出産編…当日のことを思い出して書いてます。長いけどおつきあいください。
<その後>
フーとクー、二人が無事に生まれたことを見届けた私は
頭がぼーっとする状態が続いていた。
後産(胎盤とか子宮の中のものが出てくること) も いつのまにか終わっていた。
フーもクーも 産湯をつかりに別室に行っていた。
ああ、生まれたんだなあ…二人とも髪が真っ黒だったなあ…娘二人かぁ…
なんだか宙に浮いてるような ほわほわとした気分のまま ふと気がかりだったことを思い出した。
そばにいた看護婦さんに 二人の体重を尋ねた。
「えーっと… 先に生まれた1児(いちこ)ちゃんが3088gで、2児(にこ)ちゃんは2890g。
大きかったねー」
「え? 3000!? ウソでしょ!?」
”ふたごの出生体重は 2500g あれば立派なもの” と聞いていた。
それが 二人とも3000近い ていうか一人は超えてるし。 だがしかし、にわかに信じがたい。
あまりに私が驚いたので、看護婦さんも見間違えたと思ったらしく、
再度確認しにいってくれたが、 やはりフーは3088g、クーは2890gということだった。
思わず笑いがこみ上げた。
二人で6キロ!? 動けなくわるわけだよ。
二人とも未熟児で 保育器に入るものだと思っていただけに、予想外の展開だった。
念のため看護婦さんに聞いたが、やはり保育器には入らなくてすむらしい。
大きかったんだな… フーもクーもすごいよ… ワタシの腹もやるじゃん…
「じゃあ、縫いますからね」
院長の言葉で現実に戻された。
縫うと言いましたか?
縫うと言うことは、それはつまり 切ったということ??
この産院は なるべく切らない方法でお産をすすめるのも魅力だった。
院長も 去年1年で切ったのは3回だけ、と言っていた。
今年は1月5日でもう 切り初め!?
ああ、切られちゃったんだ…でもしょうがないか…二人ともデカかったしな…
ちくちく ちくちく と院長は縫い出した。
麻酔が効いているせいか 切られたこともわからなかったし、
縫っている最中も少しも痛みを感じなかった。その後の痛みを思えば、せめてもの救いだった。
産後のほとんどの処置が終わった後も 産婦はすぐに動いてはいけないらしい。
2時間近く 分娩台の上に横たわったままだった。
その間 二人に初乳を含ませる以外は 特に私はすることがなかった。
実家の両親&弟が駆けつけてくれたが、その頃にはいいかげん背中も腰もバキバキになっていた。
分娩台って なんでこんなに硬いの!?
ようやく部屋に戻っていい とおゆるしが出たので さあ! とばかりに起き上がろうとしたら
…れ、れれ??
どうにも起き上がれない。
何? なんでなんで?? どんなに力を入れても 腰に力が入らない。
ヒジをついて少しだけ背中を起こした状態のまま ついヘラヘラと笑ってしまった。
「あの…起きらんないんですけど〜」
腰が抜けてしまったらしい。
看護婦さんに支えられてどうにか体を起こすと、今度は台から降りろという。
ていうか それもムリ。下半身に力が入らない。
分娩台の横に用意された車椅子に ころげ落ちるように座るのがやっとだった。
<一卵性? 二卵性?>
部屋に戻ると、辺りはすっかり夕方になっていた。
実家の両親たちの他に、U一郎の親類も何人か待ってくれていた。
正確には 私ではなく フーとクーを。
さすがに疲れが出て挨拶もそこそこに ベッドに横になった。
少し遅れてフーとクーが部屋に運ばれてくると 一同 いっせいにそちらに注目。
かえってその方が楽だった。
泥のように疲れるってこういうことだ と思った
明日からは 早速 母子同室らしいので、少しでも眠れるときに寝ておかなくちゃ。
とりあえず、痛みをあまり感じずに眠ることができたのは このときが最後だった。
後から聞いたことだけれど、
お産の際の出血は 結構多かったらしい。
その量 約1.5リットル。 貧血にもなるよ。
会陰切開については、フーのときにまず切った箇所の先端が、クーが出てくるときに裂けてしまったそうだ。
おそるおそる触れてみると お尻の穴のすぐ横まで切れていた。 お、おそろしい痛みだ…。
おまけに骨盤は3キロの赤子を二人も送りだした後 すっかり開ききってしまったららしい。
起き上がると恥骨の部分に激痛がはしるようになってしまった。
ふたごの出産て、母体にかかるダメージもはんぱじゃないのね。
お腹が小さくなったら、すべての痛みから解放されると思ってたのに…
こんなはずじゃなかった…
これがこの日から退院するまでの一週間、つらいつらい痛みの日々の始まりだった。
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