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このHPがきっかけで メールを交わすようになったN子さんから
メールが届いてました。
読んで 一気にお返事を書きました。
そうせずには いられませんでした。
目の前のN子さんに 話しているような気もちでした。
気がつくと 長いメールになってしまいました。
N子さん 「家族のような私達」
私はこの言葉が好きです。
一年前 母が倒れ途方にくれてたとき
ネットで立ち寄った あるHPでもらった言葉でネ
その時の私には 涙が出るほどありがたくて・・・・
この言葉に励まされて がんばってこれたのかもしれません。
だから 今度は私から あなたにプレゼントしたいです。
私でよければ どうぞなんでも愚痴ってください。
私も愚痴ります。聞いてくださいね。
出せるだけ出して 自分の中を空っぽにしましょうよ。
空っぽになったら 新しい空気が入ってくる気がしませんか?
桜がだいぶほころびましたね。
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「ホーム・スイートホーム2」の試写会に行ってきました。
<あらすじ>父親が痴呆症になり 徘徊が始まる。
エリート・サラリーマンが 会社を辞めて
家族と別れて 単身で介護にあたる。
介護を通して忘れかけていた 親子の絆を取り戻す
家族再生の物語
痴呆症・介護に関することでの
集まりに出たのは 今回が初めてでしたが
予想に反して 会場一杯の人で熱気があふれていました。
いろんな関心から 集まっているのでしょうが
まずは大勢の人と映画を見れて嬉しかったです。
映画は集中してみました。
主人公に自分が重なったり 痴呆の父親に母が重なったり
自分を放して眺めている気分でした。
来て良かったです。
いろんな事が 今も残っています。
自分でも考えるし みんなが集まる場所にも行って
他人の意見を聞く機会も作っていきたいと思いました。
私は「東京」で暮らしています。
母から遠く 交通費も高い「東京」
でも「東京」にいるんですから その事を活かしたいと思いました。
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母のお部屋です。
8畳くらい 南向きの明るい部屋です。
セミダブルのベッドだけ 備えられていましたので
家で使っていた馴染みのあるファーと
可愛いテーブル 小さな整理タンスを持ってきました。
この部屋がお母さんにとっての 安らぎの場となるように
妹や西川さんが 心を尽くして整えてくれています。
写真やぬいぐるみが あちこちにあります。
えりが買ってきたぬいぐるみも 並んでいます。
金魚も元気に泳いでいます。
生き物が好きだったお母さんが
エサをやれるようにと 西川さんが買ってきてくれました。
たとえお母さんの記憶が徐々に薄れていこうとも
私たちが傍にいることを お母さんに伝えたい。
母が部屋で一人過ごす時間が
心寂しいものでないようにとの 私たちの思いです。
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会社のA部長が今日で退職されました。
温厚で腰がひくく だれからも慕われていて
職場のお父さんのような 存在の部長でした。
今日2人でいた時 自分のお気持ちを聞かせてくれました。
「もう懲りたんだ!組織の中でいるのがさ。
定年まであと4年だけど 早めにやめて
長年自分がやりたかった仕事を していきたくなって。
採算がとれるかどうか 見通しはたってないんだけど
元気だったら 食うぐらいなんとかなるだろうよ。
こんな話しないほうがいいのかもしれないけど
城石さんも がんばって!
あきらめないで やろうな。」
母の介護をしていることも 理解してくださっていた部長でした。
桜の季節に ゴールインスタート !
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母はデイサービスの人達に混じって
お誕生会に参加していて
サチが行くと ニコニコと手を振り
みんなの中にすっかり溶け込んでいたとか。
「不満なら出て行ってください!」と言われて
まだ10日しか経っていません。
一体何が起こったのでしょうか?
傍に居つづけていた西川さんですら
夢をみているみたいと言います。
妹は 東京に来ていて母と離れてたから
なおさらみたいで 元気な母をみて ポカ〜ンとしている様子です。
最初っから母はやる気があった。
覚悟ができていた・・・と思います。
だから 初日から食堂に行ってご飯も食べたし
入れ歯も入れた。
私達がホームの悪口を言っても
「そんなこと 言うたらあかん。ここで居られんようになる」
とたしなめたのでしょう。
母は半端な気持ちじゃなかった。
アルツハイマーと脳血管性の両方を患い
要介護4の痴呆の母
脳は少しづつ縮んでいるだろうに
母はどこでこんな事を考えているのでしょうか?
やはり “心”でしょうか?
他の入居者の方は 家にかえりたいと言うようですが
母はひとことも言わない 考えても無い という様子
本当にまっすぐな母です。
西川さんが昨日も言われました。
「私はお母さんが大好きです。
会えると思うと 嬉しくて飛んでいきます。
でもこれからは少しづつ お母さんとの時間をへらしていきます。
お母さんが ホームになれるのを邪魔しないように。
私は後ろからそっと見ていますよ。」
そこまで言ってくれる 西川さん
西川さんの思いを受けて にこにこしている母
私にとって この二人は光です。
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妹から電話がありました。
「お母さん 別人みたいに元気よ。朝も早くから起きて
ご飯食べてるみたい。入れ歯なんて自分でサッといれるって。
他の人の世話やいてるようだよ・・・
車椅子の人をトイレにつれて行ってあげるって
なんか別人みたい・・・すっかり元気!」
夜 西川さんに電話しました。
「よう子ちゃん お母さん 元気ですよ。
晩御飯なんて 一番早く食べ終わって
今夜は“おかわりどうですか?”って言われたよ。
あの9人の中で一番しっかりしてるから
みんなの世話ができて いいみたい。
お母さんをずっと見ていた私ですら
この変化に驚いています。
わずか2週間で ここまで慣れていくとは 粘り勝ちです。
今はこの状態が少しでも長く続くことを 祈るだけです」と。
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さち達が帰るまで 代わりにいた恵里の
元気そうな写真が送られてきました。
可愛い笑顔!
母とさちと西川さんと・・・どの写真も笑顔一杯。
最初 母や父の手放しの喜びように とまどい
どうしたらいいか わからなくて 困っていた恵里
「そばにいてあげるだけで いいんじゃない」と軽く言った私に
「それが 一番こまるんだよ!」とピシッと言い返してきて
余程 こまっていたんでしょうね。
そんな恵里が 底抜けの笑顔で母と写っています。
何か見つけたのでしょうか?
いや 何かが消えていったのかも・・・恵里の心の中から。
恵里は今日 予定通り 母のもとから念願の一人旅に出発しました。
母・さち・父・西川さん・子供達に送られて
行ってらっしゃい!
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今日はあたたかな一日でした。
午後 会社にj娘(亜樹)から電話が入りました。
「ママ 洗濯物がきもちよさそうなんだけど 外にだしたままじゃダメ?」
娘はバイトにいく前のようでした。
風に揺れている洗濯物があまりに 気持ちよさそうで
そのままにしておきたくなったのでしょう。
娘のその感性が 可愛くて新鮮で
思わず「いいよ!」といいそうになりましたが
娘も私も家にかえるのが夜。
「だよね・・・じゃあ 中に入れとく。亜樹 これからバイトに行ってくるね!」
「いってらっしゃい!」
娘といっしょに育っていってるような ゆっくりペースの私・・・
でもこれからも ずっと親子です。
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妹と子供達が帰りました。
あっという間の滞在でした。
徳島では 恵里がみんなの帰りを待っていることでしょう。
妹が会いたいといった 鍼の先生 靴屋のtakaroさん 美容室の先生
みんなに 会わせてあげることができました。
田舎者の私が この東京で 無理しないで暮らしていけてるのは
この方達の支えがあるから・・・優しくて大きな人たちばかりです。
私の宝物
会ってもらえて嬉しかった!
妹達は あっという間に帰ってしまいましたが
私達の間に もう一つの道ができたよう・・・・
いつでも来てくださいね!
本当に楽しい時間でした。
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今日はよいお天気!
子供達は 野球観戦にいきましたし
さちは 私がいつもお世話になっている美容室に
連れて行ってあげました。
先生は妹を待っていてくれて
傷んだ髪をしっかりトリートメントし きれいにカットしてくれました。
10歳くらい若返ったみたいで 大喜びの妹でした。
6人での夕食は 丸テーブルがいっぱいで
私はひたすら 肉を焼き 野菜をいため
大量のステーキ(?)も あっというまに なくなってしまいました。
特別なことなど なにもない 平凡な一日でしたが
さちも子供達も 自分の家にいるように くつろいでいて 良かったです。
私は昼間 父に電話してみました。
父は 愚痴ばっかりでした。体調も悪いのでしょう。
楽しい事は何もないようでした。
励ますのが大変で でも父の愚痴はただ聞いているのが
とても寂しかったです。
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さちと子供達が 東京に来ました。
夕方5時に徳島を出て 我が家に着いたのは11時半。
さちは昨日から体調がすぐれないとの事でしたが
2人の子供達は 元気でした。
日曜日までの わずかな時間ですが
子供達においしいものを いっぱい食べさせてあげたい。
いっぱい遊びたい。
さちは ゆっくり休んだらいいよ!
介護1年目にして はじめてとれた 休息なんだし・・・
この私の家が さち達のくつろぎの場になったらいいなぁ!
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明日の夜 妹と子供達が 遊びに来ます。
母が倒れてこの一年 妹と子供達は
休みなしで母を看続けてくれて
私は ありがとう!しかありません。
わずかな時間ですが 母のことは恵里にまかせて
ゆっくり楽しんでいってくれたらと 願っています。
明日の為に 子供達にシチューと
妹の好きなお好み焼きも準備しました。
明日からの3日間が楽しみです。
お米や肉もしっかり買ってきたし 準備万端!
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ずっと待っていた恵里に やっと会えた母は
「今まで生きててよかった。恵里がこんなに大きくなって
帰ってきてくれるとは思わなんだ」と涙していたそうです。
そばで西川さんも泣いていたとか・・・
恵里の体や顔をさわり 「よう、太っとるなあ。顔の色がよう子といっしょ」
だと・・・こんなに嬉しそうなお母さんを始めて見たと 妹がいってました。

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主任さんとあれだけぶつかり 神経性胃炎になった妹も
ここでやってみる・・・と思ったようです。
朝 妹は食堂の片隅の小さなピアニカを見つけ
お母さんの好きな「児島高徳」の曲を弾いたら
お母さんが 大きな声で歌いだし
傍で 寝転んでいたおばあさんが むくっと起きてきて
ケアーさんも 「河野さん歌上手なんですね!」と
会話がゆっくり広がって みんなで楽しい時間がもてたとか。
病院でもそうでした。
お母さんの新たな可能性を ひきだし続けてきたのは
妹の母への愛情と 先生としての魂で
きっと必ず ここでもまた力を発揮するでしょう。
純粋で一生懸命な妹が みんなと打ち解けないはずはない。
妹がホームに溶け込み 楽しい時間がふえることこそが
母が溶け込む早道なのかも・・・
妹の話をききながら そんなことを思いました。
責める心からは 争いしか生まれず
どんな時も 仲良しの心を忘れないでいたい。
長女の恵里が 今夜から一週間母のところに行きました。
専門学校の合格が決まった時
「おばあちゃんとこに 行ってくる。一週間ぐらい」と軽く言ったえり。
自分でためたお金をはたいて 長距離バスにのりました。
明日 朝早く徳島に着くでしょう。
恵里 あなたの名前は おばあちゃんが つけてくれたんだよ。
恵里は おばあちゃんの初めての孫で 宝物だったんだよ。
おばあちゃん 恵里のこと待ってくれてるよ。
恵里 ありがとう。いってらっしゃい!
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妹が 今朝主任さんに
「私達のやり方が 気に入らないなら
どうぞ 出て行ってください。これ以上のことはできません」
とはっきり言われたと電話がきました。
一体どういうことなの?
妹も私も完全にパニックでした。
そんな私達に 西川さんは
「今お母さんを他に移すのは ダメです。
絶対にダメです。お母さんは 慣れていこうと一生懸命
がんばっています。 けなげなくらい がんばっています。
緊張して 疲れながら それでも皆の所にご飯を食べに行ってるでしょう。
今動かしたら お母さんの心が壊れてしまう。
壊れたら もう元には戻らない。
ここでがんばりましょう。
私達がここの人達を指導していくぐらいの気構えで
粘り強く がんばりましょう。
お母さんが がんばっているじゃないですか!
お母さんを後ろから そっと支えてあげましょう」
西川さんは 何度も何度も言いました。
お母さんに負けたらダメでしょう・・と。
一年ぶりに 入れ歯を入れた母です。
元気な時も 入れ歯が嫌いで 大事な時しか入れなかった母が
入れ歯をいれて 食堂に行きます。
今の母の 最高の身支度です。
母は皆の中で やってみようとしています。
入れ歯をいれた母を よろしくお願いします。お願いします。
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母は歩ける。自分でトイレにいける。
食堂にもいける。
だから 放っておいてもいいなんて 思わないでください。
痴呆症になりながらも 周囲に気を使う心は失っていない
デリケートな母なんです。
母を見かけたら 1分でいい 「河野さん」て声かけてやって欲しい。
母に触れて スキンシップで安心させてやって欲しい。
母の目をみたらわかるでしょう!
おどおどして 緊張して 神経はりつめて
人間なんです。痴呆症になりながらも 懸命に生きている母なんです。
ここで嫌われないように 気を張っている母なんです。
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朝妹に電話したら 異様な空気
「どうしたの?何かあったの?」
こんな妹は 本当に久しぶり・・どうしたの?
お母さんが元気がないようでした。
西川さんに電話しました。
西川さんも 昨日の夜 母に会って泣けたと言いました。
どうしたんだろう・・・
私に家族が 子供がいなければ
飛んでいくのに 今すぐ・・・
でも できないよ! 私にも家族がいるから・・・
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私が東京に帰る直前にまた父が来ました。
「よう子 ありがとう。お前にやろうと思って・・・」と
そごうの商品券をくれました。
「ありがとう」と言ってもらうのも
プレゼントをもらうのも すべて初めてで
すぐには 何もいえませんでした。
「ありがとうお父さん! また顔見に帰るから 元気でいてよ」というと
「そうしてくれよ。絶対親より先に逝くなよ。わかったか!」と何度もいいました。
父の横で母は「よう子 気をつけて帰れよ。 お母ちゃんは大丈夫やから」
「よう子 今から帰ったら 何時家に着くんで?」
「よう子 無理するなよ!」
「よう子 がんばらんでもええからな・・・」
よう子・・・よう子・・と母もずっと しゃべり続けていました。
私はうなずくだけでした。
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父がやってきました。
母の部屋をみて 安心したのか 穏やかな顔で
「母さんも苦労するなぁ〜」と言いました。
時折笑顔さえ浮かべる父の顔が まぶしくて
ぜひと写真に残そうと
私は二人を前に昔話をいっぱいして
デジカメを写し続けました。
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グループホームに引越ししました。
南向きのとても明るい個室(8畳くらいの洋室)が お母さんの部屋です。
男性2人 女性7人の 9人家族。
今日から ここが母の家になります。
母が 少しづつでも みんなに慣れていけますように。
集団生活など 全然したことがない母が
ここに着いた最初の夕食から
食堂でみんなと一緒に食べたのはびっくりしました。
母の覚悟のようなものを感じました。
「お母さん すごい!」思わず言うと
「暮らしていくんやから あわせていかな。イヤでもな・・・」と言いました。
病院では考えられないくらい
好き嫌いを言いません。
そんな事 考える余裕ない・・・という感じみたいです。
一口一口 とにかく食べようと思っているようです。
がんばれ がんばれ お母さん!
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ケアーさんに支えられてここまで来た母です。
<長尾さんと>
<麻植さんと>
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転院する前日 看護婦さん・ケアーさん・先生が
次々と母に会いに来てくれました。
母は一人一人に 「お世話になりました。どうぞお元気で」と
ご挨拶し 肩をだきあい別れを惜しんでいました。
手作りのプレゼントもたくさんいただきました。
そんな母を見ていると
母こそ この病院の”ひまわり”だったんじゃないかと思いました。
どんな人にも優しくて 穏やかで 感謝の気持ちを忘れないで
みんなに愛されて幸せそうな 母でした。。
この看護婦さんは もうすぐ結婚すると 母に報告していきました。
母は「幸せになるんだよ!あんたなら できるよ」
と何度も励まし
看護婦さんは 「はい わかりました!」と答えていました。
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鍼の先生は 体のあちこちを押して
「痛いですか?ここはどうですか?」と聞いてくれます。
「痛いです!」と答えると
「そうですか。ここが・・・がんばっているんですね!」と言われます。
その先生の言葉で 痛いところが 大事にしたいところに変わります。
いつだったか 先生に
「がんばれなくなったら どうなりますか?」と聞くと
「休んだらいいですよ」と言われました。
先の不安がスーッと消えていくような気がしました。
先生といろんな話をします。
楽しい時間です。
ただ 私があまりにそのままを口に出すので
先生を驚かせているのでは ないでしょうか?
反省しています。ごめんなさい。
もう少し 賢くなろうと思っています。
明日から母の所に行って来ます。
痴呆症にとって 環境の変化が一番怖い!
そのとおり 私も 怖くて 怖くて 不安で一杯です。
でも一人じゃない。
サチと西川さんと私とで 母の手をひいていくから
不安も4人で分かちあいたと思っています。
なんせ 明るい女4人です。
なんとかなるでしょう。
とにかく とにかく まずは行って来ます。
そして やっぱり 私はお母さんが大好きで
お父さんのことが気がかりで
妹を心配する お姉ちゃんなんだと思います。
行ってきます!
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父に電話をしました。
父は 今にも泣き出しそうな声で
「お母さんより 先に死にたいわ!」と何度も言いました。
聞いていて 本当にそうだろうなと思いました。
「お父さん 土曜日にそっちに行くから!」
「待ってるわ 早く来てくれ!」と 子供のような父
老いた父が 私にすがっています。
母も 一生懸命な妹も 私を待っています。
そうタフでもない私ですが
今はがんばりたい!
私にしかできない・・・今しかできない事だから。
takaroさんが選んでくれた靴を
履いた初日に少し傷めてしまいました。
たぶん よろけた時 傷んだのでしょう。
takaroさんは すぐに頑丈に補修してくれて
「調子が悪かったら いつでも持ってきてください!」
と言ってくれました。
そう言ってくれる気持ちが 嬉しくて
でも私は よくつまづき よろけるから
慣れるまで 会社の中だけで履くことにしました。
暖かくなったら 私の足も今よりは 元気になるでしょう。
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妹が母に「よう子が土曜日来るよ!」と話すと
母は「そりゃぁ〜嬉しい!楽しみやなぁ」・・・と言った後
「で、よう子って誰で?」
「私は子供がたくさんいて よう子がどの子かさっぱりわからん(大笑い)!」
と話したとか。話した後で 母自身が
「私 なんにも わからんよ〜!」とケラケラ笑ったようです。
聞いた私も 大爆笑!
妹も おかしくて大爆笑だったようです。
最近 母の痴呆は確実に進んでいるようです。
昼間 突然に 「鶏がいる!」とか・・・言い出して 母には見えるようで 「鶏」が・・・
妹には見えないのだけど
でも妹には 母を否定しないという 絶対の信念があって
その妹と母の会話のおかしいこと。
聞きながら 私はまた大爆笑!
これからも 母の痴呆はどんどん進んでいくのでしょう。
母が何をいいだすのか?
予想もつかないけど どんな母とも笑っていたい。
母と手をつないで ゆっくり歩いていきます。
土曜日母と会うのが楽しみです。
私がわからなかったら ギュッと抱きしめてあげよう!
「お母さん よう子だよ!」
2002/10 病院の近くの公園で 
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昨日会社でパーティーがあって お菓子が残りました。
どう処理しても良かったのですが 私は皆で分け合いたいと思い
紙コップを使って おまけのように少しづつ分けて
ちょうど昼下がりの眠たくなる時間に みんなに配ってみました。
もちろん男の子より 女の子が多めで。
眠そうだった眼がパチッ!と開いて 私はヤッター!嬉しくなりました!
私の会社はパソコンのソフト開発をしていて
人間よりも パソコンの数が多く
人間同士の声かけよりも メールが普及しています。
すぐ隣の人から メールが届いたり それが普通です。
それでもいいのですが やっぱり直に触れ合いたいと私は思っていて
今日は 残り物のお菓子で みんなとたっぷり楽しめました。
それがとても嬉しかったです。
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出会いがありました。
とても嬉しい出会いでした。
いつも 自分にあう靴を探すのが大変で
ほとんどあきらめていた 私が
会社帰りに立ち寄った靴屋さんに 彼はいました。
私の足に合う靴を一生懸命探しまわり 履かせてくれて
「さぁ 歩いてみましょう!」
何度も何度も歩かせてくれました。
こんな人がいるんだ・・・とても新鮮でした。
「革靴は10年は履けるんです」
手入れして無い 私の靴を黙って磨きながら 彼は言いました。
私には 驚きでした。
私にとって 靴は磨り減っていくもの・・・消耗品だし
可愛いがりようのないもの・・・でした。
でも 彼の話を聞きながら そうじゃないのかもしれないと思いました。
靴が好きになれるかもしれないと 始めて思いました。
その時のハッとした気持ちは 今も覚えています。
あれから 私は気がつく度に靴を磨いています。
「よろしくネ!」と言う気持ちかな・・・大切に履いていきたいと思っています。
私を変えてくれた ステキな出会いでした。
ありがとう そして どうぞよろしく!
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妹からの電話で
昨日父が病院で「家に早く帰って来い!いつ帰れるか聞いたか!」
と騒いだようです。
父自体も老化していて 母が今どういう状態か理解できないようです。
グループホームに移ることを いつ どういう形で父に伝えるかは
妹と悩んできました。
父が騒ぎを起こすのは 勘弁して欲しい!
だから 直前に話そう!
と思っていましたがそうもいかなくなりました。
明日にでも父のケアマネージャーのMさんから
母は自宅では世話できないことを父に話してもらい
その上で 私も父に話しにいこうと思っています。
久しぶりに夜父に電話しました。
父は背中と肩と手が痛いから 風呂に入るといってました。
疲れた・・・と。
「風呂でゆっくり温めな お父さん」
私は父に何をしてあげられるんでしょうか?
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