出産編…当日のことを思い出して書いてます。長いけどおつきあいください。
<その後のその後…入院生活>
出産を終えた私には 計算違いだったことがいくつかあった。
その1 体がぼろぼろ
会陰切開の傷はもちろん、腰と骨盤が痛くて一人で起き上がれない。
起き上がっても貧血でクラクラする始末。
その2 体力の低下
2ヶ月も管理入院でベッドの上で過ごしてきたせいか、足腰がガクガク。
その3 フーとクーが 予想以上にデカかった
当初、出産直後はきっと保育器に入るだろうから、そのうちに体力回復をはかろう、と
もくろんでいたけれど、結局 保育器には入らなかった。
ということで、出産翌日からいきなり母子同室になることに…。
その4 乳が出ない!
生まれる前日まで 「子宮に刺激がいくといけないから 乳首の手入れは厳禁!」と言われていたのに、
生まれたとたん、「乳首がかたいし、乳腺がつまっているから 赤ちゃんが吸いにくい」と言われましても…
しょーがないやんっ!
この産院は母乳推奨&母子同室だったんだけれども、
ふたごの場合は例外かと思っていたら、そんなことはなかったのだ。
出産翌日は午後からフーが来た。
2日目は午前がクー、午後から朝までがフー。
3日目以降からは二人が一緒に終日過ごす、 とまあ こんな具合。
翌日からU一郎や実家の母さんが泊りがけで付き添ってくれたにも関わらず、
入院生活はズタズタのボロボロだった。
赤子一人につき2〜3時間おきに授乳の時間になる。
フーもクーも よく寝る子だったが、時間で測ったようにきっかりと2〜3時間おきに泣いた。
二人の時間差が多少あったので、実際は1時間半おきぐらいだったかもしれない(意識朦朧につき記憶が曖昧)。
ひとくちに授乳と言っても ただおっぱいあげておしまい、ではなく 手順があり、
1:授乳前に 廊下にある体重計で 赤子の体重を測りに行く。
2:授乳させる
3:授乳後に もう一度体重を測って、授乳前との体重差(=飲んだ乳の量)を備え付けのノートに書く
というのもので、 この作業が何よりつらかった。
体力低下と骨盤&傷の痛みがひどく、赤子を抱えたが最後、歩けない。
片手で赤子を抱いて、片手でドアを開ける なんてことさえままならない。
おまけに へなちょこおっぱいなので どんなに吸わせてみても ノートに並ぶ数字は「0」「0」「0」ばかり。
同じ日に生んだ人が 着々と 母乳の量を増やしているのを見て、ますます落ち込んだ。
おっぱいが出ないと、かわりに赤ん坊には糖水を飲ませるんだけれども、
「せっかく生まれてきたのに砂糖水なんて カブト虫じゃあるまいし…(泣)」
授乳の時間が来るのがユウウツだった。
あちこちが痛いのと 乳が出ない情けなさと 二人への申し訳なさで 泣きたいのをこらえながら過ごしていた。
なんで泣かなかったかといえば、かわるがわるやってくる二人の授乳タイムで
泣いてるヒマもなかっただけなんだけどね。
後から振り返ってみれば、 ものすごくマタニティブルーだったのかもしれないなあ。
<その後のその後…命名>
生まれてすぐから 看護婦さんからは「1児(いちこ)ちゃん」「2児(にこ)ちゃん」 と呼ばれていた。
それはそれでかわいかったんだけど、いつまでもその呼び方じゃかわいそうだから… と
入院4日目の生まれてから最初の大安の日に 出生届を出すことにした。
名前は前から考えてはあったのものの、 どちらの名前をどちらにつけるかは
実際に二人の顔を見てから決めようね、とU一郎と話し合っていた。
さあ、それじゃあ 実際顔を見てみてどーよ、ということになる。
私の中では お腹の中で元気に暴れまくっていたフーに かりん、おとなしかったクーにあんず、とイメージしていた。
音楽を聴いてると 必ず活発に動くのもフーの方だったし。
でも生まれてみたら、どーも感じが違う。
フーは色白で ぽわわん とおっとりした雰囲気。
クーは赤くて 泣き声がめちゃめちゃ元気で活発。
音や字の形のイメージから言っても、どっちかというと フーがあんず、クーがかりん…?
もしU一郎が別の印象を持ってたら 混乱したまま名前をつけることになるし…
おそるおそる彼に尋ねてみた。
「実際顔を見てみて、どう思った?どっちにどっちがいい?」
そうしたらなんと U一郎も 同じことを考えていたらしい。
フーはあんず、クーはかりん。、
二人それぞれのイメージと名前のイメージが合った。
なーんだ。 それならひと安心。
ということで 名前決定!!(安易過ぎ!?)
今日から フーちゃんは あんず、クーちゃんは かりん。
改めて「あんちゃん」「りんちゃん」 と声をかけてみても なんだか照れくさいばかり。
これで一生呼ばれる名前が決まったんだ と思ったら 不思議な気分に包まれた。
名前って親の究極の自己満足かもしれないね(笑)。
<その後のその後…退院前夜>
あん と りんが泣くたびに 泣きそうな気分にさいなまれていた私も
必死の乳首マッサージと 助産婦さんのアドバイスのおかげで
ちょびちょびとだが乳が飲ませられるようになった。
どーも私のは小型で吸いづらい、といういことで 補助乳首みたいなカバーをつけて吸わせると
なんとか飲んでくれた。
現金なもんで、ちょっとでも飲ませられると「娘よ、へなちょこ乳首でごめんよ…」 なんて思う余裕も出てきた。
退院の2日前からは ミルクの調乳指導も入った。
とても2人分は出ないでしょ ってことで、飲ませていいことになったのだ。
ああ、砂糖水じゃなくて栄養のあるものを 2人にお腹いっぱい飲ませて上げられる。
これでまた一気に気が楽になった。
そして最後まで私を悩ませていたのは… 切開の傷と恥骨の痛みだった。
3〜4日すれば 縫った糸が自然に溶ける、と聞いていたのに 傷がつれるように痛んで
座るのも立つのも歩くのも かなりの気合と勇気が必要だった。
乳の心配が解消されても、ガタガタの体だけはどうにもなりそうにない。
退院前日、先生にその窮状を伝えたら、抜糸してくれた。
…縫われたときは麻酔が効いてたからわからなかったけど、この抜糸、腰が浮くほど痛かった。
これでラクになれるはず…と思いきや、そうすぐにことは運ばない。
傷の違和感がようやく薄れてきたのは 退院当日だった。
<その後のその後…退院>
退院当日。 よく晴れて青空が見える。
退院するにはもってこいのいい天気の日だった。
あん も りんも特に何のトラブルもなく、一緒に退院できることになった。
さあ退院。 私の検診や 子どもたちの検診もあって朝からあわただしい。
でも…この日のために縫ったベビー服を着せて、家族4人、産院の前で記念写真を撮るのが密かな夢だった。
そこに 親戚のおばさんがお見舞いにやってきた。
ありがたかったけれど、退院当日の忙しい様子にいっこうに気づく様子がない。
持ってきた荷物の片づけやら 自分の身支度やら いろいろやりたいことがあるのに
手がつけられないまま 時間だけが流れた。
えーいっ、もうリミットだ!
いちおうおばさんに断って、ドトウの勢いで支度にとりかかった。
ばばっと マタニティパジャマを脱ぎ捨て、服に着替える。
タオルやら 歯ブラシやら細々したものをカバンに詰め込む。
「…何か手伝うことないかしら」
おばさんが声をかけてくれるけれど、「お願いだからもう外に出ててください」 というのをぐっと飲み込んで
「大丈夫ですっ!」と言うのがやっとだった。
なんと間の悪い(?)ことに、そこにお義母さんもやってきた。 お義母さんまで同じことを言う。
ないないっ ないって!!
ただでさえそう広くはない病室に 私をを含めて大人が3人。
そのうち二人は右往左往。ごみごみすること限りない。
「ええーいっ ジャマだーっ!」あと少しでキレそうになりながら
なるべく おばさんとお義母さんを視界に入れないようにして 支度マシーンと化した。
そうこうするうちに もう退室の時間。
え? もう!? ビデオ撮影は? 写真は?
あれよあれよという間に荷物が運び出されていて、 カメラもデジタルビデオも
おばさんとお義母さんの手で とっくに外に持ち出されてしまっていた。
…泣きそうでした(笑)。
荷物が全部車に積まれた頃に やっと落ち着いてU一郎と話をする時間ができ、
そこで おばさんとお義母さんにはお引取りいただいた。
(今 思えば気を遣ってきてくれたんだと思うんだけどね。おばさん、お義母さん、ごめん)
家族4人で静かに退院したかったんだけどな。
どったんばったんして わけのわからないうちに産院を後にした。
ブチ壊しだーっ と泣きそうになりながらも
明るく あったかい日差しに励まされるようにして家路に着いた。
あん、りん、あなたたちのおうちだよ。
おくるみにほっこり包んで、そぅっと外に抱いて出ると
初めて浴びる太陽の光がまぶしいのか ぎゅーーーーっと目をつぶったままだったけれど、
なんとか無事に 我が家にたどり着くことができた。
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