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会社で研修中の新人18名が 今日次の職場に配置になりました。
去年9月から ずっと勉強してきた人達でした。
私がこの会社で総務の職についた時 上司から
「なにか困った事が起こったら まずはあなたの顔が
浮かぶような人になってください」と言われ
どこまでやれたかは わからないけど いろんな事がありました。
私は皆が大好きで 会社に行きたくないと思った事がありません。
去年はお母さんの介護で 長い間休んでしまい
首になってもしかたない状態だったのに
皆の応援で 辞めずにすみました。
私のほうが いっぱい助けてもらいました。
本当にありがとうございました。
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今朝はベランダから(9階)富士山がきれいに見えた。
嬉しいなぁ!
私のことを思って話してくれてるんだろうにー
わかりやすく 何度も説明してくれてるんだろうにー
そのまま聞けず なんだか涙が出てきました。
自分の心がわからない・・・とても変な私でした。
でも 素直にその通りにやってみようと思いました。。
もっと軽く 相手の気持ちを受けていける人になりたいと思いました。
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さちから久しぶりにお母さんの写真が届く。
西川さんがプレゼントしてくださったベストをきて 可愛くなんともあどけないお母さん!
どうぞ こんな日々が一日でも長く続きますように!
今日久しぶりに会った友人に ”よう子さんの顔の感じが変わったよ!”と言われた。
なんだか一本芯が入った気がすると・・・
母の様子を伝えると 「お母さんを通して いっぱい味わってきたんだね」
とも言われた。
本当にそうかもしれない。
母や西川さん さちとの触れあいの中で 私は少しは強くなってきたかもしれない。
お父さんもいるしナ。
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人間ドッグでひっかかったので 近くの大学付属病院に検査に行ったら
そのまま入院 午後手術になった。
あらあら・ら・という感じで進んでいく。
とりあえず 家族にメールで事情を伝え 手術台にあがる。
手術の説明を受け「手術は簡単なものですが 途中出血がひどくなったら
中止させてもらいますから 承知してください」と言われた。
「私 弱虫なんで 痛くないようにしてください!」とだけお願いする。
「がんばります」と先生
軽い麻酔だったようだが よく効いて 夢心地の中で全て終わった。
自分の体なのに 予期しないことが起こり そのつどこんなふうに
誰かに 助けられていくんかなぁ。
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父が妹の家に電話攻撃「通帳を持って来い!」
と何度もパニックになって電話してきたようだ。
子供達と夕食をとっている時にー
どうしてあげたら 父の心が平安になるんだろう・・・もうそれは無理なんだろうか?
お父さん 何が要るの?
通帳の中のお金?私のを持っていく?いいよ それで気が済むなら。
心の中でお父さんと話をしてみる。
妹や子供達のストレスを思うと 胸がせつなくなる。
妹が最高の母と最低の父と言ってた。
とてもうまい表現で おかしくなった。
最近はお母さんの心配より お父さんの凶暴さを案じる事の方が多い。
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父が病院に「通帳どこに隠した?」とどなってきたそうだ。
「隠している通帳全部だせ!」と・・・
鬼夜叉のように 金・金・金!とわめく父は 本当に悲惨。
一体父は どうなっていくんだろう。
物欲にまみれ 最後の最後までいくのだろうか?
私は嫌。そんな人生絶対イヤ!父と母 あまりに違う二人。
私の体には両方の血が流れているなら
私はお母さんのように老いたい!
心の優しさも 豊かさも 友達の思いやりも なにも味わえないで
物を追いかける人生なんて とても耐えられないよ!
でも もうお父さんはここまできたら その路線で行けばいい。
変わる気もないだろうし 変える力も私にはないから。
不思議と この父もヘルパーさんには笑顔がでてるとか。救いです。
ありがとうという気持ちです。父の笑顔をひきだしてくれるなんて・・・
身内だからできないことがある。他人だから できることがある。
両方あって介護が続けられると思います。
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通信教育で介護や福祉の勉強をしたいと西川さんに話したら
「よう子さんはひまわりのような人。その明るさが人をいやすの。
やったらいいよ 応援してます。」と言われた。
嬉しかった。
どこまでやれるか わからないけど やれるところまでやってみよう。
休みたくなったら 休んだらいいんだし
何年かかってもいいんだし 新しい人との出会いもあるかもしれない。
これからの母の変化をしっかり見つめながら
母からいっぱい学ばせてもらおう。
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西川さんに電話した。まだ声がかれている
「今回私は生まれて初めて インフルエンザで病院に行きました。
今までの私なら そんなもん 病院なんて絶対に行かなかったけど
お母様のため お母様がいるから 私は病院に飛んでいきました。」と
私もそう・・・1ヶ月前の人間ドッグでひっかかり 要検査がいくつかでてきた。
2年前の私は 要検査で督促されても 絶対に受けず すっぽかし通した。
大丈夫よ!で終わり。病院嫌いだし・・・
でも今回は最後まで きちんと検査し 必要なら治療しようと思っている。
それは 自分のためだけではなく
私を必要とし私を思ってくれる人がいるから。
今はまだ元気でいたい。やりたいこと やらなあかんことがある。
それが少しは感じられるようになって 私は自分を大事にしたくなったのかも。
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さちが父の様子を見にいってくれた。
父は市から派遣されたヘルパーさんの傍で
ニコニコ上機嫌で昼ごはん食べていたようだ。
ヘルパーさんはかつての母の椅子に座り
父の食事の世話をしてくれていたとか・・
さちが「お母さんがインフルエンザにかかってるから 病院に来ないほうが良いよ。
今老人が インフルエンザでたくさん死んでるみたいよ」というと
「わかった。」と返事したとか!
きっと父はしばらく母のところに行かないだろう。
父は子供である私や妹には執着はなく 母に対してもないのだろう。
きっと愛情もないのだろう。
今 優しくしてくれるヘルパーさんを楽しみに暮らしを立てているのだろう。
それで いいよ!お父さん・・・いいからネ。
最後まで お父さんらしく あってくれたらいいからネ。
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母の熱が下がり ご飯も少し食べだしたようで ほっと一息つく。
妹が友人に「介護ももっと自分の事も考えて 上手くやったらいいのに。
バランスが悪いと思う」と言われたとか。
妹はしょげていた。その方の真意はわからないけど 黙ってみていてくれる
だけでいいのに 本当にそれだけでいいのに。
妹が母に就いてくれているから 私も安心している。
他の人にはどう映ろうと 母に優しくし続けたい それが私と妹のやりたい事。
でも良かった!
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お母さんがインフルエンザA型にかかった。
発熱 38℃ ぐったりし 何も食べようとしないようだ。
このまま 何も食べず 何も飲まず 点滴になったら・・と不安になる。
母が目を覚ました時 携帯で母と話ができた。
「お母ちゃん 大丈夫か?」
「よう子か? いけるけんな。心配せんでもええ。このぐらいいける」
鼻声だが ちゃんと話しができた。
近くなら駆けつけるのに 電話で様子をきくだけ。
よし 祈るぞ!
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西川さんが風邪で倒れた。
一人暮らしの西川さん 66歳とおっしゃってたし しんどいやろうなぁ。
早くよくなってください。
西川さんに手紙と本を贈る。
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NHK学園の社会福祉コースの願書をとりよせた。
母をとおして 学んできた事・・・ 味わってきたこと・・・
私の中に芽生えたもの・・・ 優しい心・・・
母が終わったら 終わりではない そんな生かしかたができないだろうか?
西川さんが母に示してくださっているような 優しさを
私も 私のできる形で少しでもあらわしていけたらな〜
根性無しだし どこまでできるか 自信なんてないんだけど
体力はもっとないんだ。
でも 今のところ4月から通信教育を始めようと思っています。
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3日の夜から 西川さん(母のヘルパーさん)の家に泊めてもらう。
いつも「よう子ちゃん よう子ちゃん」と可愛がってくださる西川さん
「よう子ちゃんは私に似てるわ」ともおっしゃる。
母は西川さんと出会い 西川さんの心ある介護をうけ 表情が変わってきた。
母は西川さんのことを 自分の娘と思っているよう。
西川さんの家には 母の写真が飾ってあった。
「夜寝る時 病室のお母様も安らかにねられますようにと何時もお願いしてるんですよ」
西川さんの手料理をいただき 用意していただいたパジャマに着替え
ビールまで飲んで 気持ち良い布団で朝までぐっすり寝た。
西川さんが 私のお母さんのような気がした。
「お母様の病状が進む前に いろんな事を残しておきましょう。
進みだしたら早いですよ。でも私は奇跡を信じます。私にとったら
最後のお世話する人だと思っています。できるだけの事をさせてもらいます」
と言って下さる。言葉ではなにも言えず ただ頭を下げるだけの私でした。
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父の正月 まるで自分の証明のように
店をやり続ける父。正月も2日から 店を開けていた。
私は朝父の家でお雑煮をつくり 父の昼の支度をしてから母の病室に戻る。
夕方 また父の家に行って父の夕食を準備。二人で食べる。
老いた父 小さい時からきつい父で 優しくされた記憶はない。
母をいじめている父しか知らない。父はどうしても嫌だった。
お母さんの方がずっとずっと父にひどい目にあってきてるのに
全部水に流している 忘れている。
「おとうちゃんに優しくしてあげて」という。
私はまだ覚えている 忘れてはいないけど
一度でも多く父とご飯を食べたいと思っている。
母が倒れてから 新聞も止め テレビも見なくなった父が
珍しくテレビをつけ「忠臣蔵」を見ていた。
ほっとして 私もいっしょに見た。
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新しい年が迎えられたことを感謝します。
朝お雑煮を作ってから 羽田に直行
羽田は着物姿のお嬢さんたちが 新年のご挨拶をしていた。まさに正月の華やぎ。
母が倒れてから 何度羽田に来たのか・・・今年もずっと羽田にきて
「お母さん行き」の飛行機に乗り続けたい。そのためなら仕事もがんばる!
徳島のお母さんは 温かかった。
「お母さん来年も さ来年も その次も ずっとお正月迎えようなぁ」
「よう子がそういうんなら しようがないなぁ」
母は以前より布団から出たがらない。
「よう子 ここにおいで!入ってきな・・・よう子も寝な」といって布団をめくってくれる。
思わず もぐりこんでお母さんに抱きついた。背中をなでてくれる。
私が生まれる時は難産で 母は大変だったらしい。
やっと生まれたものの その障害で「脳内出血」が起こり
優しくない父に 「お前のせいだ!」とかいわれながらも
精一杯の愛情を注ぎ 守ってくれた お母さん。
よく私の悪い右足をなでてくれた。
正月家に連れて帰るのは難しく 病室で過ごす。
夕食も終わり 寝る準備をしてると 横のベッドのお婆さんが母に
「今日も一日おわりましたな。良かったですな。
明日も早いでしょうな もう寝ましょうか」と声をかけてくれた。
94歳のお婆さん。正月も自分一人で過ごされている。
とても静かな夜だった。母とお婆さんの寝息を聞きながら病室を出た。
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