京都に長く暮らし、4年前に東京の下町・根岸に居を構えた書家、石川九楊さん(56)が指定した待ち合わせ場所は、鶯谷の喫茶店だった。
スラックスにジャンパー姿の、一見、優しげなオジサン。
しかし、彼こそが書家であると同時に、文字を通して独自の日本論を確立した論客でもあるのだ。
石川さんとは実に十数年ぶりの再会である。大学生だった85年、知人を介して出会った。額縁の中で複雑な呼吸を繰り返しているような、独特の書が好きだった。
「丸文字を書いてみてくれ」。
初対面で石川さんは私にそう言った。
当時、女子中高生らの間で流行していた「丸文字」は、角を落とし、字形を丸っこくまとめ、かわいさを強調した少女文字だった。石川さんは「研究しているんだ」といい、年がいもなく丸文字を書いていた私は、書家につたない字を披露する羽目となったのだった。
「あの時、どうして丸文字に関心があったんですか?」。ずっと心に暖めていた問いを思い切って尋ねてみた。
石川さんは「書を通じて時代が分かるから」と、豪快に笑った。
「丸文字は横書きに順応した書体で、成熟した大人の社会に同化することを拒否し、『子供っぽくていい』と居直った少女たちの姿の象徴です。いわば旧体制に刃向かった全共闘時代的な文字でした」
丸文字は70年代に発生し、一時は活字や文字フォントに採用され、一世を風靡(ふうび)したが、85年ごろからなぜか沈静化し、あっさりと消えた。時を同じくして日本はバブル経済へとのみ込まれていく。
「代わりに目立ち始めたのがギザギザ文字です。大人たちは丸文字が消えたことを喜びましたが、私は違うと思いました。丸文字にはまだ若者文化の強烈な主張と温かみがありました。しかし『ギザギザ文字』は、シャープペンシルの薄く細い線で直線をとがらせただけの単調な文字で、殺伐とし、自己主張すらありません。ギザギザ文字の台頭と前後して、ワープロやパソコンで文字を書く人が増え、大人の成熟した文字社会もまた崩壊しました。今の子供たちにはもはや、拒否すべき『旧体制』すら残っていません」
石川氏は、文字を通して時代を読んできた。それほどに「書く」という行為は、人間の思考に直結しているという。
筆を持つ手を動かし、紙に筆で触れ、力を込め、「筆蝕(ひっしょく)」を感じることで、人間の思考はほどけ、引き出されてゆく。
だから、書は時代を映す、というのだ。
「80年代ごろから、書や絵の世界でそれまで開放的だった描線が小刻みに震えだしました。表現者にとって、大胆で率直な線がうとましく、うそっぽく感じられる時代となったのでしょう。あやふやな土台の上に浮かぶ巨大な経済に翻弄(ほんろう)され、腐敗を始めた世界ではもう、震えるように描くか、描くことをやめるか、事態に目をつぶって表現するかしかありません」
思索する書家の書は、昨年9月11日を境に大きく変化した。
「二〇〇一年九月十一日、晴 垂直線と水平線の物語」。
そんなタイトルの自作詩を今は書いている。「垂直線」は空にそびえ立っていた世界貿易センタービル。「水平線」は2機の飛行機が青空に残した航跡だ。
キリスト教を背景とする市場原理主義と、イスラム原理主義との宗教対立をも象徴しているという。
石川さん、さすがに飛行機がビルに突っ込む映像は、衝撃的でしたか。
「既視感があった」。
意外な答えが返ってきた。
「昔、東京都庁を初めて見た時も、崩れていく様がなぜか見えました。それは自壊の予感でした。技術は進歩しなければならないし、経済も前進しなければなりません。
それを止めろというのは、破壊主義でしかない。しかし、人間は本当に必要なものを押しつぶしながら、不必要に高い建物を造りすぎていないか。ニューヨークのビルもそうです。多くの人は、死傷者はテロの被害者だと言います。でも本当にそうでしょうか。一部は確かに飛行機が突っ込んだための被害者でしょう。しかし、残りはビルが2次的に自壊したために死傷した。『本当の犯人』は別にいます」
石川さんに逆に問われた。
「あの映像を見て、悲惨だというふうにしか思いませんでしたか。見ていて別の感情が生まれませんでしたか?」。
言葉に詰まった。被害者に思いをはせる時は、胸がつぶれそうに痛んだ。一方で、ビルが崩れていく姿を何度も見たくなったのはなぜか。
「私は、意外にも誰もがどこかで一種のカタルシスを感じていたと思います。無意識の爽快(そうかい)感のようなもの。あのビルは、過度に肥大した今の消費社会や、新たな文化を生むことさえできない疲弊しきった社会の象徴だったのです。それが自壊した」
被害者やその家族を思うと、「自壊」「爽快感」と新聞記事にストレートには書きづらい。
「読者の誤解を招きそうです」と躊躇(ちゅうちょ)する私に、石川さんは「大事なことです。『自壊』と書いてください」と言った。
石川さんは「9月11日」を境に時代が変わる、と予想する。
「この事件で、むしろ時代への希望を見つけました。これまでの非文化的な浪費主義の不毛に人々は気付き、本当に必要なものをつくろうと静かに行動し始めるでしょう。今後の25年間ぐらいは、表層では従来のカジノ資本主義と消費主義が、低層では新しい流れが、それぞれ逆方向に流れを作り、激しい渦を巻く社会となります。最後は低層の流れが、これまでの消費主義をのみ込んでいく。私はそれを希求します」
「ビンラディン氏を捕まえるためと称して、タリバン政権を壊滅させ、暫定政権をつくらせました。そのためにアフガニスタンを空爆し、多数の人々を殺しました。私は米国のブッシュ大統領に、自分の演説を、筆を使って縦書きさせてみたい」
突然、突拍子もないことを言う書家である。
「日本人が縦書きを捨て、横書きするようになったのは不幸」というのが石川さんの自説だ。
「横に書く時、筆はどんどん進みます。しかし縦に書く時、なぜか人は気が重くなり、筆も渋りがちになります。縦書きでは、上の一語を受け、その重量を感じ取りながら、次の語へと一歩一歩つなげていかねばなりません。その垂直の重さに、人はいくばくかの『天』を意識し、世界につながろうとする自省の契機が生まれます。例えば西欧のキリストやイスラムのアラー神をいただかぬ無宗教の日本では、縦書きを通してかろうじて『天』が意識されてきました。日本語が横書きになったことは、日本人の精神構造をも変えました」と石川さんは縦書きの復権を叫んできた。
しかしながら、ブッシュ大統領に「縦書き」とはなぜ?
「ブッシュ大統領が連発する『GOD BLESS AMERICA(アメリカに神のご加護を)』を縦書きで書いてみればいい。横書きだと抵抗なく書けるでしょうが、縦書きで『GOD』や『AMERICA』を連発すれば気恥ずかしくなるはずです。ちょっと自己陶酔しすぎかな、と自覚するはずです。縦に書く時に筆記具を通して届く対象との抵抗感や摩擦感は、人をより自省的にするからです」
今さら「筆記具を持ち、縦書きに戻れ」といわれると、私自身もつらい。それでもさすがにインタビューの後は、筆を持ち、自省の時を持ってみようか、という気にもなった。
さて。石川さんが2002年最初の書に選んだのはどんな言葉だったか。
「垂直線」と「水平線」に象徴される宗教対立という人類最大の難問を、一気に解くために何より必要なのもの――。
「補助線」
書家はそう書いた。