2月

2月28日
さちと西川さんがグループホームに行って 
主任さんと話をしてくれました。
とてもよくしゃべる方で 複雑な思いで
帰ってきたようでした。
それでも妹が自転車で毎日通える場所で
空きがあるのはここだけです。
まずは入ろうと思っています
でも病院になれた母がホームの生活にあわせていけるかどうかは
とても微妙な感じです。
隣のおばあさんも 同じ日に行く事になりました。
おばあさんの心の中は 解決されていないようですが
おばあさんにしても 他にはなく 慣れていくしかないようです。
2人でいけて まだホットしています。



2月27日
母は50年間店の電話番を続けてきました。
70歳すぎて 耳が遠くなり テレビもかなりの音量にしないと
聞こえなくなりながら 電話の音には敏感で 
倒れる直前まで 電話をとっていました。
母にとって 商売とは「電話をとること」でした。
そんな母を知っている私達だから ずっと電話を使って
母の頭を刺激してきました。
寝ている母の耳元に携帯電話を押し付けて
私の声をきいてもらう。
出勤中に 何度母に電話してきたか?
妹がいうには どんなに目を開けなくても
携帯からよう子の声がきこえてくると 目が開いたとか。
母と電話はそんな大きな意味があります。
ほとんど毎日のように電話で母とお話している私です。



2月26日
母と一緒に同じグループホームに移ることになっているお婆さんは
本当は「行きたくない!」と思っているようで
昨夜その嫌な不安な気持ちを 
始めて母にこぼしたとか。
「グループホームの人に騙されている」とか 
母にいっぱい言って・・
母は一生懸命お婆さんを慰めていたそうです。
多分 母はあまり事態がよくわかってはいず
でも 話し相手を勤めたのでしょう。
お婆さんは たった一人の息子さんにも本心が言えず
一人苦しんでいたのでしょう。

私は2日休んでいただけなのに 会社に行くのが面倒で
ヤダ!ヤダ!・・と言いながらやっと会社へ。
なのに みんなの顔が見えて 「城石さんだ!」とか言われると
嬉しくて 可愛くて 抱きしめたくなって 抱き合ったりして
あっという間の一日でした。



2月24日
会社を休ませてもらいました。
妹や母への電話 メールも全て止め
自分の体にあわせて ゆっくり過ごしました。
東京は とても寒く 雨から雪にかわりました。
雪の中 学校から戻ってきた娘と 少しおしゃべりをして 
体も昨日よりずっと 力がでてきて
今日一日ゆっくりできて 本当に良かったです。 



西川さんと母 最高の2人です! 
西川さん あなたに会えて良かった!
母をよろしくお願いします。
お母さん がんばってきて 良かったね。西川さんに会えたもの!            



2月23日 夜
熱は下がったものの 今日はほとんど寝ていました。
こんなに 体が苦しかったのは 久しぶりでした。
それでも 明日は仕事だし 早くなおさなきゃぁと 思っていて・・・

私はこの一年 母と妹の為には 休みをもらっても
自分のためには休みをとったことはありません。
東京に戻ったら 必ず次の日から仕事に行きました。
そうすることは 当たり前だと思っていました。
でも 今日母に
「よう子無理するな。お前はいつも がんばりすぎる!」
と言われ ふと自分の中の何かに触れました。

ぎりぎりまでがんばってしまうのは 昔からの私の癖
そのがんばりがあったから ここまでこれたのかもしれません
だから がんばる自分が嫌なわけじゃない。
でも これからは もっと自分に優しく動いていきたい。
疲れたら「疲れた!」って素直に口に出して
傍にいる人に 時には甘えたり
少しづつでも 練習していきたいと思いました。



2月23日
一年前の今日母がたおれました。
そして 父がそれを覚えていて 病院に来たのです。
「お母さん 今日で一年やなぁ・・・・よう がんばったなぁ・・・・」
って お母さんに言うために。
いつもは 病院にきても 怒るか愚痴を言うだけの 父なのに。
母が倒れる前も 倒れてからも とても冷たい父でした。
それでも 今日だけは 母のために 
母をねぎらいに来てくれた父でした。
来ても 5分もしたら 
「店にお客がきてるかもしれん。今朝は3人来たからな」
とよたよたしながら 帰っていったそうです。
店が心配なのでしょう。それも あまりに父らしい。
父は この前バイクで転倒し 手を怪我して
まだ直りきらないのか つらそうだったと妹がいいました。
母が倒れて一年目の今日 思いがけず
父の優しさに触れ すべて報われたような気がしました。



2月22日
母から電話がきました。
「よう子か?熱下がったで?」
「今日は37.2度 昨日は38.8度まであがったけど」
「ええ 9度近くもでたんで!」
母の頭が 冴えていることに驚きました。
妹がいうに お母さんの情緒はとても安定しているようです。
お母さんは 今が一番幸せかもしれない。

通信教育の願書の締め切りが25日なので
提出する準備をしていました。
課題作文を書いていると
娘が「ママ 今から何がやりたいの?」と聞いてきました。
「お婆ちゃんがたおれてから一番欲しかったのは 
ようく話を聞いてくれる人だったんよ。
同じ地域に住んで どうしようか一緒に考えてくれる人。
これからも 必要だと思うの。
今からやって どこまでできるかわからないけど
勉強してみようと思ったの。
お母さん自身も 生まれつきの障害があるしね 
人の痛みを 健康な人以上に 感じてあげれる気がするんよ」
真面目な話になると すぐちゃかしてしまう娘が 
「そうなんか。じゃ作文書かないとね!
お母さん 途中でやめても いいジャン!やったら。」
と言いました。



2月21日
朝起きたら寒気がして 熱をはかったら38.6℃ありました。
明日朝一の飛行機で徳島に行く事になっていたのに これでは無理です。
仕事も急に休めず とりあえず妹に事情を伝えました。
「そう じゃぁ無理だね」
「グループホームの人に渡す原稿を今日速達で送るから 届いたらサチが一人でいってきてくれる?」
「いいよ」
会社につくと 妹からメールがどんどん届きました。
私が土壇場で行けなくなった事を そのまま受け止め
じゃあどうしたらいいのか?
何ができるのか?一生懸命考え 一つづつ私に聞いてくる妹。
強い!この妹ならいける!
そう思いました。
私は昼休みに近くの病院にいくと
「インフルエンザじゃないですね。この脈なら39℃までは
なってないだろうから 漢方薬のんどきなさい大丈夫です」
と言われ 最後まで仕事して帰りました。
大変な一日でしたが 私が徳島に行けなくなった事で
妹と私の気持ちが 進んだように思いました。



2月20日
かねてから楽しみにしていた テレビ放送(ホスピス医 森津さん)が
今日ありました。
私は仕事だったので 先に見た妹に電話で様子を聞くと
「良かった。見始めてすぐ 西川さんに電話して 教えてあげたよ!」といい
まだ見てない私に 自分の感想もおりまぜながら
わかりやすく内容を話してくれました。
妹のよく整理された わかり易い話を聞きながら 
私はいろんな事を思いました。

妹は まさに教師! 
母がたおれてからは 学校は休職してはいましたが
母にふさわしい作業を考え 習字 花瓶づくり 縫い物と
母にプレゼントし続けてきました。
母は妹によって 残された能力を引き出され 
妹は母によって教師としての感性を磨いてきたような気がします。

母は3月にグループホームに移ることにより
次の時期を迎えるでしょう。
どう考えても 今ほどの環境ではなく
母の最高の笑顔が 消えていかないか私達は不安です。
でも 次の階段を昇る時がきたと思っています。

私は 妹が送ってくれたグループホームの人に渡す原稿を
大きな字で 見やすいものに作り直しました。
タイトルもつけました。
ー お願い★母 河野シマ子★ 娘よりー
娘として精一杯お願いしてきたいと思っています。



2月19日
土曜日に妹と2人で ホームの主任さんにお会いしたいと
思っています。
その時に主任さんに お願いする事を きちんと紙にかいて
お渡ししたいと思い 妹がその原稿を送ってきました。

1,寝付きが悪く、朝方ぐっすりねむるため、起きるのが遅いです。
  どの服を着たらよいかわかりませんので、
  朝起きたら着替えのお手伝いをお願いします。

2,朝食をとる時 誰か傍らにいて声かけをしながら
  ゆっくり食べさせてやってください。
  ご飯をレンジで温めていただけるとうれしいです。 

3,母は自分からはほとんど話しかけたりできませんが、 
  笑顔で話しかけられると とても喜びます。
  できるだけ何でもいいので声をかけてやってください。
  部屋にいることが多いときは、部屋に来て声をかけてくださると喜びます。
  母の笑顔を消したくありません。

4,タオルたたみやテーブルふきなど、
  声をかけてくださればできると思います。
  手先の器用な きれい好きの母です。

5,以前老健施設に移り、何もさせてもらえず、
  声もかけてもらえず、痴呆が一気に進みました。
  食べなくなり摂食燕下障害になったため、
  環境の変化をとても心配しています。
  環境になじみ友達ができるように 
  当分家族のものが、そばで見守りたいと思っています。

妹の母への思い・・・ 読みながら私はまた涙が止まりませんでした。



2月19日
東京で働く私の生活を 少しでも母に報告したくて。
母に私の会社の「会社案内」と「社内報」を送りました。
会社組織図の中の 私の名前に付箋をつけました。
社内報の私の名前が出ているところにも 付箋をつけました。
お母さんは「よう子だ!」と喜んでくれるでしょう。
私の上司の部長さんの写真もでています。
母がじっと見入る姿が目に浮かびます。



2月18日
西川さんから手紙が届きました。
母の移転を心配し 心細いと書いてありました。
気になって 妹に相談しました。。
「西川さんも 不安そうだし。一度帰ろうか? どう?」
「ネ・ネ? どう?」
何回も同じ事を聞き 
自分がどうしたいか わからなくなってる自分でした。
静かに考えて 私は 行きたいと思いました。
飛行機の予約もすぐにとれたので
この土日で 行ってきます。
時間はあまりないけど 
ゆっくり母との時間を過ごしたい。
父の様子もみてきます。



2月17日
先日 母にねこの可愛い絵葉書を
妹に新聞の切抜きを送ってあげたのですが
母は  甦れニッポン人 「ギター説法和尚」
     ーすさんだ時代 音楽にのせて 楽しく生きる知恵ー
の新聞の切抜きの方に関心を示し
記事をずっとみていたとか
ギターをかかえた 和尚の写真も気に入り
「見よるだけで おもしろいわ」と楽しんでくれたようです。
また切抜きを送ってあげたいと思いました。

このホームページをみて メールをいただく度に
その人とつながっている自分を感じます。
家族のようなものだと 誰かがいってましたが
本当にそんな気がします。
家族がふえました。



2月16日
朝妹に電話しました。
「気持ちは変わってない?」
「変わってないよ。やってみるよ。違っていたら その時考えるよ」
私も同じ気持ちでした。
妹と一緒に ころがりながら 考えていこうと思いました。
母と電話でおしゃべり
「よう子よ!お母さん お早う。元気?」
「元気 元気。あんたはいつもさわやかやな声やな〜。どして?」
「お母さん くよくよしてないけんよ」
「そうで。私もそうするわ。バイバイ!」
母はあっさり電話をきりました。。
そばで妹が笑っているようでした。



2月15日
グループホームの人2人が母を見にきました。
母は 妹の同僚の先生と間違えて 一生懸命話しかけ もてなしたようです。
「学校はどうですか?」「何年生をもたれているんですか?」
その時の母はとっても可愛かったと妹が笑いながら言いました。
その後 グループホームの方と
じっくり話をする時間を持ち
妹は決めたようです。
”お母さんのお家になるように 努力します。任せてください。”
その言葉に 賭けようと思った・・し・・・
その後 妹は堰をきったかのように いっぱいしゃべりました。
仕事に戻りたい
私は結婚生活もうまくいいかなかった。
でも仕事があったから 支えられた
何もとりえも無い私だけど 仕事には私を出せた。
教師の仕事に戻って 自分を活かしたい。
安心して 誰かにお母さんを任す事ができたら
仕事にもどるよ
妹は熱く話し続けました。本心 丸出しの妹でした。
「お姉さん 良い?」
何度も私に聞いてきて
私は「良いよ!」と答えました。
妹が聞くたびに答えました。
本当にいいと思いました。
妹に幸せになって欲しい。
そんな気持ちで一杯になりました。
どうかグループホームが温かい場所でありますように・・・ 



2月14日
昨夜遅く妹から電話。パニックになっていました。
妹の教え子で 介護施設に長く働いて内情に詳しいM子さんに相談したようで
「先生 甘い!グループホームに私も実習にいったけど
どこも人手不足。一人一人の要望にあわせる 余裕なんて
ないんだよ。あそこに入ったら 個人より集団の規則に合わせて
暮らしていくようになるんだよ。
今のお母さんにそれができる? 今からさせれる?
遅くまで寝ていて 自分のいい時間に起きて ゆっくり着替えして
ご飯を食べてる お母さんでしょ。 今から集団生活させられる?
それができないんだったら 高いお金出して 入所させる意味ないでしょ!」
と言われたとか。
M子さんは 昔の母も今の母も 両方知っています。
介護の内情にも詳しい人です。
私もこの話を聞き 考え込んでしまいました。
グループホームにいけば 家族のように世話してもらえると
単純に信じていた 確かに甘い私でした。
M子さんのいうとおり 実際は不可能でしょう。
なら 母の方に新しい集団になじむ力があるでしょうか?
妹から話を聞く限りでは とてもとても難しいと思いました。
それに それに がまんにがまんを重ねてきた母に
なんで 今更 がまんして規則に合わせて暮らそうよ・・などと言えるでしょうか。
やっと父からも解放され のびのびと自分のリズムで暮らしだした母に。
本当にどうしたらいいか わからなくなりました。

でも どんなに迷っても 時間は限られています。
今やれることを やっていくだけだと思いました。
そして妹と当面の予定を立てました。
 @<さち> → 明日のグループホームの面接はうけてみる。 
    いろいろ聞く 話をしてみる
 A<さち> → 病院を探す。 といっても可能性のあるのは2ヶ所。
    そこに行って見る。院長に相談してみる 
 B<よう子> → 来週金曜日に徳島に行く。
    土日と3日使って 可能性のあるところを見学に行く。
・徳島で西川さんと3人 しっかり相談する。
・正直に自分の気持ちを出しあい お母さんをどうしたいか一緒に考える。
これでやってみます。
そしてもうひとつ 私としては 徳島にいったらどこかで 
妹が母から離れられる時間をとってあげたいと思っています。



2月13日
妹は私に話して 少し心が軽くなったみたいです。
電話を握り 最後はいっしょに泣いていただけなのに・・・
これからも お姉さんぶらないで 
妹の話をよく聞いていきたいと思いました。

今度入る グループホームの方が 2日後に母を見にきます。
その時家族として 何をお願いするのか?
言い忘れがないように 私にも原稿を書いて欲しいと妹にいわれ
私は今考えています。



2月12日
朝 妹が「胃が痛くて あまり考えられないし 動きたくない。」
と言ってきました。それでも 母の世話をしていました。
夜心配でもう一度電話すると
「お姉さん 毎日毎日お母さんの世話と子供の世話
仕事もずっと休んでいて 旦那がいないから 頼る人もいない
それでも お母さんには私しかいないと思って
一日も休まず お母さんの世話してきたよ。
でも 疲れた。1ヶ月に一度でいい お母さんの顔をみないで暮らしたい」
途中から涙声になり やがて何もいわなくなりました。
妹は泣いていました。
私は「そうだな・・・そうだな・・・そうだな・・・」と返事するだけ
私も泣けてきました。
子供の頃のように 一緒にくらしていたら
「後は お姉ちゃんがするよ。あんた もう休み!」
と言ってあげれたけど 今はそれが言えない。
妹が可哀想で 自分が無力で 泣けてきました。
でも でも 私は妹にはなれないし
私は私の事をやるだけ 入れ替わることはできない。
だけど いつだって一緒に幸せになっていこうと 強く強く願っている私です。
さち がんばろうよ!
さち 私でよければ いっぱい泣いて いっぱい気持ちをぶつけてください。 
なんでも聞くよ。一緒に考えるよ。 



2月11日
私は風邪で出席できませんでしたが
今日は義父の13回忌でした。
父の墓は上野の寛永寺にあります。
代々続いた値打ちのある墓だそうです。
今回義母が「もう このお墓は売って 便利なアパートのお墓にうつしてくれたらいいよ」
と言ったそうです。
義母は今年81歳になります。
先を思い 子供達の事を思い 一つずつ遺言しているようです。
義母の願いどおりに してあげたいなと思いました。
私の思いだけではできませんが・・・
今夜はいかと大根の煮物をつくりました。
懐かしい母の味がしました。



2月10日
グループホームから3月6日頃入ってくださいと連絡があったそうです。
きたか!という気持ち。
去年から さちが必死で探した新しいお母さんのお家です。
西川さんと 私もここならと賛成したお家です。
お母さんが 幸せでいられるよう 精一杯さがしました。
お母さん 行ってくれますか?
もちろん 私もお休みもらってお母さんの引越し手伝いますね。
去年 施設に移ったときのような 心細い思いは二度とさせませんから。
新しいお家には お母さんのような病気のひとが何人もいます。
みんな仲良しで暮らしています。
その中に すっぽり入れてもらいましょう。
お母さんなら 大丈夫です きっと。



2月9日
二日間ゆっくり休んだ体は 徐々に元気になりました。
誰にも気兼ねせず 休める暮らしが有難いです。
母は病気になり 寝込んだら
鬼のような父に布団の上から蹴飛ばされ 「働け!」と怒鳴られ
寝る事も許されず 這いながら起きてきてました。
どうしても 私はその悲しい光景を忘れる事ができなかった!
辛くて 可哀想で忘れる事ができなかった!
忘れるもんか・・とも思ってきました。
でも もういいんだよね。お母さん 忘れたらいいんだよね。
覚えていたって 誰も幸せにならないもん。
今 とてもチャーミングなお母さん。
慾がなくて 優しくて 腰がひくくて 字が好きで
はばらず そっとその場に収まっているお母さん。
今だけでいいんだよね!
昔の苦労を あえて付け加えなくても お母さんは最高にチャーミングで知的です。



2月8日
会社でも かなり風邪がはやっていますが
私も どうもいつもの元気がありません。
そのうち のども痛くなり 体が熱っぽくなり 頭がぼんやりしてきました。
ゆっくり寝て 早く元気になろう!

ここまで書いて妹に電話したら
「お姉さん 声が変。風邪?」
「病院行った?なんで行かないの?インフルエンザだったら どうするの〜〜」
「すぐ行きな!!」
機関銃のごとくの勢いにびっくりして とにかく病院にいきました。
インフルエンザではなく ただの風邪でした。
行ってみて安心しました。
本気で声かけてくれる妹に あ・り・が・と・う!でした。



2月7日
黒のオーバーにグルグル巻きのマフラーで
朝元気よく バーンと会社に飛び込んでいったら
若い子ふたりに「城石さん かわい〜い!」と言われ
「え〜っ!貴方達のお母さんの年だよ!」って言うと
「全然見えない!かわい〜い!」
ただそれだけの事なんですが
今日は朝からニコニコでした。



2月6日
西川さんが病院のケアーさんと喧嘩したと聞き
何事かと思って 電話してみました。
「そうなの。よう子ちゃん・・・ひどいの!
お母様の前で 部屋がおしっことパン焼く匂いで臭いから 
入り口少し開けとくって言うの!毎日こんなに寒いのによ!
お母様に風邪ひかせるつもりかしら よくそんな事言うわ!!」

西川さんは やっぱり怒っていました。そうとう怒っていました。
母を思う心で 怒っていました。
「私の子供は皆大きく なんの心配もないんです。
ただお母様のことだけです。奇跡をよびたいんです」
とおっしゃっいました。 
西川さんに看てもらって 本当に母は幸せだと思いました。



2月5日
今日は 自転車盗難届けを出してきました。
半月位になるのかな?自転車が無くなって・・・
ちゃんと駐輪場においてたし 鍵もかけてたのにー
2ヶ月前にも同じ事がありました。
今回多少ショックだったけど もう自転車なしでやろうと思いました。
「今日はあるかな?」って不安になったり・・・ 「誰が盗ったの?何で?」
って人を責めたり・・・するくらいなら 私は無いのがいい。
今は歩けるし・・ゆっくり歩けるし
だけど昨日先生に「盗難届けだけは出したらいいですよ。」と言われ
「警察に行こう!」と思いました。
行く前に「何時までやってますか?」と電話で聞いたら
「24時間やってます。」といわれ 思わず「ご苦労様です。」と返事して。
警察では「本当に悪い奴だ!絶対みつけます!」と言われ「はい まぁ・・・」
「奥さん 気をつけて帰ってくださいよ!」と言いながら ずっと見送ってくれました。
私は来てよかった。ほんわかHAPPYな気持ちで帰りました。
「いいおまわりさんだった!」って家で話すと みんな大笑いでした。



2月4日
妹の二人の子供を この春休みに東京に呼んで
楽しい時間を過ごさせてあげたいと思っています。
二人とも男の子なんですが 本当に可愛い!
この子らがいるから 妹はがんばれるんだと思います。
私は男の子(人)って 未知でよくわからないのですが
一緒に遊びたい。一緒においしいものを食べたい。
楽しみにしています。



2月3日
通信教育の願書受付が2月1日からで
私は 母校から卒業証明書を取寄せて 準備をしていました。
でも老いていく母と父を見ていて 気持ちが揺れてきました。
私はとても不器用です。
何をしても 一生懸命で ほどほどというのが うまくできない人です。
だったら やっぱり今は止めとこう・・・と思いました。
新しい事を始めるより いつでもすぐに父母のところに駆けつけてあげられる
身軽な私でいたいと思いました。

考えたら一年前の2月に 母はたおれました。
こうして母が今 生きてくれていることが 奇跡です。 
冬が終わり 春が来たら 
去年は目に入らなかった桜の花を みんなで見たい!
ね お母さん もうすぐだよ!がんばろうよ!



2月2日
昨夜 先生に治療をしていただいた時
先生がお疲れになっているようで 気になりました。
先生は お忙しいスケジュールの中 私の通いやすい 遅い時間に看てくださっています。
なのに 私はわがままで 
自分の事しか考えず
余計な心配をかけていたような気がしました。ごめんなさい・・

今日は日曜日 風も強くて 寒い日でしたが
先生はゆっくりお休みになれましたか?
お疲れは少しは癒えたのでしょうか?
我が家は長女が来て にぎやかな一日を過ごしました。
久しぶりに ちらし寿司もつくりました。
また新しい一週間が始まります。



2月1日
病院に細胞の検査結果を聞きに行きました。
特に問題ないとの事で やっと安心できました。
私の体調を案じ メールくださった皆様 本当にありがとうございました。
励ましていただき 嬉しかったです。
もう大丈夫です ご安心ください!

病院の帰りデパートに寄りました。 
バレンタインのチョコレートが たくさん並んでいて
私は贈りたいひと 一人一人を思い浮かべながらチョコを選びました。
ゆっくりと時間をかけて選びました。
去年よりたくさんになりました。 
「何と言って渡そうかな? 」
と考えて 楽しい時間となりました。






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