9月




9月29日
父の日曜日
今日は日曜日。普段は電話番に来てくれているおばさんも今日は休み。
父は一人で店を開けているのだろう。夜7時頃電話した。
  客が一人も来ない。もう商売しとうない。嫌で嫌で どないしたらええんだろう。
  夕方お母さんの所に行ってきた。「お父さんきてくれたん」と言うとった。
  「早う家に戻ってきてくれ」と頼んできた。エレベーターまで送ってくれた・・等々。
  「お父さん お母さんの前で泣かんかったん?」「泣いてない」
  「えらいなぁ」「泣きたかったわ」「そうだろうなぁ」・・・等々。
今日はいつになく父が電話を放さずずっとしゃべっていた。
たぶん今日は ほとんど人としゃべってないのだろう。人に飢えてる様子。
私の電話でも待っているんだ。
「もう寝なよ」というと「そうするわ」と言ってた。おやすみなさい。



9月28日
母に電話すると調子よさそう・・ホッ!
昨夜からメールもこないし心配になって昼過ぎ電話してみた。
妹も母も元気そう。母は普通に電話でやりとりしてくれた。
「東京はすごい雨だよ」→「こっちははれてるよ。曇天だよ。」
(曇天という難しい言葉が出てびっくり)
「お母さん また行くよ」→「ほうで 行・おいでよ」
行くを おうむ返しにいいそうになって 言い直したお母さんにびっくりした。
「おいでよ」と言い直せたのはすごい。
元気そうで安心しました。それにしても1ヶ月近く会ってない。
こんなに会ってないのは 初めて。どうぞ現状が維持されますように。



9月27日
 介護仲間も離れていますが、家族のようなものです。
HPを持って大きな収穫は介護仲間ができたことです。
私がよくお邪魔するTomyさんに
介護仲間も離れていますが、家族のようなものです。
と書いていただき 本当だなと思いました。
ネット上で交わすだけであっても 同じ境遇の仲間とのやりとりは格別のものがあります。
同じ境遇 それぞれの事情は違っても相手の事を思いやれるからでしょうか。
もっとがんばれなんて誰もいわない。
がんばっているのが わかっているから。






9月26日 
母の代わりに 私がお父さんの話しを聞くよ。
昨夜父に電話を切られて話ができなかったので 今朝電話を入れた。
「お父さん 寒くなったけど 元気?足はどうや?」
「痛いわ もう一人では耐えられん。 自分がもたん」
愚痴っていた。「私に何かして欲しい事あるか?」「ええわ。ない」
父にお母さんのことを頼んだ。「お父さん 一人でつらいんだろうけど
お母さんのところに行って 苦しいことを泣きながら言わないで欲しい。
もうお母さん 聞いても何もできないよ。わかるだろう。お父さんが泣いて帰ってから
お母さんは ずっとご飯食べないし薬ものまないようになってしもうたよ。
私も一緒に考えてあげるから 病気のお母さんを苦しめないで頼むよ」
どこまで父に伝わったかわからない。無駄かもしれない。
お父さんは逆上すると 手がつけれない。またお母さんのところにとんで行くであろう。
でもいい 私はただ気持ちを伝えよう。そう思ったら言えた。怖がらずに言えた。
今度帰ったら お父さんの話し相手をしてあげようと思った。
それも 普段離れて暮らしている私だから できる事なんだと思う。



9月25日
「母の苦悩」
母の病院に父がきて「米が売れん」と嘆きまくったようだ。
最近は父は母に優しい言葉ひとつかけられなくなっている。
自分の苦しみをただ投げつけるように 入院している母にあたる。
母はわけがわからなくなり 暗い表情になり 食事も拒否する。
昨夜から今朝までずっとそれが続いている様子。
妹からメール
   「心配です。もう父にこないで欲しい。
    朝父の様子を見に行くと 父は元気に仕事してたよ。いいかげんにして欲しい」
父に何かをしてもらおうとは 期待してない。そんなことする人ではない。
ただ母の足をひっぱらないで欲しい。
母のやすらかな暮らしをかき乱さないで欲しい。
お願いだから・・・そう言いたい。
でも 言っても父を変えることはできない。
父を止めることもできない。
ただ 見てるだけ。
二人の人生の最期に向かう今を見てるだけ。
それでも パンを二人で半分こして食べたのがうれしい。

  母が倒れて 自分の思い通りには進まないということを味わう。
  誰かを なんとかできるなんて とんでもないことなんだろうと頭ではわかる。
  自分を変える 自分が変わる ことだけが私ができる事なんだろう。
  でも なんとかできると錯覚して乱れる自分がいっぱいある。
  乱れて乱れて、
  子供それも長女より次女。くそ〜と思うくらい。

☆*。.:*:・'゜☆。.:*:・'゜★。.:*:・'゜☆。.:*:・'゜☆*

今日ある方のHPで見つけた。
  介護は奥の深い世界・・・
   無我夢中に進んでいくもよし。
  立ち止まるのもよし。
  でも自分の人生は出来れば楽しく過ごしたい。
  焦らずゆっくりと歩いていこう。
なんだか ほっとする文章。この方も長い介護を今も続けておいでとの事。
どう生きてもいい。そんなもん他人がきめるものじゃない。
自分の人生 なのだから…・。悔いないように しっかり味わっていきたい。
介護仲間のHPを覗かせてもらうことが日課になった。
どんなかたのHPでも元気をいただく。
一人じゃない。仲間がいる。
そんな気持ちが元気を生む。
私のこのつたないHPが妹を元気づけ
もしかしたら どなたかに元気をあげられるなら 私は幸せです! 



9月24日 
HPをさちと西川さんに印刷して送った。
さちには 見直して欲しかったし 西川さんには知っていただきたかった。
ふたりに心を込めて・・・

   <♪西川さんへ♪>
 こんにちは よう子です。
 東京は本当に涼しくなりました。
 長袖が普通になっています。

 妹がいつも母と西川さんの話をしてくれます。
 わたしは 聞いているだけです。
 ありがとうございます。
 言葉で伝えられない思いで いっぱいです。
 ありがとうございます。

 母を慕ってくださるのが伝わってきます。
 ありがとうございます。

 ホームページも少しづつ増やしてきました。
 とりあえず 先回の続きですが よかったらごらんください。
 字が小さくて 読みにくいのではないでしょうか?
 それが心配ですが お疲れにならないように 
 見ていただいたら嬉しいです。

 西川さん 本当にお体気をつけてくださいね。
 私も 元気でいられるよう 気をつけます。

           では また   よう子




9月21日  
また おいでね
えりが帰ってきた。1週間ぶりなんだけど 家族がそろう事がうれしい。
特別なことは 何もなく 一緒にご飯食べて 一緒にテレビ見て
おばあちゃんの写真も見せる。
何気ない日常の暮らし。また明日には帰り 一人暮らしに戻る娘。
母の手紙に「また おいでね」とあったな。
親離れしていく娘にいえるのは その言葉ぐらいなのかも。

さちから今日のお母さんの様子がメールで送られてきた。
朝起きるのをかたくなに拒否していたそうな。
それでも 精一杯生きようとしているよ。見事なお母さんだよ と。

私にも 母と同じように娘が二人 可愛いよ。



9月20日 
お母さんの写真と手紙
さちがお母さんの写真と手紙をおくってくれた。
感激して 思いがあふれてきて 日記を書くことができなかった。
母が書道をし 絵を描き 色をぬっている。粘土細工をしている。
病室で 病室の前の廊下で。
お母さんは本を読むのも好き 文学少女のような人でした。
でも父に仕え 商売に時間をささげ 自分の時間もほとんどなかった母。
やりたいこともあっただろうに 本当に可哀想でした。

その母がたぶん初めてゆっくりと書道し 絵を描き 粘土をしている。
妹がどこまでも 母を愛し母のありったけの力を引き出してあげようとしているのが
伝わってきて 胸が熱くなりました。
母は昔よりきれいな服をきていました。
母の手紙も入っていました。
    
    くつした ありがとう
     元気にいてください 
      またおいでね
         よう子へ     しまこ

  さちからの手紙
   あまり根をつめてHP作成に力を入れ過ぎないようにね。
   元気でいることが 私にもよう子さんにも一番大事だから。
   気をつけようね。また元気になったらいつでも来れるよ。
   母さんにも会えるよ。
   写真見てやって下さい。
   母さんおかしくて 元気だよ。
   笑わない日はないですよ。
   今日も朝トイレに一人で行ったらしく 
   「トイレがなかった。」と部屋に帰ってきたそうです。
   部屋に帰ってこれたら上等だよね。
   お散歩してきたのかな。
   ちゃんと自分の思ったことが 話せてます。
   今日もよう子さんの送ってくれた靴下をみて
   「あの子は自分の買わんと 人にばっか買う子やな。
   ほなけどこれぬくそうやなぁ。置いといて」と言ってました。
   よう子さん 心配せずに お大事に。 



9月19日 
父に電話
なかなか電話にでてこない。
「はい 河野米店です。」やっといつもの声が聞こえて安心する。
大嫌いなお父さんでも 電話になかなかでないとあれこれと 心配する。
「どうで?」「足が痛い」
「病院は行っとるで?」「行ってない」
「手伝いのおばさんが来てくれてる時間に行って来なよ」
「あのおばはん 頭がおかしいて 妙なことばかりするけん店を空けれん」
よく言うわと 笑えてくるが 「でも病院行っておいでよ」と勧める。
「今回帰るの止めるわ。風邪引いたから」と話す。
「わかった。また来てくれよ」
母が倒れてから 父の老化は激しい。
テレビもみない 新聞も止めた。
毎日考えるのは商売のことだけ。米が売れるかどうかだけ。
母の見舞いにも ほとんど来ない父。
母が死んでも次の日から店を開けて商売するような気がする。
最後のものにしがみつくように 店をやっている。

私があった男性のなかで お父さんは最低・最悪だと思う。
自分のことしか考えてない。

でも これからはちょくちょく電話してあげたい。
どれだけの慰めになるかわかりませんが。



9月18日 
西川さん こんにちは 
東京の容子です。
お手紙ありがとうございました。
妹が「早く聞かせてあげる」と西川さんのお手紙を電話口で読んでくれました。
うれしかったです。
本当にありがとうございました。

私は 主人に出会えたことが 最初の大ヒットだと思っています。
そして 西川さんに出会えたことは 特大ヒットです。
私にとったら 母も西川さんもお母さんです。
どうぞ どうぞ お体大事にしてくださいね。

東京はここのところぐっと涼しくなっています。
すっかり長袖を着ています。
私はこの温度の変化になじめなくて 疲れやすくなっていますが
でも大丈夫です。

毎日のように妹は母の様子を知らせてくれますが
西川さんの話も必ずでます。
私はそれを嬉しく聴いています。

この連休に帰る予定でしたが ちょっと延ばして10月にまいります。
どうぞ 西川さんも御無理なさらないように。
今は 母を思うと 重なるように西川さんを思います。

お元気でいてください。
母をよろしくお願いいたします。



9月17日 
帰省を止めます。
この連休で母のところに行こうとおもっていたけど 体もだるく
さちが「こっちは大丈夫だよ。なんとかやっているから」というのを聞き
帰省はやめることにした。
毎日会社にいくだけで とりたてて何もしてないのに疲れがとれない。
悪い右足首が痛んできて気になっている。
母が倒れてから ずっと動きつづけてきた。
自分の体力・気力にびっくりして もしかして私は体力あるみたい・・と錯覚したり。
なんといっても自分より弱っている人ばかりの中で 気も張っていたし
自分をこんなにも必要としてくれることが嬉しくもあった。
みんなが私を元気にしてくれていた。
だ・け・ど・・・そのままの私は悪い足から弱り 腰も肩も痛みが広がってくる。
やっぱり体力あるほうじゃないわ。

今回は帰るのはやめようと思っているのに
母や妹 父の顔が浮かぶと 可哀想になる。
私を待っているに違いない。
なんとなく 心の中でゴメン・ゴメンという気分。
申し訳ないという思いもでてくる。
私がスーパーマンだったらなぁ。



9月16日 
よう子ちゃん
お母さんから 電話がかかってきた。
「よう子ちゃん ありがとう」
敬老の日にプレゼントしたセーターのお礼だった。
その声が かつて聞いたことのないような可愛らしい声で 天使みたいだった。
お母さんの頭には 小さかった私が蘇っていたのかも。
天使のようなお母さん。可愛らしいお母さん。
今の状態が続きますように。
最近ずっと身体がしんどい。
風邪引いたのかな。
家から外に出たくない。
クッションを2つ作った。



9月12日 
さち倒れたらだめだよ!
妹から 夜中2時からねてないし もうふらふらという疲れたメールが届く。
即メールを返信したけど メールなんかじゃダメ!
すぐ電話。電話の向こうで涙ぐんでいる妹に 「とにかくすぐ寝なさい!」
「あなたが倒れたら みんな困るんだよ。どうして夜中に起きるの?」
私もつい がみがみ叱ってしまった。
「頼むから〜寝てくれ。あんたが倒れたらどうすんの!」という心境。
こんな時 傍にいたら有無をいわさず 私が母の世話にはいって
サチをしっかり休ませてやれるだろうに…。
とはいうものの 叱りつけてでも寝させたい。

会社の昼休みに敬老の日のプレゼントを買ってきた。
母に薄手のセーター 父に長袖のTシャツ  西川さんには靴下。

家政婦の西川さんは 仕事という枠をこえて母の世話をして下さっていて
感謝しかなくて せめてものお礼にと靴下を一足贈らせてもらった。

   西川さん こんにちは 
   いつも母に優しくしていただき
   本当にありがとうございます。
   妹から よく西川さんの話を聞きます。
   折り紙を持ってきてくれたり お豆さんを炊いてきてくれたり
   気持ちが伝わってきます。
   母を見守ってくださっている 様子が目に浮かぶようです。
   西川さんがいてくれることが 母だけではなく
   妹の大きな大きな支えになっている様子で
   感謝でいっぱいです。
   
   私は東京で自分の家庭があるために 
   じゅうぶんなことは 何一つしてあげることができません。
   たまに顔を見に帰るのが精一杯です。
   西川さんが 母に優しくしてくださることが
   私にとっても幸せです。
   ありがとう ございます。

   たぶん 母の病気は進行していくのだと
   覚悟はしておりますが
   自分の母が わけがわからなくなる寂しさを
   想像するだけで 涙がでてしまいます。
   私でもそうですから 妹はもっとそうなんだと思います。

   若くて 弱い私達です。
   いざとなったら どうしていったらいいのか 
   判断できないこともでてくるような気がします。
   西川さん どうぞ 教えてください。

   母に敬老の日のプレゼントをさがしながら
   西川さんにもお送りしたくなりました。
   つまらないものですが 受け取っていただけると嬉しいです。

   これから 秋 冬と季節が変わります。
   どうぞ お疲れがでませんように
   お元気でいてくださいませ。

   9月の21・22・23日の連休には戻る予定です。
   また お目にかかれることを楽しみにしております。

        母をよろしくお願いいたします。


            



9月11日
冊子の原稿
友人と出している冊子の原稿を書いた。
  <痴呆症の母を介護しています。 介護仲間を募集中です>

  下の娘の高校進学も決まり ほっとしていた頃
  田舎の母がくも膜下出血で倒れました。
  緊急手術をしたものの 出血量もひどく 脳もかなり腫れているということで 
  頭蓋骨をはずしたまま集中治療室に戻されました。 
  それから続く 介護の日々。
  幸いなことに 一命をとりとめた母は 痴呆症の進行はありますが
  入院生活を続けています。

  考えてみれば ずいぶん長いこと実家に帰っていません。
  親の暮らしのことも身体のことも なんにも知りませんでした。

  母の介護が始まって 妹からいろいろ聞きました。

     お産が大変で 2度とも帝王切開だったこと。
     生まれてきた子供の足の指が6本あって ショックでお乳が止まってしまったこと。
     お母さんが 二度とお産はするなよ・・といったこと。
     そして 正式に離婚したということ。

  私は何一つ知りませんでした。

  介護がはじまって 7ヶ月になります。
  介護をしながらの生活は いろいろと大変です。
  私達には 蓄えもありませんし 私自身も障害があります。

  それでも 悔いが残らぬよう 妹と二人で 母を看ていきたいと思っています。
  母も私と妹が二人傍にいると とても嬉しそうです。
  やっと母も安心できたのかもしれません。

  現在親の介護に関わっておいでの方 関心のある方 連絡いただけたら嬉しいです。
  一人より 二人 一緒に考えていける仲間を探しています。
  出し合うだけで 聞き合えるだけで 随分心が軽くなると思います。
  お待ちしております。

  私のホームページを作りました。 よかったらのぞいてみてくださいね。
 



9月8日 
ハーモニカ
今日はさちはお母さんにハーモニカをふいてあげたそうだ。
さちのハーモニカにあわせて 歌を歌うお母さん。 さちが幸せだというけど
本当にそうだろうなぁ。
さちの介護日記が届いてから 毎日ヒマをみつけては パソコンの入力をしてきて
頭の中も介護日記でいっぱいで まだまだいっぱいあるけど 
まずは一度UPしよう!



9月7日  
さち先生
さちが お母さんと習字をしたり 塗り絵をしたり スケッチしたり
病院の中で 思いっきり楽しんでいるようでうれしい。
お母さんのことを 誰よりも理解し
誰よりも思っている サチだから 次々とアイデアがわくのだろうな。
それに 障害児教育のベテラン教師。 さすがなもんですね。
サチは 病院で自宅介護しているようなもの。
夜は二人の子供と過ごし 昼間は病院で できるだけお母さんを見守る暮らし。
サチが一生懸命見つけ出した介護の形。
お母さんの入所を勧めてくれる人もたくさんいるし サチが教師の仕事に復帰するためには
そんな事も必要と思うけど 今しばらくは この幸せを味わってください。



9月5日  
妹の介護記録
妹から分厚い封筒が届く。胸が一杯になった。妹の書き続けてきた介護記録。
小さな字で ほとんど毎日書いてあった。
どんな時も 母にぴったりくっついて 母を守ろうしてきたサチ。
私は洋服を着替えるのも忘れて 記録を読んだ。
サチが出したいろんな手紙のコピーもある。
これをこそHPに載せよう。このサチの介護記録を載せよう。
胸が一杯になった。
そうだ HPのタイトルも変えよう。
サチと二人で作るのにふさわしいものに変えよう。
何がいいかな?  サチとふたりで楽しむことが 増えたな。



9月3日  
亜樹 老人介護もいいな
出勤前 亜樹とおしゃべりしていたら 将来の仕事の話になって
亜樹が「老人介護もいいなと思ってるんだ」と照れたように言い出したので びっくり。
今までは 動物病院の看護婦さんが第一希望の娘だったのに。
母が倒れてからは 頻繁に母のところに通ってたし 
亜樹とゆっくり買い物もしてない  お弁当も作れなくなっていたな。
母も妹も父も調子悪くて 予定通りに東京に戻れそうになくて 亜樹に相談したら
「そう、お母さんはお婆ちゃんのそばにいてあげたいんだね。それがしたいんだね。
お母さんが一番したいことをしたらいいよ。亜樹はいけるよ。」と言ってくれた。
その言葉に元気をもらって 介護ができてきたんだな。
なんだか うれしいよ。 亜樹 サンキュー



9月1日 
家政婦の西川さん
9月1日から 夕方母についてくれる家政婦さんを探すのに 妹は数人面接をした。
病院から近くの方とか 一週間通しで続けてこれる人とかもいたが
西川さんは遠くの方だし 1週間に一度は休みをくださいとおっしゃっているし
迷った末 何よりもお母さんに優しく接してくれそうな方として 西川さんにお願いすることになったそうだ。 
いかにも 妹らしい心ある決め方だと思った。
その西川さんに はじめてお目にかかった。
控えめな 笑顔が優しい方。
西川さんのお顔をみてると 涙が止まらなかった。
母のこれからを ともに看て下さる方・・・・どうぞ どうぞ どうぞ よろしくお願いいたします。
西川さんは お母さんの介護ノートを新しく自分でつくっていた。
西川さんは お母さんと遊ぶために折り紙を持ってきてくれた。
うれしかった。
お母さんの先の日々が どんなものかわからないけど
この西川さんに助けてもらいながら 一日でもたくさんの安らかなときをあげたい。
後を西川さんに頼んで 病院をでた。

妹に西川さんの感想をはなしたらとても喜んでいた。妹の介護が西川さんに助けられて
少しでも 楽なものになりますようにと願うばかり。
バスと新幹線で東京へ戻ったが 7時間かかり 体にこたえた。
やはり 今度から飛行機にしよう。





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