東京ディズニーシー(TDS)がオープンして2カ月が過ぎた。お隣の東京ディズニーランド(TDL)などを合わせ約200ヘクタールの巨大なアーバンリゾートは、米国同時多発テロの影響を受けることもなくにぎわっている。テロ、戦争、世界同時不況と暗いニュースが続く中、秋晴れのTDSを歩いた。

南欧の古い港町、そびえる火山、豪華客船、神秘的なモスク……。TDSに足を踏み入れた瞬間、作り物とは思えない美しい風景が目の前に広がった。ディズニーお得意の「環境演出」だ。
「人と風景がミスマッチだ」。それが第一印象だった。アトラクションよりも「環境演出」を重視するディズニーならではだ。非日常的な港の風景は完璧に美しい。
しかし、そこを歩く人、人、人。典型的な日本人家族がアトラクションを一つでも制覇しようと急ぎ足で歩く姿は、妙に風景から浮き上がって見えるのである。開門と同時にファストパス(アトラクションの時間予約)を取りに走る「オープンダッシュ」も相変わらず。週末ともなれば、人気の乗り物は軒並み2時間待ちだ。
“1億総中流”の日本人はこうぼやく。「あーあ。これで人混みさえなきゃ最高なのに」。まったくだ。しかし共感する私もまた、人混みの一員なのだ。この自己矛盾は悲しい。
大のディズニーファンの東京都練馬区の女性会社員(38)は「キャラクターは別に好きじゃないけど、風景が大好き。非日常的な時間と空間を過ごすと不思議と元気になる」という。
しかし、この人混みや長い待ち時間を目にして、なぜ人は満員電車の過酷な日常を連想しないのか。これは大きなナゾである。
ディズニーの故郷、米国ではテロ発生の9月11日、ディズニーのテーマパークが閉鎖された。次のテロの標的となる可能性も指摘された。一方、日本のTDLやTDSでも、不審者がいないかなど従業員による監視を強化しているという。
「怖くないですか?」。TDSで何人かの家族連れに尋ねたが、「まさか〜」とキョトンとされてしまった。風景の「非日常性」ゆえだろうか。ここでは米国テロやアフガニスタンの話が妙に遠く感じられる。
一番人気のアトラクション「インディージョーンズ」へ。覚悟を決め「2時間待ち」に並ぶ。ようやく乗り込んだ車は、真っ暗なクリスタルの魔宮をひた走る。襲い来る火の玉。巨大な岩。落下スピードばかりを追求するハード志向のジェットコースターより、格段におもしろい。待ち時間の割に、たった3分の興奮は少々短いが、まずは満足。
「シー(海)なんだから、海中を見なきゃ」と「海底2万マイル」にも挑戦。またしても1時間半待ち。しかし、本当に潜水するわけではなく、がっかりだ。潜水艦が止まったのでさっさと下船しようとしたら、ネモ船長(ベルヌの小説「海底2万マイル」の登場人物)に「座ったままで待機せよ」「荷物を持って足元に注意して下船せよ」と指示された。こういう辺り、ディズニーは本当に芸が細かい。もう、笑うしかない。
それにしても大盛況だ。TDSにいると、この国が長い消費不況に陥っていることを忘れそうだ。実際、ディズニーは不況知らずだ。バブル崩壊後、他のテーマパークが軒並み苦しむ一方で、TDLは年々客を増やした。今では年間約1700万人が集まる。
10月までの今年上半期の入園者数(9月4日以降はTDSも含む)は約930万人で、前年を16・5%も上回った。大阪にユニバーサルスタジオジャパン(USJ)という強敵も現れたが「食い合うことなく、相乗効果で両方が客を集めるだろう」という見方が一般的だ。
TDLの入園者を支えているのは、繰り返し来園するリピーターたちだ。年間200回以上通うつわものもおり、リピーター率は約97%に上る。数年ごとにアトラクションやショーを新設し、「いつ来ても新しい発見がある」と客の心をつかんできた。
同社は「リニューアルへの投資は今後も続ける」とし、二つのパークを含むディズニー・リゾート全体で年間2500万人の入園者数を見込む。
経済効果も大きい。三菱総合研究所によると、建設費や入園料などを積み上げたTDSの直接経済効果は6380億円。波及効果は1兆8520億円。地元の千葉県浦安市では、同社の法人税収が全体の約3割を占める。同研究所主席研究員の小松史郎さんは「TDSは泥沼不況を吹き飛ばし、日本人を世紀末的閉そく感から解き放ってくれる救世主だ」と期待する。
疲れたので、ベンチで休み。ここは人物観察が結構おもしろい。定番のミッキーの耳帽子の2人組。全身をディズニーグッズで固めた若者グループ。まるで仮装行列だ。
TDLが83年に開園した時、「日本人は控え目だから米国流の派手な演出をそのまま持ち込めば失敗する」というのが大方の予想だった。ところが、蓋を開ければ米国でも子供しか被らないようなキャラクター帽子を、大人が平気で被ってしまうのが日本という国なのだ。日本的なものが一切ないから逆に心が自由になれるのか。友人と一緒だから大胆になれるのか。
精神科医の斉藤環氏は近著「若者のすべて」で、渋谷の若者を「自分探し系」、原宿の若者を「ひきこもり系」と分類した。
自己イメージは安定しているが対人的には淡泊な「ひきこもり系」と、他者との交流能力は高いが自己イメージが不安定な「自分探し系」。斉藤氏は「ディズニーの世界は『自分探し系』。若者の好みの最大公約数であり、最も無難なブランドだ。日常を離れた空間で明るいキャラを一緒に演じることで、安心を得ている」というのだ。
そう言われると、TDSの若者客層はちょっと渋谷の駅前に似ている。従業員を「キャスト(出演者)」と位置づけるディズニーの世界で、客もまた「いつもの私と違う誰か」を演じているかのようだ。ディズニーの世界は、若者の「自分探し」のワンダーランド的な一面を持っているのかもしれない。
「エレクトリックレールウェイ」という電動式トロリーに乗ると、夜のショーのために早くも場所取りをする客の姿が見えた。ショーまで1時間以上あるのに。
インターネット上では、TDS攻略情報が飛び交う。「開門と同時に一人がインディ・ジョーンズのファストパス(時間予約)をゲット。もう一人はレストランの優先案内(時間予約)を取りに走ろう」とか「夜のショーは1時間前から場所取りすべし」とか。「右回りで見て回る方が効率的」「いや左回りだ」と議論が交わされたりもした。
三菱総研の小松さんは「乗り物制覇に躍起になるのは、日本に都会のリゾートを楽しむ文化が定着していない証拠」という。「TDSは乗り物ではなく、風景や料理を楽しむよう設計されている。だから乗り物の数も少ない。あえて新しいアーバンリゾートのあり方を日本人に提示しているのです」
気がつけば、日も落ちた。小松氏の助言に従い、ワインでも飲もう。家族サービスに付き合わされたお父さんでなくても、TDSの「アルコール解禁」はうれしい。
酒が飲めるのは10店。ところが考えることは誰も同じだ。どこも混んでいて、いいレストランはどこも30分待ち。
地中海の港町を模したメディテレーニアンハーバーでは、夜の水上ショーが始まった。水上でタクトを振るミッキーマウスに合わせ、花火や噴水がはじける。
何千人もがうっとり花火を見上げる。周囲の人込みなど、もう誰も気にしない。誰もが、感動していた。感動をほしがっているように見えた。
なんだか私まで胸が熱くなってくる。
家族サービスの総仕上げだろうか。お父さんたちがホームビデオを高く掲げ、水面に映る光のページェントを撮影し始めた。花火に照られされる腕、腕、腕。彼らは家でビデオを観ては、感激を確認するんだろうか?
ばかげている。でも、なぜだろう。こんなにも、いとおしい。
花火に照らされるお父さんたちの腕が、変に愛おしく思えて、「がんばれ、お父さんたち」と心で声援を送ってしまったのであった。
不思議だ。いつの間にか人込みへの嫌悪感さえ薄れている。
静岡県三島市に住みながら、年間パスポートを持つ石川祐美子さん(36)にこんな話を聞いた。「私は込んでいる方が好き。みんなで一つのファンタジーを見る連帯感があるから。感動で泣いている人を見ると、もらい泣きしてしまう。みんなで感動できることがうれしいの」
ミッキーマウスが叫ぶ。「これがフィナーレだよ」。作り物の火山から花火が上がり、本物の夜空を焦がす。テレビで見たアフガニスタン空爆の映像が脳裏にちらつく。
それでも最後の花火が消えた時、私は心に小さなカタルシスを感じたのだった。
密かに胸を熱くしていた時、突然、異変が起こった。
最後の花火が消えた瞬間、突然何かスイッチでも入ったかのように、人々がミッキーマウスに背を向けたかと思うと、出口を目指して走り始めたのだ。
一瞬、何が起こったのか分からず、私は感動から一気に現実に引き戻された。
まるで戦火を逃れるように、人々は出口に走る。その背中を見て、ようやく理解した。彼らは帰りの電車の混雑を避けようとしているのだ。
さっきまで感動に酔っていた人が、今はもう走っている。この切り替えの早さは何だろう。電車で座れた時、「走ってよかった!」とマニュアルの勝利を喜ぶのかもしれない。
ため息が出ると同時に、妙に切なくなった。
「日本人はリゾートの楽しみ方を知らない」と、きっと欧米人はいうだろう。
でも、私は出口に向かって走った彼らの方を養護したいと思う。
仕方ないじゃないか。
都会に暮らす人なら誰も、通勤地獄や、さしてうまくないレストランに並ぶ忍耐や、週末はどこの行楽地も混んでる現実にすっかり慣れっこだ。与えられた条件の中で人生を謳歌する知恵を身につけたことを、誰が責められるだろう。
「TDSは、日本人にリゾートの本当の楽しみ方が定着するかどうかを試す、壮大な実験装置だ」という小松氏の言葉をふと思い出し、苦笑いした。首都圏の人があえてTDS敷地内のホテル・ミラコスタに宿泊し、ゆったりと休日を楽しむようになるのはいつの時代だろう。
出口へ走らなかった人々は、閉園まで間隙を縫って乗り物を制覇しようと、急ぎ始める。余韻を楽しむことさえ許されない都会の巨大リゾートで、軽い徒労感を感じながら、私もまた、ワインを飲める店を目指して歩き出した。