昼下がりの東京タワーは、外国人観光客ばかりが目立つ。
250メートル展望台へのエレベーター内でも、聞こえるのは英語と中国語ばかり。わずかに一人の日本の少年が「333メーターだ!」と無邪気に叫んでいる。
ドアが開く。目もくらむ高さ。
高層ビルが林立する都内にあって今なお一番高い展望台で、都庁舎より約50メートル、池袋サンシャインより約10メートル高い。下の150メートル展望台からは見上げた高層ビル群も、250メートルからだと見下ろせた。富士山も見える。
ここはリニューアル工事も終わり、浮遊感のある半透明の強化ガラス床を、発光ダイオードの青い光が照らしている。宇宙を思わせるBGM。ベンチ一つない殺風景なところが、タルコフスキー監督の映画「惑星ソラリス」の一場面のようだ。
東京タワーの完成は、敗戦から13年後の1958年12月23日。巨大なクレーンもない時代だ。全国の優秀なとび職人が地上200メートルで秒速15メートルの強風と闘い、総計4000トンの鉄骨を運び上げ、ネジを締めた。
「エッフェル塔(320メートル)より高い世界一の塔を」が合言葉だった。
完成翌年の59年には約520万人、8月だけでも約71万人の客がタワーに上った。今は年間約240万人に減った。
評論家の川本三郎さんは著書「私の東京万華鏡」で東京タワーに触れている。61年の映画「モスラ」では、モスラがタワーに作った繭に自衛隊がロケット弾を撃ち込み、タワーが折れた。
「東宝映画の怪獣たちは当然のごとくいつも東京の高い建物を破壊する」と川本さんは書いた。しかし84年のリメーク版「ゴジラ」の標的は、完成直後の有楽町マリオンと新宿副都心の高層ビル。東京タワーは怪獣にすら無視された。
ウルトラマンのような配色で空にそびえ立っていた高度成長時代の象徴は、次第にランドマークの意味を失い、バブルのころにはレトロが売りの「はなやしき」的観光地となった。
今のタワーはすでに「世界一」らしさを失ったようにも見える。
それが、ここにきてリニューアルである。
総工事費3億7000万円。すでに完成した250メートル展望台に続き、4月27日には150メートル展望台にカフェが誕生する予定。
若者や大人の観光客の呼び戻しを狙っている。
実はリニューアル工事と同時に、別の工事も進んでいる。
デジタル放送の本格開始に向けた整備工事だ。
03年から関東地方で始まる地上波デジタル放送を前に、昨年は「第2東京タワー」構想が何かと話題を呼んだ。東京・多摩地区やさいたま新都心が誘致に名乗り出たほか、石原慎太郎都知事が「秋葉原に第2タワーを」と発言するなど、本家本元の東京タワーはすっかり脇役に甘んじていた。
ところがどっこい、である。
結局、第2タワー計画が間に合わず、暫定的に東京タワーに送信設備を敷設し、当座をしのぐことが決まった。45年前、日本に本格的なテレビ時代をもたらした東京タワーが、今度はデジタル時代にも主役として活躍の場を与えられたのだ。
再び150メートル展望台に下りた。
夜が近いからだろうか。客が少し増えてきた。
そんな中に、父親と息子らしい2人連れを見つけた。父親が懐かしそうに、高いビルを一つ一つ息子に説明してやっている。
しばしの沈黙の後、父親がぼそりと言った。「上ばっかり見ても仕方ないぞ」。息子がぶぜんと返す。「上を見てるのは父さんだよ。僕は何とも思ってないさ」。季節柄、入学試験か就職に失敗したのだろうか。
高度成長期を築いた世代の親にとって、東京タワーはきっと今も、子に人生訓を語るにふさわしい舞台なのだ。
語る内容が「世界一を目指せ」から、「ほどほどでいい」に様変わりしたとしても。
帰りのエレベーターの中から、鉄骨を留めたネジの一本一本が見えた。
どのような怖いもの知らずの男たちが鉄骨を組み上げたのだろう。
東京タワーは、日本の戦後復興と「ものつくり」黄金期の証しでもある。
こんな時代だから、上ってよかった。
古ぼけたエレベーターから、車とビルと家々が途切れることなく地平線まで続く巨大都市を俯瞰し、そう思った。