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| 【介抱】 かいほう ―はう (名)スル (1)病人やけが人の世話をすること。看護。 「病人を―する」 (2)保護すること。後見として面倒をみること。 「誠の親より大切に―ありし甲斐もなく/浄瑠璃・二つ腹帯」 【介護】 かいご (名)スル 病人などを介抱し世話をすること。 「―人」「老母を―する」 【介助】 かいじょ (名)スル 病人や高齢者などに付き添い、起居動作の手助けをすること。 介添。
いきなり国語辞典に書いてあることを並べてしまいましたが、相手に対して介抱・介護・介助をしていると思っていることはないだろうか? 確かに体の不自由な相手であればそれは当然のことなのですが、そうでない場合(病気にかかっていない状態も含む)の夫婦が相手を介抱・介護・介助していると言えることはないだろうか? 私の最初の結婚は、相手に介抱・介護・介助することが当たり前の夫婦だった。 離婚するに当たり、そのことははっきりと知ることができた。 相手は健常者でありながら自分の意思を持つがなく、意思を持って生きる道を選択、実行することはしなかった。それは、自分の意思を持たない方が喧嘩もしない仲良しの夫婦と言う形を保っておき易かったし、何より楽だったのだ。 だから、2度目である今の夫婦になる時に「一緒に考え、一緒に選択し、一緒に生きることができる人」として夫を選んだのである。その代わり意見の食い違いはあるのは同然なので私の苦手な「戦い」も避けられないことも承知したのだ。 しかし、言い訳ですが、「す〜さん」が生まれてから「す〜さん」のことに関しては「一緒」だったかもしれないけど、夫婦として「一緒」ではなかったのではないか。 私は「す〜さんと一緒」で手一杯で「夫と一緒」は自分の都合の良い時だけ呼び出していたのではないか。 夫は最初の頃はいつでも呼び出しがかかっても良いように待機してくれていたのかもしれないけれど、時間の経過によって経験を得た頃から「こんな時は呼び出しがかかるが、このような時にはしばらく呼び出されない」存在になったのでないか? ということで、夫は呼び出されない時間をもつことになり一人になったのではないか? 妻は夫と話をする時間を持たなかったので、誤解をした。 「夫は、呼び出されない時間を持てたことを嬉しい、楽しいと思っている」はずだと。 私は時折、呼び出しがかからない夫は楽しいのだから・・・いいなぁ・・・と羨ましがってもいたりしたのだ。 TVを観て本当に面白そうに笑う夫に何故か腹を立てたこともあった。 しかし、夫が呼び出されない時間を持てたことを嬉しい、楽しいと思ったのは最初だけだったのかもしれない。その後は手持ち無沙汰で寂しかったのかもしれない。 寂しい時間に翻弄されたのかもしれない・・誰にも寂しいと言えずに。 夫は心に傷を負ってしまった。 今度は傷が早く治るよう心を込めて介抱・介護・介助しよう。 どのようなことが適切な介抱・介護・介助なのかがまだわからないけど、それは夫と一緒に向き合いながら話して探そう。 私が選んだ夫婦なんだから、私が選んだ家族なんだから。 |
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