沖縄を舞台にした映画「パイナップルツアーズ」以来、ずっとこの女性が気になっていた。夏の企画取材の絡みで「誰か会いたい人に『夏の想い出』をインタビューしてこい」と上司に言われた私は、ぜーーーーーーーーったい「オバア」に会いに行こう、と決めたのだった。
2001年夏。夕立降る
「13歳の時、どうしても高等科に進学したくて、そのお金を稼ぐためにお芝居を始めましてねえ。別の仕事も少しはしたけど、結局、ずっとお芝居で生きてきました。
同じ劇団の役者だった夫と結婚し、4人の子供を育て上げました。
あのころ、お芝居は移動巡業でしてね、私も夫も旅の者ですから、家なんかありませんでした。4人の子は皆、楽屋で育てたようなものです。でも、子供たちが小学校に上がると、巡業先から学校にはやれませんから、初めて那覇に間借りしました。姉に子供たちの面倒を頼み、私たち夫婦は毎日離島の芝居小屋をまわる暮らしでした」
お茶の間で注目される「沖縄のオバァ」。NHKの朝の連続テレビ小説「ちゅらさん」で、主人公、古波蔵恵里の祖母を演じる平良とみさん(72)だ。
古波蔵家のゴッドマザー的存在といえるオバァの素顔は、60年の経歴をもつ沖縄(うちなー)芝居の大女優。夫、平良進さん(66)と共に沖縄県指定無形文化財琉球歌劇保持者に認定されている。
「沖縄はずっと夏みたいなものですし、夏の思い出といってもこれといったものはないんですけど。それでも夏というと、子供たちと一緒に暮らせた喜びが心に浮かびます。
夏休みの前日になると、子供たちを那覇の家まで迎えに行きましてね。ほら、学校が休みになるので、楽屋に連れて行けるんです。うれしかったですね。夏休み中、子供たちは劇団員と一緒に芝居小屋で寝泊まりしました。海はいつも小屋の近くにありますから、毎日泳ぎにいってね。ほかの劇団員夫婦の子供たちもみなやってきて、夏休みはもう大所帯でした。
小学生といえば、親の愛情が一番ほしい年ごろでしょう? 夏休みの最後の日になると、那覇に連れて戻るんだけど『帰りたくない』とよく泣かれましたね。翌朝、学校に行く前に、子供たちが『母ちゃん、学校から帰るまで、絶対にどこにも行かないでね』と頼む顔は今でも覚えています。切なかったです。
でも、おかげさまで子供たちも皆、素直に育ってくれて、今でも懐かしがりますよ。
『夏が一番楽しかったねえ』と」
とみさんは、まさに思春期のころ、終戦を迎えた。
那覇に二つあった劇場も戦火で燃え落ちた。戦後の傷跡にうめく沖縄に次々と生まれた露天劇場をたどるように、とみさんは島を巡り、沖縄芝居を演じ続けた。
「夏の露天劇場は、屋根がない分、風が涼しくていいのだけど、雨が降るともう大変。役者の立場からいうと、本当はやめてしまいたいわけ。着物はぬれるし、舞台はつるつる滑ってね。悲劇のところが、すってんころりん、と転んで喜劇になったりしましたね。
それでも、お客さんは席を立たなかった。どんな大雨の下でも、肩を寄せ合って、舞台に食らいついて、私たちを見てくれた。ほかに何も娯楽のない時代でしょう。芸能こそが、沖縄の人たちの心を復興へと奮い立たせていたんです。こうなるともう、客と役者の根比べでした。強い雨脚に煙る舞台に、客席から熱気がこみ上げてくるようで、私も必死に演じたもんです」
とみさんはずっと「沖縄の心」を演じてきた。
30代から「オバァ」を演じ、老け役で右に出るものはない、と評された。
5年前から毎年の「慰霊の日」に、喜劇「めんそーれ沖縄」でもオバァ役を演じている。「ワァーガルウチナーデェームン(私が沖縄なんだもん)」というセリフに、「どんな沖縄になろうと私はウチナンチュー(沖縄人)。逃げ出せないし、逃げ出さないぞ」という覚悟を込める。
「今回の『ちゅらさん』に出る時も、最初は断りました。私ごときがとんでもない……と。でも、私がこちらのテレビに出ることで、沖縄をよく知ってもらえるなら、と思い直しました。沖縄は、海や空だけではないんです。そこに暮らす人々の心、『ちゅらぐくる(美しい心)』を知っていただけるよう、一生懸命にやってます」
そろって沖縄を代表する役者平良さん夫婦。6歳年下で二枚目の夫とは、おしどり夫婦との評判も高い。
夫進さんがとみさんのいた劇団に入った時、とみさんはすでに看板女優。若者たちのマドンナだった。進さんが、とみさんを射落とした後も、2人はずっと親子役ばかり演じてきたという。
初めて恋人役を演じたのは2年前の映画「ナビィの恋」だったというから驚く。
「私が40歳の時でしたか。夫の平良が芝居で自分の役を終えた後、そっと客席に座っていたんです。そしたら70歳、80歳にもなるホンモノのオバァたちが舞台の上の私を指さして、こんなふうにしゃべっていたそうです。『舞台のあのオバァは幾つかね。私らより三つか四つくらい上みたいだが、よくあれだけ動けるもんだねえ』『あの年になって、主人も子供も持たずにお芝居してきたのかねえ』
沖縄のオバァたちは、自分勝手に想像を膨らませてお芝居を楽しむのが得意ですから。ところが、別の情報通のオバァが真実を告げるわけです。『あのオバァは、さっきまで舞台にいた二枚目のきれいなニイニイ(お兄さん)のお嫁さんで、子供もいるらしいよ』と。『えーー! なんでニイニイがあんなオバァと!』『さってもさっても!』とオバァたちは指をはじいて悔しがっていたそうです。
楽屋なんかでも、自己紹介する時に、夫と私のどちらもが『平良です』と言うでしょう。みな『親子ですか?』と尋ねるんだから。『私が6歳の時に産んだ計算になりますかねえ』と冗談を言うしかありませんねえ。
みな、私たちが仲いいって言いますけどね、仲よく見えるだけですよ。あ、でも、仲がいいんでしょうかねえ。50年も一緒にやってきたんですもの、やはり仲がいいんでしょうねえ」
最後は夫を立てる。
照れるとかわいい。
「ちゅらさん」ファンからのファンレターでも、「カワイイ!」というほめ言葉が多い。沖縄には「オバァは90歳から」という言葉もあるという。「幾つになっても女」というのが、沖縄のオバァの魅力でもある。
NHKスタジオ内の古波蔵家のセットに来るたびに、とみさんは「ただいま」と言う。
「古波蔵家は、私のもう一つの故郷になってしまいました。今、宜野湾市の自宅には、夫と長男だけしかいません。こちらの古波蔵家には、嫁と息子のほかに、孫だってたくさんいる。ずっと楽しいですよ。
この前、子供さんから『番組が終わったらオバァはどうなってしまうの? 心配です』という手紙をもらいました。本当にねえ、私も心配です。番組が終わると、家族を一つなくしたみたいに寂しくなってしまうんでしょうねえ。
今年の夏は、東京の方が沖縄より暑いです。沖縄の人たちは、私が収録のために東京に行くたびに『あんな暑いところに行くなんて大変だねえ』と気の毒がりますよ。
この暑い夏が、もしかしたら一生で一番心に残る『夏の思い出』になるのかもしれませんね」
とみさんは今も新旧の沖縄芝居に取り組む一方で、数多くの沖縄を描くTVドラマの方言指導にも当たる。
沖縄芝居に、台本はない。セリフはすべて口承だ。伝統的な「うちなーぐち(沖縄の島言葉)」を、口伝えで若い役者に教えることがこれからの一番の仕事だと考えている。
「家にお年寄りがいる人でも、うちなーぐちを知らない50代がいます。一方で、沖縄芝居をよく見てきた40代、50代はうちなーぐちが分かるんです。言葉を守り、伝えていくのはお芝居が一番だから、沖縄芝居はなくしちゃいけないし、絶対になくならないと思います」
