新劇場「ルミネtheヨシモト」は、新宿駅ビル「ルミネ2」の7階にある。
458席。黒を基調にした劇場内にはパイプ椅子が並ぶ。派手などんちょうも布張りの椅子もない。厚化粧しないのが今風かと思ったら低コストを追求したらしい。
年中無休。午後5〜6時が若手タレントの「お笑い新人バトル」、午後7〜9時は人気タレントの漫才やコントの後に新喜劇。ブロードバンド対応で、インターネット生中継もする予定。将来は楽屋のタレントとチャットしたりもできる。
客席のほとんどは20代の客だった。7割が年配客の大阪に比べ、かなり若い。
「若者、まして東京人に新喜劇がうけるか?」。我がことのように心配になる。
大阪出身者の私にとって、テレビ放送版の新喜劇のテーマ曲「フンワカファンファン」は子守歌みたいなものだ。大阪の子供は悪さをするたび「ヨシモトへ行け」と親や教師にしかられた。
が、それも今は昔。
吉本興業は今や、日本最大の総合エンターテインメント企業だ。擁するタレントは約750人。出演するテレビ・ラジオ番組も東京だけで週約200本。ディスコに映画に町おこしに旅行代理店に衛星放送……。多角経営でも有名で、就職希望者が引きも切らない優良企業だ。
吉本興業にとって「東京進出」は悲願だった。古くは1923年の関東大震災で、いち早く救援物資を持って東京芸人を見舞い、コネを作ったという。
80年に東京・赤坂に連絡事務所を開設し、94年には「本当は東京、好きなんですわ」の大看板を掲げて銀座七丁目劇場を開いた。95年には渋谷公園通り劇場もできた。二つの劇場は昨年までに撤退したが、昨年は東京支社を本社に格上げした。それでも、東京で新喜劇を毎晩上演するのは初の試みだ。
新喜劇の幕が上がった。
舞台では、いきなり体をつかったドタバタが始まる。
ベテランの定番ギャグで年配客を笑わせる大阪と違い、東京はあくまで若手が中心。やり取りがスピーディーな分だけ、大阪的なコテコテ感を薄めている。
白い花嫁衣装姿の山田花子を、2人の男たちが「オレはいらん。おまえが引き取れ」「頼む、持ち帰ってくれ」と押し付け合い始めた。盛り上がったところで、涙目の花ちゃんが一声叫ぶ。
「私の取り合いはやめて!」
会場は爆笑。
ああ、この高飛車ギャグ!
ボコボコに殴られた池乃めだかの決めゼリフ「今日はこのくらいにしといたろ」をほうふつとさせるじゃないか。
閉そく感に満ちた時代を明るく照らすのは、こういう「やせ我慢」の精神なのだ。
吉本新喜劇は戦後に生まれた。ライバルの松竹新喜劇が義理人情路線を突っ走るのを尻目に、「うちは徹底的に笑わそう」と理屈抜きの笑いを追求し、若者の心をつかんだ。吉本興業の復興を支える屋台骨でもあった。
新喜劇の笑いを支える「偉大なるマンネリズム」も度を越え、「つまらん」と客が離れ始めた89年には「吉本新喜劇やめよっカナ?」キャンペーンをぶちあげ、芸人の若返りを図り、「動員目標に達しなければ二度と見られない」と宣伝した。
97年には初の全国テレビ放送を試みたが、これは視聴率が低迷し、1年で打ち切りに。これらの試行錯誤の一つ一つが、東京における吉本興業と新喜劇の認知度を高めてきたのだ。
さて。そろそろ舞台は最高潮。
つかみ合いのケンカとギャグの応酬に沸く爆笑シーンの直後、いきなりシリアスなBGMが流れ、真顔になった主役が突然、泣けるセリフを吐くのである。
「くるぞ、くるぞ、くるぞ、きたー!」というお決まりの場面だ。
「爆笑」から「涙」までわずか3秒。
このお笑いジェットコースターこそが、吉本新喜劇の真骨頂だ。
「入場料が高い」から「ホンモノやない。新喜劇を名乗らんといてくれ」まで。吉本ウオッチャーの新劇場評はまだまだ手厳しい。
それでも、幕が下り、客の引いた劇場に流れる「明日がある、明日がある、明日があーるーさー」のBGMは、東京の夜に漂う感傷をやけに盛り上げるのであった。

(
番外編)
林裕章・吉本興業社長に、後日、会いに行った。
――東京進出のきっかけは?
◆21年前、会社が反対する中、僕個人の名義で赤坂のマンションの一室を借りたのが最初の東京連絡事務所です。あのころの東京はひどかった。テレビ局にあいさつに行っても、ププッって笑われて「何しに来た?」みたいな顔された。銀座のホステスまでバカにしよった。
当時は東京のお笑いも健在やったから、10年間苦しんだ。けどMANZAIブームをきっかけに明石家さんま君や島田紳助君が成長し、一方、東京のお笑いは廃れていった。段々と吉本興業のタレントがテレビのバラエティー番組を支えるようになったんです。申し訳ない話やけど、ビートたけしさんの交通事故にも救われた。あの間げきを縫ってダウンタウンが加速度的に売れた。こんなこと書かんといてよ、まあ事実やけど。
東京のお笑いは結局、後継者を育てられへんかった。人はいつの時代も笑いを求めるから、東京の人は大阪弁の「お笑い」で我慢するしかなかった。いつしか東京は毒に侵され、大阪弁を「お笑いの言語」として認知していたんでしょうな。
――すでに大阪の笑いは東京に定着した、と?
◆そうです。今や、吉本興業のタレント抜きには、テレビのバラエティー番組なんか作られへん。この20年で東京の「お笑い」も文化も廃れてしもた。今の東京は、やりやすい。地方出身者が街にあふれ、ほんまの「東京人」なんてどこにいます?
新宿を選んだのも、地方出身者の街やからです。古くからの東京人が残る下町よりずっと新しいことをやりやすい。浅草はさびれた。渋谷じゃ若すぎる。
――昨年、東京支社を本社に格上げしましたね。
◆今は「東京発」でないと海外戦略が成り立たない。相手は世界なんや。台湾では吉本新喜劇の固定ファンがいる。中国の上海にも事務所を開いた。新喜劇の方は検閲でダメになりましたけどね。小室哲哉君との契約も、主に東南アジア戦略がターゲット。音楽に国境はもうないからね。
インターネットはすごいね。テレビなんか将来、年寄りの見るもんになるやろ。ネット中継は、世界に散らばる在外邦人をターゲットにしてる。外国語ができる人でもジョーク言うのは難しいで。在外邦人は「日本の笑い」に飢えてるんです。
――ずばりライバルは?
◆まず、東京のお笑い系芸能プロダクション。僕らが東京進出を急いだのは、東京が「お笑い」の若手を育て上げる前に、こっちで全部独占したろと思ったから。出るくいは「打つ」やなくて「全部抜いたろ」ってね。
次にお笑いに代わるものやろね。バラエティー番組の全盛にも終わりは来る。お笑いが脇役に落ちた時、代わりが何であっても、吉本興業で独占したい。だから今から、スポーツなど番組の幅を広げているんです。
――東京の人へメッセージを。
◆新劇場は将来、昼間は寄席、夜は若手のイベント、夜中はテレビスタジオとフル回転させる予定。東京の若手タレントも舞台に上げて、僕らが育てる。年間2億円くらいの赤字は覚悟の上。将来1000席規模の劇場を造る先行投資やと思てます。
この時代の人を笑いでいやすのは、僕ら吉本興業です。存分に笑ってください。いやしてさし上げます。