3月1日(7日目)

S先生・・・今日は昨日より反応がいい。右手もよく動いている。
        脳血管連縮が起こっている時期。
        2週間たってみないと どれだけ後遺症がのこるかはわからない。
        今は命には別状ない。残った血が悪さをして 血管を細くしている。
        これがどれだけ残るか消えるかは まだわからない。


3月2日(8日目)

和が母につきそう。
母が「和か」と言ったらしい。昼3時ごろ 和から電話。
熱が39℃以上とのこと。座薬をいれるが なかなかさがらず。
9時ごろやっと37.6℃になる。父がくると笑った。


3月3日(9日目)

夜中も熱が下がらなかったらしい。朝は37.6℃
痛そうな顔で寝ている。「いけるわ」と一言いう。
私の顔を見ても あまり反応せず 苦しそうな顔だった。


3月4日(10日目)

S先生・・・今週がどん底 もう少し悪くなるだろう。
        2週間もちこたえたら 少しづつよくなるだろう。
        頭のど真ん中と左側に出血しているから 右側が動きにくい。
        意識もはっきりせず。
        水頭症は残るだろう。
        ずい液をおなかに流す手術が必要だろう。
        頭蓋骨を戻すときにその手術はできる。
母の言葉・・・おはよう 顔色悪いな  穏やかな顔しとんな おらんようになるな
母が手をにぎってくれる
「おばあさんが 死んでしまいなって言う」
「手も足もくくられて いけんわ」
 

3月5日(11日目)

S先生・・・髄液に細菌は入っていない。今が脳血管連縮の最盛期。
        膀胱炎や肺炎も起こりやすい。
熱が高いのか ハーハーいいながら息をしている。


3月6日(12日目)

S先生・・・今が一番横ばい状態。このまま14日までもてば 少しずつよくなるだろう。
        右手右足が動かなくなったら危ない。睡眠リズム不規則。
隣の方が亡くなる。
昼から苦しそうな表情が続く。
熱もある。私が夜7時ごろ行くと姉と私をみて 喜ぶ。
ずっと目をあけて姉と私の頭をなでてくれる。左手・右手をよく上げていた。
姉とふたりいて 母がはしゃいでいる感じ。うれしそうだった。
くくられている手のひもをはずしてあげたら 意思表示をする。


3月7日(13日目)

口をきれいにしていないと肺炎の原因にもなるらしい。痰をとるのが苦しそう。
鼻の粘膜もきずついて出血するらしい。朝はよく寝ている。CTをとる。
まず命は大丈夫だろう。この程度で収まってくれたら右のマヒも軽く
言葉がしゃべりにくい程度だろう。
3〜4ヶ月の入院だろう。私はびっくり。うれしい。やはり 生きてて欲しい。


3月8日(14日目)

痰をとるのがあまりに苦しそうで 見るのが辛い。
なんとか取る回数をへらしてもらえないか M先生にお願いするが
「痰はしっかりとらしてもらう」とむげな返事。他に言い方もありそうなもの。
同じことをS先生にきくと「タバコを吸っていた人は もともと慢性の気管支炎だから痰がでやすい。
よけいに つまらないように取ってあげたほうがいい、肺炎になりやすいから」と言われて納得する。
後1〜2週間で頭蓋骨をもどし パイプを通す手術をする予定 とのこと。


3月9日(15日目)

お母さんと呼ぶと「は〜い」と返事してくれる。うれしかった。
母はいびきをかいてよく寝る。
「今日は和の誕生日だよ」と言うと「ほうか」と久しぶりに返事をした。


3月10日(16日目)

寝てばかり。口を閉めてねることもある。
父が「死にたい 死にたい」と困ったもの。
桜間先生・・・頭の管を入れ替える手術が必要。局部麻酔で可能。
        管から感染しやすいので免疫を高める薬が必要。1.2万円ぐらいで 自費で。
        熱がさがってからパイプを埋め込む。
パイプに感染したら また抜かなくてはならないらしい。慎重にするようだ。


3月11日(17日目)

さちこ久しぶりに(2週間ぶりに)学校へ行く。卒業式の練習。
(注:さちこは養護学校の教師。母が倒れて以来 ずっと休んでいた。)
母は頭の管が抜けるかどうか 脳圧を下げて試しているらしい。
髄液が出にくい状態にしてあるとのこと。
うまくいきそうだったら 一旦抜くらしい。
管は2週間ぐらいが限界。
それ以上になると 異物が入っていると体が受け止め 感染しやすいとのこと。


3月12日(18日目)

限界ということもあり 頭のパイプをとる。
ベッドも頭のほうを少しあげてくれる。
朝はよくしゃべってくれたらしい。
姉が東京にもどった。
父がひとりで店を開けている。


3月13日(19日目)

病院にいくと初めて吸入をしていた。
吸入をすると痰がきりやすいらしい。
苦しそうに大きく息をしている。
「お母さん」と声をかけると 少し頷く。
目がうるんでいる。
唇に血がついていて痛そう。


3月14日(20日目)

S先生・・・頭の管は一時的に抜いてもいけそうで 
        新しい管を埋め込む手術はしなくてもいいだろう。
        頭ははれてきていない。
        頭を上げていくリハビリをしていきたいとのこと
        慢性的には 管を通す手術をしたほうがいいだろう。」
よく寝ている。あまり目は開けず。


3月15日(21日目)

13:00にくるとミルクを少し吐く。
熱39.3℃
胸を上下させる息をしていて 苦しそう。
血圧160
痰をとるのを嫌がる。
苦しくて余裕がなさそうな感じ。
どうして熱がでるのだろう。
明日は私の学校の卒業式で「明日を夢見て」を歌う。
入院費 4万  クリーニング代 7600円


3月16日(22日目)

37.7℃息が苦しそうで 目は全く開けず。
顔はくしゃくしゃで とにかく苦しそう。
こんな状態で手術受けれるのかと不安になるほどであった。
左手も全く動かさない。CTの結果脳に水がたまっていると言うことで管を通すことになる。
局部麻酔で1時間くらいの手術を受けた。

手術後の先生の話では やはり脳圧が高くなっていたとのこと。
熱がおさまったら 頭蓋骨をいれるらしい。


3月17日(23日目)

朝は目をあけていたらしい。
胸を上下にして 大きい息をして寝ている。
熱は12:00に38.2℃というから 熱が出ているのであろう。
新しい管をいれたので 2週間以内に手術ができるといいのだが。


3月18日(24日目)

朝起きたとき 久しぶりに眼をあけてくれる。
右手も自分で動かしていた。
右手を触ると にぎってくれた。
帰りによると 38.1℃ 氷をもらう。
S先生の話では昨日より反応がいいとのこと。
自分から眼をあけるし 「痛い」と話したらしい。
よく動いていた左手がほとんど動かず。
右手より動かない。


3月19日(25日目)

昼 37.3℃ 熱があったのか 氷をしていた。
右手を少し動かすだけ。首も右の方をみるように 傾けたままで動かさず。
胸を上下させて 苦しそうに息をしている。


3月20日(26日目)

昼 37.3℃ 氷をしてもらう。
眼をあけることは 少なく 眼をあけてもあまりみているようでもなく
反応なし。
手足はほとんど動かさず 足の指をふいてあげると ぴくっと足を動かす。(両足)
S先生・・・白血球があがっていないので 感染症によるものとは思われない。
        もしかしたら 抗生物質にアレルギー反応をして熱がでているのかもしれない。
        一度抗生物質を辞めてみてもいいかなと考えている。
        ただし 管を入れている間は抗生物質を入れておくほうが安全


3月21日(27日目)


点滴が足になっていた。
手に何ヶ所も針を入れて失敗したあとがあり 痛々しかった。
37.0度 清拭剤を買ってみた。
手(間接)がかたまらないように のばしてあげたい。
痛いところに手をもっていこうとする。
S先生・・・朝はわりと目をあけていたが 反応は悪い。今はどん底。
        本当は早くリハビリをしたいが 管がとおっているのでできない。
        少し無理をしてでも管を埋め込んで 頭や身体を動かすリハビリをしたほうがいいかも。
        でも脳の底に血がたまっているので 出血して詰まる可能性もある。
        出血が非常に多かったから。


3月22日(28日目)

子供達終業式
点滴が朝1本だけになる。
そのため 水分補給もありミルクが毎回600ccになる。
熱は37℃ 頭のはれは随分ひいた。


3月23日(29日目)

久しぶりに母の反応が昨日よりもいいと感じた。
眼を空けている時間も長かったし 自分で頭を左右に動かしていた。
右手を首のあたりまで持っていく。
指を動かして ひっかくようにしていた。
熱も36℃ 週に1回手足の指を洗ってくれているようだ。
S先生・・・髄液に血がまじらなくなったら 管をうめこめる。
        管は感染しない限り 一生大丈夫。毎日500ccぐらいできる髄液を 自分で吸収できない
        頭になっているので おなかまで管をとおしておなかで吸収できるようにする。


3月24日(30日目)

父が「がんばれよ」と声をかけると 「ええ」と返事したそうだ。
母は夕べは37.7℃が最高だったらしい。
朝は37.1℃ 昼は36.8℃ 
眼を開けている時に話しかけると 今にも返事しそうだった。
口のなかにイソジンをつけたガーゼをいれて ふいてあげようとすると
歯を食いしばるようにしたが 歯ブラシで歯をみがいていると 少しづつ口をあけて
上あごの裏まできれいにできてよかった。
わきの下をふきすぎて赤くなる。
わきの下は優しくふこう。
柔らかい歯ブラシを買ってきた。


3月25日(31日目)

朝「おはよう」と声をかけると 小さな声で「おはよう」としゃべってくれた。
超うれしかった。久しぶりに母と話した。
朝7時ごろミルクをはいたらしいが 本人はけろっとしていた。
眼もしっかり開けていた。
看護婦さんにも「おはよう」といったらしい。
good!
昼3時頃いくと 両手をくくられていた。ミルクの管を右手でひきぬいたとのこと。
右手がそこまであがるようになりうれしい。
引き抜いた管を右手で持ち「抜いてやったゾー」といわんばかりだったらしい。
やるな!!
右手も左手も首のあたりまで持っていく。
しばるのが可哀想。


3月26日(32日目)

朝36.8℃ 昨日の夜も37℃が最高だったらしい。
両目をしっかり開ける。
顔をさわると 嫌がり顔を左右に動かす。右手で左胸のあたりをかいたり
はってあるテープをはがす。
両手でおむつをしっかり持ったりする。歯磨きをしようとすると とても嫌そうな顔をする。
表情が豊か。右手も力を入れて拒否。
思わず笑ってしまう。
S先生・・・髄液も感染していないし 熱もおさまっているし 波はあるけど返事もしてくれているので
        今週か来週に手術をしたい。
        VPシャントと頭蓋骨をいれる。出血が多かったため 少し脳の底に血がたまっているから
        古い型の管を通したほうが詰まりにくいだろうとのこと。
        最近の管は 脳圧をそとから調節できるが かえって詰まりやすい。
手術 30日3時からに決まる。


3月27日(33日目)

朝きて手をほどいてあげると 即右手は左肩や鼻のチューブのあたりに持っていく。
左手も鼻のチューブあたりまであがる。
時々せきをするが 元気なころに近いせきになった。
右手の指が時々痙攣のようにぴくぴく動く。(短時間)
私が「おはよう」といっても頷くだけだったが 看護婦さんがいうと「おはよう」と小さい声で返事をする。
質問には返答できないが オウム返しの「おはよう」のようなあいさつは覚えているようだ。
S先生・・・管が抜けたら座ったりできるようになって 良くなってきますよ。
        手術は2時間くらい。
頭を左右によく動かすし 右手は口のところにもっていく。
肩も動かすし 両足をまげたりもする。


3月28日(34日目)

昨日以上に母は元気。
「あーしんど」「よいしょ」
「頭に包帯しとんよ」と声かけると 「うん」
「頭 もうすぐなおるけんな」→「なおるん?」
「よう子があさってくるよ」→「ほんま?」
私の顔見て笑ったり ベッドのてすりに手が届かず笑ったり
帰り際 両手を縛ると 「あら」といって手がとどかんようになったとばかり笑ったり
両手とも目のあたりに届いて 目をこする。
タイミングよく返事をしてくれたり
私を目で探したり 一緒にいてとても楽しかった。両手で腕をくんだり 両手をあわせたり
口のあたりや鼻 目をよくこする。
両足もよく伸ばしたり曲げたりする。
ゆかたもいままで 上からかぶせていただけだったけど
初めて普通に着た。


3月29日(35日目)

お母さんの言葉がふえる。
「よっこらしょ」「おはよう」
「おじいちゃんのゆかたでよ。」→「ほうか」
左手で眼をこすったり 頭の包帯をさわったりする。
右手は口のあたりまで 左手のほうが上までよくあがっている。
「よう子が東京から帰るよ」→「ほうか。高いのにな」
「おじいさんが家のことも手伝ってくれるよ」→「ほうか よかったな。せんでもええのにな」
オウム返しではない わかって返事をしている。


3月30日(36日目)

とにかくずっとくくってある紐をはずしてあげたので よく手を動かすし
身体の向きも変えたり 笑ったり。元気だった。
独り言のように自分からぶつぶつ話す。
よく聞き取れないが ずっとしゃべっていた。
口をあけたり 舌をだすようにして口で確かめようとする
手でバイバイのようにしたり 指先をマッサージしたり
おしめを上下にうごかしたり おしめに穴をあけたり
忙しそうに手を動かす。私やよう子のことはわかってない様子。
私やよう子が笑うと一緒に笑う。
3:00〜5:00手術
手術から戻ったときは「もういや」など 声をだし手足をばたつかせていた。


3月31日(37日目)

左眼の下がはれていて 眼があきにくそうだった。
熱 37.5℃ 手足はよく動く。



         




    
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