<出産記>


2001年7月29日(日)・・・・・・夜日課にしているお散歩に出かける。往復で約1時間ほどかけて。帰り道
何となくお腹にいつもとは明らかに違う張りと痛みが走る。「いよいよか?」と思う。
家に帰ってから、お風呂に入ってそのまま就寝するも、なかなか興奮と鈍痛で眠りが浅かった。


2001年7月30日(月)・・・・・・朝5時半、トイレに行くと「おしるし」が。とろっとしたピンク色のおりものだっ
た。そしてそこから約10分間隔の陣痛が始まった。胸の高鳴りを感じつつしばらく時が経つのを待つ。
そして、朝起きてきたダンナさまにその事を伝え、病院へと電話する。「じゃぁ入院準備して来てください」
と言われ慌しく準備を整え車で病院へ。そして入院手続きをし「陣痛室」というカーテンでいくつかの部屋に
仕切られた中へ入室する。
まさかここでこれから地獄のような長い時間を過ごす事になるとは思いもせず。・・・余裕だった。
ダンナさまにはひとまず出勤してもらって何かあればすぐに来てもらうと言う事にした。


10分間隔の陣痛は相変わらず続いていたが、痛みの程度は生理痛のような感じでまだまだ余裕だった。
こんなので産めるのなら、結構大丈夫かも?なんて思いながらお昼のワイドショーなんかをいつものように
のんびりと見たりしながら過ごす。子宮口は1週間前から1センチ開いたまま・・・。


午後6時。痛みが少々強くなってくる。キツイ生理痛のような感じ。陣痛の間隔は7〜8分になる。しかし
まだ子宮口はまだ1センチのまま。
ダンナさまもやってくるが、何もすることはない。


2001年7月31日(火)・・・・・・日付が変わる前くらいになり心配になった実家母が来る。「まだまだだか
ら明日の朝でいいよ」と言ってあったが、落ち着かないらしい。そのころから陣痛がまたまた強くなり
5分間隔に。しか〜しまだ子宮口は1センチ・・・。ダンナさまと母のマッサージで幾分痛みが
和らぐような気もするが、もう寝てられない状態でアクティブチェアと呼ばれるもたれ
掛かって座るイスで痛みをこらえる。なにしろこの頃からトイレが異常に近くなるが
トイレで陣痛が始まるともう「おうっっ」と思わず声が出てしまうほど。出血もすごくて早速産褥ショーツを
汚す始末。なぜこんなに頻尿になるのか・・・辛かった。


朝方、夜も白み始めた頃陣痛は3分間隔となる。それでも子宮口はたった2センチしか開いてない。
なんとかこの子宮口が開いてさえくれれば・・・・。相変わらず頻尿でトイレでの陣痛タイムが一番辛かった。
「ふ〜っふ〜っ」とゆっくり息を吐く方法がワタシには合ってたようで、それほど声を出す事もなく冷静に痛みと
戦っていた。という感じ。ダンナさまのマッサージ法がちょっと合わなくて「違う!」とついキツイ口調で
言ってしまったりしてた。やはりここは同じ経験を持つ母の方が数段上手に痛みのツボを理解して
マッサージしてくれるので助かった。
母に「もっと痛かったら声とか出してええんやに」と言われたが、声を出すと猛獣に変身してしまいそうな
自分が怖かったので、それはできなかった。


7時半頃朝食が出るが、もうすでに食欲とは程遠いところにいたのでダンナさまに食べてもらう
ムシャムシャとおいしそうに食べる姿が憎らしく見えたのは、余裕がなくなってしまっていたからか?
ダンナさまは明け方にもウトウト眠っていたし、ま、この痛みを理解するのは難しいか。


8時ごろ、痛みはもう最高潮!!1分間隔の陣痛になるともう休む暇なしと言った感じ。もうじっとしていられない
状態で、思わずアクティブチェアのビニールカバーを爪で剥がしてしまった。もう人間ではない。
それなのにそれなのに、無常にも子宮口はま〜だ4センチ。「は?うそやろ?」と心の中で叫ぶ。
呼吸法ももう体力が無くなってきてうまくできなくなってきている。
母の「頑張れ」という言葉が心強い。そして心配そうにオロオロとしているダンナさまがうっとおしく感じ始める。
(ひどすぎ・・・)


9時くらいに助産婦さんがやってきてNSTの装置をつけるがどうしてもベットに横になることが困難で
「座ったままではダメですか?」と無理を言う。でもやっぱり寝ないとダメということで、辛いながらもなんとか
装置をつけてもらう。しかしこの頃からいきみたくなってきて、足を動かしたり体をねじったりしてしまい
その装置も何度か外れてしまった。母がワタシが足の指をくっと曲げているのをみて、助産婦さんに
「もういきみがだいぶ来てるみたいなんですけど」と言う。そして内診した助産婦さんが「あっ、全開やわ。
お母さん!お産です!」と宣言しそこからベットごと分娩室に移動。
見送るダンナさまや母がどんな言葉を掛けてくれたのか、どんな表情だったのか、ワタシにはまったく
覚えがありません・・・。


分娩室は朝の光がいっぱい差し込んですごく爽やかだった。「もういきんでいいからね」と言われ準備中
からいきむが、どうもうまく行かない。助産婦さんが「あれいきみ方教えてなかったっけ?」とのんきに
言い、この方向にと指差して教えてくれる。それからはかなりの回数いきんだように思う。
多分分娩室に入って1時間後の10時45分に、かんちゃん誕生!となった。
最後は「○○(ワタシの名字)さん!ちょっとゴメンネ」ともうひとりの助産婦さんがお腹の上にのって押し出した
ような状態だった。


「ハッハッハッ」と短捉呼吸になってから、かんちゃんが産声をあげるまでの時間はもうあっという間。
胎盤をかき出されたり(これもスルッとは出てこなかったので)会陰切開のあとを縫ったり、してもらってる間も
体重測定や体を洗ってもらってるかんたの姿を目で追い、この上ない幸せ感に包まれていた。
綺麗になってお腹の上に抱っこさせてもらった時、初対面のかんたを見て「わぁ〜」と言ったきり胸がいっぱいに
なって言葉が出なかった。達成感、そして充実感で体中が癒されるような今までに味わったことのない
感覚だった。


こうしてなんとか長い出産は終わり(陣痛の間は終わらないような気さえしていたが)、無事かんたが生まれて
来てくれた。世のお母さん達って偉大だ〜っと心から尊敬する。出産って神秘的で本当女性にとって人生
における大仕事だなって思う。
しかし自分がこんなに難産になるとは思っていなかった・・・(涙)苦しんだ分可愛さも倍増かもしれないけど
もう2人目なんて、とても考えられない・・・
というのが出産後3日間くらい思っていたこと。
それからは「子どもって、こんなに可愛いいの〜?」という思いの方が強くなり、「やっぱり子どもは3人欲しい」
などと言うようになるのだから、昔から「母は強し」っていわれるのかもね・・・。ハハハ・・・。


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