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| 2000年8月28に近所の産婦人科へ診察を受けた。暗い診察台に上がった時に「ナンかいやな感じ」と思った通り、診察を受ける前から緊張で元々硬い体に拍車がかかりガッチンガッチンになっている私に、初老と言ってよい婦長さんらしき人に「股関節が硬いわね。これじゃ帝王切開になるわよ」とあっさり言われ、それだけで呼吸を止めて息を潜めて診察を受けることになりました。 「おめでたみたいだね。うちで産むの?」と先生に言われても何も答えられませんでした。 夫と相談してインターネットで探した車でしか行けないけれど自由にお産の方法を選べる病院へ行くことに決めようと話していたところ・・・茶褐色の出血と腹痛があり早々にそこの病院へ。 2000年9月1日診察を受ける。出産予定日は5月2日、体長2.1ミリの小さな小さな命をこの目で確認しました。ただ、この小さな命が育っていけるかどうかは1一週間後の診察を待たなければわからない状態。 不安のまま長い時間を過ごし9月7日、5.6ミリに成長したおなかの中の命を再度確認できて嬉しかったこと、嬉しかったこと。 このときはこれから続く「辛く苦しい・・・だけど諦められない」時間が待っていることなど想像もしませんでした。 38歳の初産の私には出生前検査(超音波検査、羊水検査、トリブルマーカーテストなど)のことは考えなくてはいられない事柄がありました。夫が仕事に出掛けている間に「これでもか!」って位に本やインターネットなどで調べまくり、夫が帰ってくると「検査を受けるか受けないか。受けたことによるリスクはどう考えるか?受けたとして結果をどう受け止めるか?」など話のフォーカスを細かく修整しながら時間をかけて話をしました。 そのうちにあっと言う間に「つわり三昧」の時期に突入してしまいました。体を起こすと気持ちが悪い、食べられない、フラフラするから横になる、の悪循環の毎日でした。 そのうちに出生前検査についての話し合いの結果が「受けない」と出ました。 話の最後の表題は「出生前検査の結果《陽性》と出た場合には中絶するか?」と言うことでした。2人の答えは「No」。重度障害者の甥を持つ私には兄夫婦のように立派に楽しく障害者と一緒に生きていく自信は全くありませんでしたが、どんなに辛いつわりが続いていようとも確実に成長をしているおなかの中の小さな命を絶つことはできない・・・とはっきりしたので出生前検査は受けないことにしました。 「楽しい嬉しい夢心地のマタニティーライフ」には程遠い体調でしたが、「新婚旅行」とタイトルをつけて、京都、神戸を旅することにしました。ことのことについてはまたの機会にお話しますが、旅の中で出会った人たちにはしっかりおなかが目立つようになった私に優しく接してもらったりして、とても楽しい旅でした。 2003.12.23.天皇誕生日に21週に入ったのだが、おなかが張りを度々感じるようになったので受診しました。この頃会った人たちには「おなかが随分大きいね。前に張り出しているから男の子だね」などと言われるくらい、小柄な私には重過ぎるおなかになっていました。 診察の結果「羊水が多め」とのこと。でも「もう少し様子をみましょう」とおっしゃるので帰宅し、26日に病院で行われた「マタニティーヨガ」に参加しました・・・が途中でかなり強いおなかの張りがあり、後半は見学していました。 その後もおなかの張りは減ることはなく、夫が年末年始のお休みに入った12月30日に受診、 「羊水がやはり増え続けている。胎児の羊水を飲んで尿を出すと言う機能に障害があるのかもしれない。このままだと胎児が助からないかもしれない。破水をしてしまったら、うちの病院では22週の赤ちゃんを助けられる設備がないので日赤へ母子ごと転送するしか方法はない。入院をして絶対安静を保つようにしなければならない。」 と先生に淡々と話されても、私も夫も落ち着いて聞くことができました。なぜなら、「辛く苦しい・・・だけど諦められない」とおなかの命に対しては同じ思いを持っていたからだと思います。 2000.12.31.-20世紀最後の日は入院となりました。24時間点滴を装着、トイレにも点滴と一緒(連れションですね)、動き回るおなかの赤ちゃんの心音を取るのがまたまた困難で看護婦さんが入れ替わりでチャレンジしたりしていました。 2.5人のお正月を楽しみにしていたのに悲しい21世紀の幕開けになることがなんとも悲しいこと。でも、夫の「ちゅ〜のためだから頑張ってね」(少し前からおなかの赤ちゃんは「ちゅ〜」と呼んでいた)と言われると泣き言も飲み込んでしまう。 夫にはなるべく長くそばにいて欲しかったので、近くのディズニーリゾートのNew Year Partyの花火の音が聞こえなくなるまで病室に残ってもらいました。 日に日に張りが減っていくものだと期待していたのは甘かった。24時間点滴をしていて、トイレと食事以外は体を起こすことは避ける一日を過ごしているのに・・。おなかが張る=ちゅ〜が苦しくなる と思うと忍の一字。 巷はお正月気分も抜け始めた1月5日、やっと先生の診察を受けることができました。人気のある病院なので入院している私のエコーはオペ室で取ることになり、なんだか色々と想像してしまう。でも、先生からは 「確実に羊水が減って標準値になっているから、安静ということがどういうことなのかをわかった頃だろうしそろそろ退院を考えてもいいね。」 と言ってもらえたので、ベットにじ〜っとしていてもやっぱりニコニコしてしまう。 1月7日に無事退院。しかし、たんまり「ウテメリン(おなかの張り止めの薬)」のお土産付き。 妊娠中に薬を服用するのは少々抵抗がありましたが、先生を信じてきちんと飲むことにしよう。「ちゅ〜のため、ちゅ〜のため・・・ブツブツ・・・・」 その後も妊娠中毒症で妊娠糖尿病となり(定期健診の前にマクドナルドに行って食べてしまったこともあって)、糖尿病の本を買って地道に食事制限をしました。でも、私は元々カロリー控えめな食事が大好きなのでほとんど苦ではありませんでしたが。 実は妊娠37週に新居へ引っ越すことになっていたので、少しづつ準備をしなければならなかったのです。超巨大なおなかで「ちゅ〜」のためのベビー用品も加わった荷物を整理しながらまとめるのにはかなりの肉体労働、頭脳労働でした。 36週に無事引越しをしたのですが、引越しから2日間昼間一人で片付けをしていたら歩けないほど足がむくみ・・再度受診。 やっぱり、入院となりました。新居の片づけが完了していないので入院を拒んだら「こんな体で何をしようと言うの?これで帰るの?」とあっさり先生に言われて、その場で病室へ・・・。 それに「ちゅ〜」が私の骨盤を上回る頭囲になってしまっていること、私の体力が自然分娩に耐えられないとの理由で予定出産(帝王切開)を勧められた。勧められるって言うより「他に方法はないでしょ!」って感じでした。 いつもなら先生は患者に幾つかの選択肢を用意してくれるのだが、この件に関しては「母体に危険がある」と医師として譲れない様子でした。 4日入院をして38週0日に手術日程を決め一旦帰宅することになりました。今度のお土産はかなりの貧血なので毎日「鉄剤の注射」のために通院することと、自宅で絶対安静と言うまたまた大きなお土産でした。 出産の前日に入院しなくてはならないのだが、妊娠中に夫の有給休暇はごっそり減り、出産後もお休みをもらうことになるのが予想されるので、入院は一人ですることにしました。夫から「絶対に自分で車を運転して行かないこと。タクシーで行ってくれ」と約束させられたので、ポカポカの春の日差しをあびながらとっても幸せな気分でタクシーに乗り込みました。降りる時はちゃんと領収書もらいましたよ。(この後医療費控除についてのお話もしますが、必ずもらっておいて下さいね) |
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