいていたけれど、本当に私はそれどころではなく…
 そのおかげで、今でもワールドカップの映像を見ると、あのキモチ悪さがよみがえってくるからコワイ。
 特に ポルノグラフティの あの曲 を聞くとテキメン…(笑)。

 9週目に入る頃、先生から 「母子手帳をもらってきて」 と指示があった。
 念願の母子手帳。 2冊もらえる母子手帳。 とてもうれしかった。


 10週目のときにはカゼをこじらせた。
 最初はいきつけの医院に行ったけれど、妊娠10週目ということで薬の服用は見合わせることになった。
 なかなか微熱と咳がなおらず… とうとうフラフラして起き上がれなくなり、産婦人科へ。
 脱水症状も起こしていたようで、点滴をしてもらったら だいぶ体調がよくなった。
 カゼだから、といって遠慮せず、何かあったらすぐ産婦人科へ行こうとこのときから決意。
 でも幸い、この後 カゼをひくことはなかったけれど。

 <妊娠4ヶ月目 12週〜15週>
 
3ヶ月に入るころから、へその下からとんがるように出っ張ってきたお腹がだんだん大きくなってきた。
 今まで着ていた服もきつくなってきて…
 4ヶ月に入る頃には、職場でマタニティ服を着るようになった。
 ひそかにバニシングツイン(ふたごのうち、一人が消えてしまうこと)を恐れていたけれど、
 なんとか2人とも大きくなってくれていたようで、お腹のふくらみにも感謝したい気持ちだった。 

 つわりもあいかわらずで、うどんとスイカとトマトでしのぐ日々が続いた。

 4ヶ月になると、産院で医師の診察の他に助産婦外来が始まった。
 文字通り、助産婦さんと1対1で話ができるというもので、なかなか医師には聞きづらいようなことも、
 女同士ということで、気軽に尋ねられるので かなり心強い。
 もともと地元でここの産院の評判が高いのも、この外来があるためだ。

 以前 流産したときからお世話になっていたので、先生のことも信頼している。
 この産院で出産したいと思っていたけれど、 ここは個人病院。
 ものの本を読めば、双子の出産には NICUのある総合病院の方が安心らしい。

 どうしたものかと思って、助産婦さんに相談してみたところ、
 未熟児で生まれたとしても、2000gあれば この産院でも対応できるとのことだった。
 妊娠中にしても、母体や胎児にトラブルが生じれば その様子に応じて対応できる病院を紹介してくれるとのこと。

 「何かマズそうだったら 早めにどこか紹介してくださいね 」 と一応 念を押してお願いして
 何かコトが起きるまでは、この産院にお世話になろうと決めた。

 <妊娠5ヶ月目 16週〜19週>
 
5ヶ月目に入る頃、書店の仕事を退職した。
 折しも猛暑。
 それまで冷房の効いた環境で過ごしていた私は、世の中は真夏だったという現実にいっきに引き戻された。
 そしてアパートに住んで3年目にしてようやくクーラーを購入。
 のんびりと快適に過ごしていたせいか、つわりがおさまってきたせいか、
 それともそういう時期なのか、この頃からお腹がみるみる大きくなってきた。

 そして17週最後の日の朝、お腹に ぽくんっと動きを感じた。
 最初はあれ? っていう感じだったけど、2度3度繰り返されるうちに、確信した。
 胎動だ!!
 
 最初は私がじっとおとなしくしている時だけ感じられたけど、
 日がたつにつれ、どんどん胎動も元気がよくなり…
 この頃から、安定期に入ったのかな、と少し安心できるようになった。

 お腹の中のふたごたちを呼ぶときの名前を考えた。
 2002年の我が家のモットーは 「笑う角には福来る」。
 その2002年に訪れた 最高の福だね、ということで、 ふーちゃん、くーちゃんと命名。
 ふたごっちは右と左に住み分けていたので、右をふーちゃん、左をくーちゃんと呼ぶことにした。
 
 あるとき、いつも感じていた胎動が右側でしか感じないことに気がついた。
 どうしたんだろう? くーちゃんに何かあった!?
 それまで特別トラブルもなくきていたのが、ここにきて… 
 いやいやそんなことはない! と自分を励ましてはみたものの、不安はぬぐえない。

 ちょうど翌日、検診があったのでドキドキしながら診察してもらったら、あっさり不安はとけた。
 左右に住み分けていた二人が、
 たまたま上下に、
 しかも2人して足を右側に向けておさまっていたからだった。 
 
 お腹の右側をさすりながら、
 「そっかー、ここに足が4本並んでるんだー」 と思ったら、なんだか笑いがこみあげてきた。
 ふたごなんだなー と実感した出来事だった。
 (ちなみに上下に住み分けしていたのはこのときだけで、あとはずっと左右だった)

 <妊娠6ヶ月目 20週〜23週>
 
5ヶ月目に引き続き、特にトラブルもなく、体調もすこぶる好調。
 暑さがやわらいできたおかげで、過ごしやすくなった。
 
 調子がいいのをいいことに、妊娠中の最初で最後のつもりで単独お出かけを敢行!
 大学時代のサークル仲間の数年に1度の同期会に参加してきた。
 場所はお台場。
 待ち合わせの場所に向かう電車に乗った時には 学生風のお兄さんに席を譲ってもらってしまった。
 まだ妊娠6ヶ月。
 自分ではそうでもないと思っていたものの、はた目にはかなり大きなお腹をしていたらしい。
 
 仲間たちみんなにも驚かれた。
 ふたごの場合は単胎よりも2か月先のサイズになる。 てことは8ヶ月のお腹ってことだ。
 そういえば、無意識だったけど、お腹を抱きかかえるようにして歩いていたらしい。
 
 久しぶりの仲間との再会も無事に終えて、もう思い残すことはない、とは思ったものの、
 その後は 市が主催する母親学級に参加したり、ふたごサークルに顔を出したり、と

 今にしてみれば、大きなお腹で かなりアクティブに動き回っていた時期だった。

 5ヶ月の戌の日から少し日がたってしまったけど、
 親戚の人たちが 安産を願ってお食事会を開いてくれた。
 みんなが一言ずつ言葉をくれた。
 「元気な赤ちゃんを生んでね」 「丈夫な赤ちゃんを生んでね」

 その一言ひとことに一応 笑顔でうなずいてはみるものの、実のところ、それどころじゃあない。
 いくら状態が安定していても、私にしてみれば 
 赤ちゃんが元気だの、丈夫だのというのは、二の次だった。
 とにかく、生きて生まれて欲しい。
 これに尽きていた。
 みんなの好意をすこーしだけプレッシャーに感じていたら、しめくくりのU一郎の言葉に救われた。

 「元気じゃなくてもね、丈夫じゃなくてもいいから。
 とにかくね、無事に赤ちゃんが生まれるよう 一緒にがんばろう 」

 お腹の外に出てくるまでは、自分しか赤ちゃんたちを守れない。
 妊婦って、孤独な存在だと思う。
 それだけに、わかってくれる人がいるって、心強い。
 
 母親学級のとき、助産婦さんがこう言ってくれた。
 「ふたごちゃんのお母さんはね、ただの妊婦と思っちゃダメ。
 ふたごちゃんのお母さんはね、保育器なのよ。
 赤ちゃんのことを最優先に考えて、1日でも長く、お腹で赤ちゃんを育ててあげてね。
 お母さんはシンドイかもしれないけど、それが赤ちゃんににとって一番いいことだから」

 どんどん大きく重たくなるお腹を抱えては
 助産婦さんの言葉をかみしめる毎日だった。 
 まさに ふたごのためなら エーんやコーラ、だよ。
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