一粒の麦、地に落ちて死なずば、ただ一つにてありなん。もし死なば果を結ぶべし。 死ぬとは、次の二つうちのどちらかである。 死とは、もはや何ものでもなく、何ごとについても何の感覚ももたないか、 あるいは、言い伝えのように、たましいにとって、まさに一種の転出であり、 この世からあの世の場所への移住である。 もし、死がもはや何の感覚もなくなることであり、 夢さえ見ない眠りであるならば、死ぬとは何と驚くべき儲けものであることか! その全時間はただの一夜ほどにも長くない。 他方、もし、死がこの世からあの世への旅立ちであり、 死んだ者は誰でもみなそこへ行くというあの言い伝えが真実であるならば、 これより大きい善がどこにありえよう? 冥府にたどりつけば、この世の自称裁判官から解放され、 ほんとうの裁判官に出会うことができる。してみると、 この旅立ちは無益ではない。 あの世でオルペウスやサイオス、ヘシオドスやホメロス、 そのほかすでに不死となっている無数の人々と、問答し、交際し、吟味する。 これにまさる幸福があろうか? いずれにせよ、善人にとっては、生きているときも、死んでからも悪いことなど一つもない。 善人の身のうえを、神々がなおざりにすることはありえない。 私の身のうえにしても、偶然こうなったのではない。 むしろ、もう死んで、厄介ごとから解放される方が、 私にとってよかったのだ、ということが私にもはっきりわかる。 そろそろ行かねばならない時が来た。 私は死ぬために、諸君は生きるために・・・。 どちらが幸せになるか、神でないかぎり、誰にもわからない。 母の謎の発言:ネコマタのまたずれ。。。 大好き きんじさんからの提供:ゼロよりも少ない始まり恐れることはない |